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幽霊執事の家カフェ推理 第四話・マーメイドのパルフェ10

塔子が話し終えると、それからしばらくは誰も言葉を発しなかった。

何かの間違いでは、と麻美は言いたかった。でも同時に、離れの存在を思い出した。あそこで何があっても、スタッフにはわからない。

それに、イヴはあんなに優しいはずの室田に決して寄りつかない。

室田もイヴと距離を置いているように見えた。普段現場にいないから、障がいのあるスタッフとの接し方をはかりかねているのかと思っていたが、あれもカモフラージュだったのだろうか。

麻美は寒気がして両手をこすり合わせた。

大志は思い出していた。

食堂の女性たちからあらぬ疑いの目を向けられて逃げだしたときに、何か言いかけたようなイヴの顔。大志を呼びとめたかったのだろう。もしかしたらあのあと室田が来ることになっていて、助けてほしいと思っていたのかもしれない。

あのとき、離れてはいけなかったのだ。

大志はガツン、と拳をテーブルに叩きつけた。

塔子は初めてイヴを見かけた日のことを思い出した。社員食堂の仕事を終えたイヴに、麻美が声をかけていた。

 

「イヴくん、置いといていいよ。シャワーして行くんでしょ?」

「いえきょうはいいです」

 

あれは、室田と会う日はシャワーを浴びていたということではないだろうか。

塔子は、はっと思いたって訊いた。

「今日ってイヴくんも仕事来てた?」

声の鋭さに麻美は一瞬ひるみ、それから不安そうに答えた。

「来てた。普段なら土曜日は休みなんだけど・・・あ、でもわりと早く帰ったよ」

「シャワーは?浴びて帰った?」

飛躍した連想なのかもしれない。それでも可能性がある以上、塔子は黙っていられず、矢継ぎ早に訊いた。

塔子の勢いから、二人もその意味を汲んだようだった。

「浴びてた・・・」

麻美は青ざめて、小さな声を絞り出した。

大志は、弾かれたように立ち上がった。

「やべえだろ」

三人はカフェを飛び出し、大志のバンに乗った。

 

 

 

室田の離れには、人工アクアリウムがあった。特注の巨大な水槽が、窓のない空間に浮かび上がるように鎮座している。

ガラスを手でなぞり、イヴは偽物の魚をじっと見つめた。

限りある命を持たない彼らは、不自然に鮮やかだ。大志の店にいる熱帯魚とは違う。

水槽の幻想的なライトがイヴを照らした。その姿を室田は、コーヒーを飲みながら眺めていた。

「イヴくんは、マーメイドみたいだね」

それから英語でmermaidと発音した。

背後に気配を感じ、イヴはビクッと動きを止めた。リトルマーメイドの英語を暗唱する。

“Once a upon time, the youngest and loveliest mermaid of all 5 beautiful sisters”

「伊雪くん」

室田はそれをさえぎり、イヴの肩と手首を掴んで振り向かせた。

「伊雪くん、きれいだよ・・・すごく」

室田が伊雪と呼ぶときは、興奮している時だ。

頭の中でサイレンが鳴った。離れようとしたが、反応の鈍いイヴは足がもつれてよろけ、転んだ。

「してくれるよね、伊雪くん」

室田が猫なで声で言いながらハチミツを取り出す。

「この前、ちゃんとしなかったら痛かったもんね」

その言葉を聞いて、殴られるのを防ぐようにイヴは縮こまった。

室田は低く笑いながら、たたみかけるように言った。

「パパもお仕事がんばれって言ってくれるんでしょ?」

その言葉が、イヴを呪縛する。

イヴは泣くことをしない。今この場で泣く術を知らない。本当は怖くてたまらなくても、逃げてはいけないことになっている。笑った方が可愛いから笑えと言われたときも、どうしたらいいかわからない。ただ表情の乏しい顔で、相手を見つめるだけだ。

