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幽霊執事の家カフェ推理 第四話・マーメイドのパルフェ9

塔子は眠ることができなかった。リュウから聞いた推理は、あまりに重く耐えがたいものだった。

警察に通報すべきだとさえ思ったが、それをリュウがそっとおさめた。

彼が見聞きしたこと、そしてそこから立てた推論は、何の証拠能力も持たない。

ありえないことをやってのけた張本人がまともなことを言うので、塔子は面食らった。しかしその通りだ。

彼の声から塔子は、今までにない秘めた怒りのようなものを聞き取っていた。

もちろん許しがたいことだ。だがリュウを見ていると、どうもそれだけではないように思えた。

何よりも塔子が気になったのは、さっきのリュウの言葉だった。

「わたくしにも、守るべきものがあるのでございます」

彼があんなことを言うのは初めてだ。

それはふだん警護と称して塔子について歩くこととは、また質が違って聞こえた。妙な言い方だが、生きたリュウの心が見えたように塔子は感じていたのだ。

彼はもしかして、生前に何かとても悔いたことがあるのではないだろうか。

根拠のない考えと数ある疑問が、決まった形にまとまることのないまま、夜は深々と更けていった。

 

 

 

土曜日、昼をずらして大志と麻美、塔子はカフェ・ハニービーに集まっていた。 麻美は大きなトートバッグを持っていた。社員食堂が休みでも、 会社は配食サービスも請け負っているので、仕事があったらしい。

「鈴森さんと土日に、こうやって会うのは初めてだよね」

一週間の義務から解放された麻美は、楽しそうに言った。

「俺もびっくりっすよ。塔子さんがこんな感じで連絡くれるなんて」

確かに、と塔子は笑顔で頷きながら思った。

・・・これが旅行の計画とか、飲みに行く話なら、どんなにいいだろう。

大志がカフェラテを淹れてくれるのを待ってから、三人でテーブルについた。

塔子は息を吐いて二人を見た。リュウの推理を伝えるのは、仕事のプレゼン以上に緊張感があった。

「室田さんの車のことなんだけど」

いつものように、塔子はまず率直に結論を伝えることにした。特に今回の場合、それが誠実だと考えていた。

二人にとっては、どう聞いても唐突に違いないのだ。

塔子はもう一度息をついた。

「あれは、イヴくんがやっちゃったんだと思う」

麻美はポカンとし、大志は数秒後に声をあげた。

「は?!」

驚きとも怒りともつかない顔で彼は言った。

「いやいやいや、塔子さんなしたの?いきなり」

地元の言葉が前面に出ている。

塔子は冷静な声になるよう努めて言った。

「・・・わざとって言うより事故みたいなものだろうけど、瓶を車に置いたのはイヴくんだと私は思ってる」

もともとはリュウが考えたことなんだけどと思いながらも、彼の見解には同意していたのでさほど違和感はない。

塔子は、不安そうにこちらを見ている麻美に訊いた。

「麻美さんが見せてくれたハチミツの瓶、蓋がなかったけど外した?」

「ううん、最初からなかった・・・と思う。・・・うん、なかったよ」

麻美は優しげな声にほっとしたのか、意外としっかりした声で答えた。やはり、と塔子は頷いた。

それは塔子がリュウに訊かれたことだった。塔子は麻美が瓶を見せてくれたときに言った言葉を覚えていた。

「もし上に知れたら蓋開けっ放しにしたこととか、経費のことで怒られそうだから、表向きは皆、黙ってるけど」

時間が経ち麻美の記憶はあやふやになったのかもしれないが、あのとき確かに彼女はそう言った。発見時点で蓋は開いていたということになる。

おそらくリュウは自らの推理をより強く確信しただろう。明後日の方向で佇みながら。

開いたままのハチミツの瓶を外に持ち出せるのは、社員食堂の人間だけだ。そしてその動機というか、行動に意味を持っているのはイヴだった。

麻美はそれを聞いて思い当たることがあったようだ。確かに、ときどき同僚のおばちゃんが調味料の蓋を使った後に閉め忘れることがあると言った。貼り紙をするほどのことでもないし、業務後にしまうときは必ず誰 かが閉めているので現状、そのままにしているという。

その感覚は塔子にも理解できた。強く共有するほどのことではないが、少し困る程度のことは塔子の職場でもよくある。

「でも・・・どうして?なんでイヴくんがそんなことするの?」

麻美は、塔子がリュウにしたのと同じ質問をした。

「イヴくんはその、ああだけど、誰かに迷惑かけたことなんてないし。しかも上司の車に、そんなことしないと思うけど」

大志も頷いた。

イヴに疑いをかけるなら、それなりに根拠があるんだろうなと言わんばかりの目つきだった。

その気持ちは、塔子にもよくわかる。自分も、まだどこかで同じ思いだ。

「極端な話、指紋とかは調べないとわからないし、もちろん推測の部分もあるけど、問題はイヴくんが犯人だということじゃなくて」

困惑した二人の表情を見ながら、塔子は慎重に言葉を選んで言った。

「大志くんの変な噂はなくなってほしいし、私はイヴくんのことも助けたいと思ってる」

「助ける?何から・・・あ、まさか警察?!」

焦りだした大志に、さすが経験者と軽口をたたく気分でもなかったので、塔子は穏やかに首を振るだけにとどめた。

「ちゃんと説明する。だから、まずは聞いてほしいの」

塔子は本心から話していたが、それはまさにリュウが深刻そうに言ったのと同じことだった。

 

