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【Last Night オンラインバーvol.49~51】

ここのところオンラインCafeBarDonnaの振り返りができていなかったので、まとめて記しておきます。この場所で交わされたことばが、ぼくの中で熟成してゆき、新しい発想が生まれる。学びの「場」であり、遊びの「場」であり、出会いの「場」。そんな豊かな「Bar」。

〈CafeBarDonna vol.49〉
太平洋だのカスピ海だのを挟んで語り合う会

アゼルバイジャン在住の岡田環さんのお声掛けで実現した会です。Twitterで「今度ゆっくりお話しましょう」というやりとりから、海外メンバーを中心に集まりました。会のタイトルも環さんが名付けてくれて。本当は「番外編」なのですが、印象的だったのでvol.49に加えさせていただきました。

「今日は、海外の方ばかりですね」というぼくの発言に、「わたしたちからすると、嶋津さんも海外の人なんです」という鮮やかなクロスカウンターが決まり、はじまりました。アメリカ、アゼルバイジャン、日本。まさに、太平洋だの、カスピ海だの、を挟んでの対話。「今」という現在進行の中に、朝と、昼と、夜が、入り混じる世界。オンラインはぼくにとって、(今でも)ファンタジックな魔法です。

「一つの体験によって、世界が変わったことはありますか?」

「不可逆性」について質問しました。それを体験をした後では、もう元には戻れない。世界の見え方も、感じ方も。特に、「体験」に価値を置いている方々だったので、そこに紐づく物語を聴いてみたかった。みなさんのお話、おもしろかったなぁ。基本的には、興味のあるものに対して「やってみる」の精神なんです。多くの刺激をもらいます。

海外に住んでいる日本人は、日本に住んでいる日本人とは明らかに違います。日本人なのだけど、日本人じゃない。それは元々持った性質なのか、住む国の文化によって後天的に身についたものなのか。きっと、そのどちらもあって。それは、話をする時の空気のつくり方にも現れます。

それぞれが自分だけの打楽器を持ち寄り、みんなでセッションしているような感覚です。「そんな音出るんだ」とか「そんなに響くんだ」とか「揺らぎが大きいね」とか。それを日本語でできる楽しさ。話を聴くのも楽しいし、その空気に溶け込んでいくのも楽しい。

これからも、海外メンバーの時間に合わせた会は、積極的に開きたいと思います。日本のみなさんとの交流の「場」にできるといいな。環さん、企画してくれてありがとうございました。

【Members】

〈CafeBarDonna vol.50〉
ボンヌ・ソワレ
~真夜中の哲学講義~

この夜だけは、「愛」について、「推し」について、語り合おうではないか

「愛」について、「推し」について、を語り合う夜。とてもロマンティックな気分になりました。「推しとは何か?」という問いが、最近のテーマでした。verdeさんの考察を道標に、お互いの「推し」の感情や感覚、考え方をシェアして理解を深めてゆきました。

「『推し』には責任が伴わない」

verdeさんのことばです。以前、「それは親子関係に近いのかも?」と言ったぼくのことばへのアンサーでした。確かに親子の愛情に近い部分はある。でも、親は子に対して責任が伴うが、「推し」にはそれがない。手放しで、相手の健やかさとしあわせを想える存在。「推し」を想う行為は、「祈り」に近い感覚です。「責任が伴わない」ということは、親子よりも、祖父母と孫の関係性に近いのかもしれません。

「どうして、そのように想えるのですか?」というぼくの問いに、verdeさんは答えました。

「だって、もうたくさんもらってるんです」

ここに答えがありました。このverdeさんのことばは、ぼくの「ギフト」という概念に対する考え方と通じる部分があります。「あの人に贈りたい」という自然発生的な気持ちは、他者から先に渡されていることにより生じます。それは、ペイフォワードのように周囲へ波及してゆきます。

「贈られる」のは、何もモノだけではありません。ことば、気分、エネルギー、体験……と、様々です。「推し」の構造が、「ギフト」の概念と紐づいていたことは、ぼくにとって大発見でした。何より、「推し」の存在は、その人自身をしあわせな気分にさせてくれる。推しのススメです。

そこから「どういう時に、人を好きになるか」という話へと展開し、自分が誰かを好きになる仕組みについてそれぞれに深く考えました。ぼくの答えはここに書きました。

【Members】

〈CafeBarDonna vol.51〉
文章について

ポップアップ的に立ち上げた会です。「推敲クラブ」のこともあり、「文章を書くこと」について、みなさんと語り合いたいと思って開きました。やっぱり、みなさん文章を書くことが大好きですね。ことばに熱が入るし、いくらでも話ができる。みなさんの話を聴きながら、「推敲クラブ」の在り方を模索しました。

「推敲は何のために?」

「読みやすいように構成する」と答えた人もいれば、「読み手は関係なく、自分の書きたいものの純度を高めるため」と答えた人もいました。目的によって推敲の内容は変わります。そこから、どのように文章を書くのか。好きな作家について。好きな作品の、好きな一節。話は次々とリンクしていき、表現について、自分にとって「書くこと」とは、を見つめ直すリッチな時間となりました。

わかったことは、文章についてのお話は、誰もが「自分の考え方を持っている」ということです。それは、まさしく「自分と何か」を表現する、最良の自己紹介かもしれません。また、やりましょう。

【Members】

CafeBarDonna vol.52
推敲クラブ#1
話し手:サトウカエデさん

「推敲クラブ」発足の一回目のイベント。サトウカエデさんを話し手に迎え、「小説の推敲」についてお話していていただきました。

普段、どういうことを意識して推敲しているのか。一日ごとの推敲と、物語を最後まで書き終えてからの推敲の違い。ことばの選び方や表現、構成に至るまで、ていねいに答えてくださいました。「推敲を入れる前と、入れた後では、どれくらい文章が変わるのですか?」という問いに、「変わるというよりも、彫刻に細やかな模様を入れたり、なめらかにしつらえていく感覚です」と。つまり、「精度を上げる」ということで。思考だけでなく、聴き手の感覚を立ち上げるようなことばが印象的でした。

参加者からの質問も興味深く「推敲の止め時はどこか」「推敲の間にインプットを挟むのか」「物語を脱線することはあるのか」など。その都度、みんなでそれぞれに「自分の場合」を考えながら、それを共有して、理解を深めてゆきました。とてもエキサイティングな時間でした。

ことばの感受性が、選ぶことばや表現、推敲に大きく関わります。カエデさんの好きな作品の一節から、短歌の魅力へと移ろうラインは美しく。ことばが持つ情報や印象、それらが組み合わさる時のことばそれぞれの距離感など。ことばに魅了される不思議を解き明かすような、リッチな時間でした。

この「ときめき」は、推敲を実践する時の羅針盤となります。「何をもって推敲するのか」ということが、自分の中で明確になることで、推敲の精度も熱も在り方も変わってゆく。本当は、小説の推敲と、ライターとしての文章の推敲の違いにまで迫りたかったのですが、前半だけでも足りないくらいの充実した会になりました。後半はまた日を改めてお伺いしたいと思っています。

【Members】




「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。