ママの香水瓶があればいいのに。それがあれば安全なのに。

「伊雪くん・・・わかるよね」

優しい声と裏腹に室田の手はイヴの髪をつかみ、 強引に抱き寄せる。

ブチッと髪の切れる感触があった。思わず頭を動かすと叩かれ、硬い床に突き倒された。

「相変わらず学習しないな」

手を顔の横に投げ出されたまま、じっとしていると、

「伊雪くんはかわいいね」

さっき振り下ろされ、髪を引き抜いた手が、今度は撫でてきた。

「君だけは私のことを理解してくれる、愛してくれるよね」

彼らは皆、イヴに理解してくれと言い愛を欲しがる。でもイヴの気持ちは叩かれ、踏みにじられてしまう。

誰も、わかってくれない。

室田は恍惚とした笑顔で、瓶のハチミツを指ですくい上げた。

イヴは黄金色の液体が、針金になってグルグルと身体に巻きつくのを心に見た。息ができなくなる。

そのとき、外で何かを打ちつける音が聞こえた。

イヴは、ぱちぱちとまばたきをしてドアの方を見た。

室田は舌打ちするとイヴの服から手を抜いた。動くなと目で脅してから、ネクタイを整えてドアに向かった。イヴはその後ろ姿を見ていた。

「はい」

「すみません、外でいいのでこれだけサイン頂けますか?」

安永麻美の声だ。

「ああ、はいはい」

途端に愛想よく変貌した室田の声が聞こえ、イヴは床に横たわった姿勢のまま目を向けた。

ドアが細く開いた瞬間、すぐに大きく開き、眩しい光が飛び込んできた。

「イヴ、大丈夫か?」

どうしてここで大志の声が聞こえるのかわからなくて、イヴは顔をしかめた。

大志は床に倒れたままのイヴを起こそうして、それから慌てて手を離した。

「ごめん、触らねえから」

彼がいることで、イヴは起きてももう叩かれないのだと知った。のろのろと身を起こす。今日はシャツが破れなかったので、そのままボタンを順番に上まで留めた。

「イヴくん、もう大丈夫。あっち行こう」

麻美が隅のソファに彼を座らせた。落ちていたカーディガンを肩にかける。

大志は安心したようにそれを見届けると、いまだ侵入者にあ然としている室田を、得意の目つきで睨んだ。

「てめえ、こんなことにうちのハチミツ使いやがって!」

つかみかかろうとする彼を、塔子が慌てて止めた。

感情的な大志を見て、室田は落ちつきを取り戻したらしかった。

「何だ君たちは。・・・安永さんまで」

何の疚しさもないはずなのに、麻美はついばつの悪い思いでうつむいた。

その様子が室田を無意味に勇気づけた。彼は太く深みのある声で、

「私はただ、彼に接客の指導を」

「どこが指導だよ!イヴのこと襲ってただろうが、この変態」

完全にヤンキー口調に戻った大志が一歩踏み出したので、塔子はまた引っ張り戻した。声をひそめて忠告する。

「変態は言い過ぎ」

室田は荒く息を吐いた。

「襲うって・・・勘違いだ」

「あ?」

室田は誤魔化すのをやめ、強気に出た。顎をしゃくってイヴを示す。

「この子は成人だろ?合意してここに来てる。こっちは金も払ってるんだ」

「金?何開き直ってんだよ、てめえは」

大志は室田の胸倉をつかんだ。

「こいつが金なんて欲しがるわけねえだろうが!」

「大志くん」

諌めたが、こうなると塔子にはもう止められない。

一方、室田は今にも殴られそうなのに、イヴだけを見ていた。

「・・・やめられないんだよ」

「あ?」

「やめられないんだ」

室田は苦しげに息をついた。それは、大志が締め上げているせいではなかった。

「君らは馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、やめられない。こうして夢を買っているんだ」

いつもの堂々とした風体からは考えられない、惨めな声だった。

「君の言う通りだよ。伊雪くんは、金など欲しがらない。関係なく私を受け入れてくれる」

室田は告発する大志を前に、彼ではなくイヴに目を向けていた。

「・・・そんなこと、知ったことじゃねえよ。くだらねえことぬかしやがって」

大志は掴んだままの室田の胸倉を揺さぶった。

「じゃあてめえは一度でも、イヴの気持ち考えたことあんのかよ!」

「大志くん!」

「受け入れてくれる?ビビらせて好きにしてるだけだろうが!」

「やめろって!」

塔子は二人の間に割って入った。その大声に、さすがの大志もギョッとした。

塔子は深呼吸してから言った。

「手、出しちゃだめ。あなたが捕まったら、イヴくんは大事な友達を失うことになるんだからね」

大志はイヴを見た。彼が大きな声をあげる大志をじっと見ているのに気づいて、室田を突き離す。それから、自分が怒りにとらわれてまたイヴのそばを離れてしまったことに気づいた。

「怖かったよな?もう大丈夫だからな、イヴ」

少しかがんで目線を合わせてから、大志は言った。

「またお兄ちゃんのカフェ行こうか。魚の絵描いて、メイプルシロップのパルフェ食べような」

イヴはいつもの少ししかめたような表情で、コクンと頷いた。

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