あの夜、リュウは塔子の前に静かに言葉を重ねた。

「室田さまには秘密がおありのようですな」

「え?」

いきなり話のハンドルを予想外の方向に切られ、塔子は間の抜けた声で聞き返した。

リュウは姿勢よく立ったまま言った。

「室田さまにはご執心の相手がいるようでございます」

こういう話題には抵抗があるのか、リュウは目を伏せた。それからクッキーと小さなフィナンシェを塔子の前に置いた。

夕食後にはカロリーオーバーだと思ったが、塔子は一個つまんだ。

甘さが強くないので、アップルティーにもよく合う。

しかし意識の大部分は、リュウの言葉に向いていた。

「それって、不倫・・・てこと?」

ハチミツ事件との脈絡がまったくわからないまま、声を無意識にひそめる。

確か室田には妻子がいたはずだ。少し前に娘が大学生になったというのを聞いた気がする。

「不倫というのは伴侶を裏切り、別の人間と恋愛のすえ婚外性交渉をすることですな」

リュウは、生きていた頃にはなかったであろう言葉を使った。辞書を引いたような言い回しから、彼の羞恥心が感じられる。

頷く塔子に、リュウはしどろもどろになりながらも続けた。

「不倫というには語弊がございます。室田さまが一方的な思いで何度も、そういったその・・・お嬢さまの前で誠に申し訳ございませんが、無理やりにその・・・」

意味がわかった。まどろっこしくなった塔子は、わかったよと手を上げて彼を制した。これ以上しゃべらせるのは気の毒だったし、直接言葉で聞きたくもなかった。

室田にそんな一面があるなんて、想像もつかなかった。顔を合わせたときの紳士的な振る舞いと、女性を力ずくで思うままにする犯罪が重ならない。

だが、一歩間違えば麻美だって脅迫されて被害にあったかもしれないのだ。

激しい嫌悪感を覚えたが、塔子は冷静な反応に努めた。

「でもごめん、それが車のこととどう関係するのかな」

とたんにリュウは沈痛な面持ちになった。

「室田さまの車にハチミツをかけたのは、その執心なさっている相手でございます」

被害者が非力ながらも復讐したということか、と塔子はとっさに考えた。

どこかで納得感というべきか、少しだけ爽快な気分にさえなりかけ、慌てて打ち消した。

リュウは意を決したように塔子を見た。

そして苦しげな表情のまま、そのきれいな声で爆弾を投げた。

「その相手は、熱帯魚の青年でございます」

 

塔子は、まったく反応できなかった。

「・・・は?」

しばらくして出たのは、さっきよりさらに間の抜けた声だけだった。

「ごめん、意味がわからない」

室田がイヴを繰り返しレイプしていると、この幽霊は言っているのだ。

塔子はイヴの姿を思い浮かべたが、まったく想像がつかなかった。彼は子どものようで超然としていて、そういう濁流とは真逆のところにいるはずだ。いや、決めつけるわけにはいかないが、それくらい塔子にとっては認めがたい見解だった。

まして室田の方は家庭持ちで、男性に対する性欲があるとは思えない。

 ・・・あるのだろうか。誰にも言えない欲望を、陰でイヴにぶつけ、満たしているというのか。

塔子は以前、脅迫状の一件でイヴが室田に腕を掴まれ、暴れていたことを思い出した。心底、怯えていたに違いない。イヴが荒く動くのを見たのは、あのときだけだった。

・・・でも、無理がある。

我知らず、塔子は呟いていた。本当に無理があるのはリュウの推理なのか、それとも自分の許容範囲の狭さなのか、わからないままだった。

落とさないようにカップを置き、塔子ははっと気づいた。

この前すれ違ったとき、イヴから妙に男臭い匂いがした。室田の香水か整髪料が服に染みついたのだろう。

あのとき、イヴはなぜか離れから歩いてきた。あの場所がどんなことに使われているのか、容易に想像がついた。

リュウは塔子の気持ちを見透かしているようで、静かに頷いた。

「塔子さまのお察しのとおりと存じます。あの青年は室田さまに強要されて関係を続けていると、わたくしも考えております。そしてハチミツは、あの青年にとって危険の象徴なのでございます」

塔子はゾッとした。

ハチミツで室田がイヴに何をさせているのか、考えるまでもなかった。

まるで動物に芸を仕込むようにイヴに命じる姿が浮かんで、塔子は頭を振った。

大志は知る由もないだろうが、イヴがハチミツを異様に怖がる意味は、これだったのだ。

許せない、と塔子は唇を噛みしめた。

リュウはティーコージーをぎゅっと握りしめた。

「ある日、彼は社員食堂の調理台でハチミツの瓶を見つけます。彼の目には、それは凶器にしか映らなかったのでございます」

思いもよらない場所で恐怖にかられ、パニックに陥ったイヴは、ハチミツをどこかに隠そうとする。 瓶を抱えて裏口を飛び出し、おろおろと辺りを見回したとき、置けそうな台、室田の車のボンネットが目についた。

そこに置いて凶器を視界から消すと、イヴは食堂に逃げ戻った。

置き方が悪かったのか、その後何かにぶつかったのかはわからないが瓶は倒れ、中のハチミツが流れ出した。

瓶がなぜ植え込みまで移動したのかは、リュウは特に見解を示さなかった。正直なところ塔子にとっても、その点はどうでも良かった。

リュウの推理だと、室田が事件を大げさにしないよう強く言ったことも、筋が通る。彼自身が、ハチミツに対して後ろめたさを抱えていたのだ。イヴがやったということまで考えたかどうかは、わからないにしても。

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