年賀状は必要なのか?
11月に入りまして、そろそろ年賀状を書く季節がやってまいりました。あなたは年賀状を書きますか?
先日、ある高齢者の女性とこんな会話になりました。
「年賀状を止めようかと思うんだけど、踏ん切りがつかなくて・・・」
「毎年、何枚くらい出すんですか?」
「30枚くらいで、昔からの友人や親せき」
「毎年、何枚くらい来ますか?」
「5枚くらいかしら」
「出すより受ける方が少ないですね?」
「そうなのよー、返事来ない人あるよね」
「じゃあ、5枚でいいんじゃないんですか?」
「そうなんだけど、迷うのよねー」
「手作りで凝った年賀状でも書いてるんですか?」
「いえ、郵便局で印刷されたのを買って、一言添えるくらいかしら」
「じゃあ、いらないんじゃないんですか?」
「そう思うんだけど、止めるとなると勇気いるよねー」
「少なくとも、25人は必要ないような気がしますけど?」
「でも近況をお知らせしたいじゃない?」
「でも相手からは何も返事ないんでしょ?」
「そうなのよー」
「いらない気がしますけど?」
「ですよね~・・・」
「で、年賀状が来る5人って、どんな人なんですか?」
「あ~、その5人はいつもメールでやりとりしている友人」
「じゃあ、年始の挨拶もメールでいいんじゃないんですか?」
「そうなんだけど、軽くない?」
「そういう時代ではないでしょうか?」
「そうなんだけど~・・・」
「その5人にメールで提案して、お互い年賀状を紙からメールにしましょうってなれば、年賀状ゼロにできますよね?」
「あっ!そうね!」
「いま気付いたんですか?」
「はい」
とても不思議な状態になっていますが、こんな高齢者って意外に多いんです。いつもメールやLINEでやり取りしている人に限って、年賀状もやり取りしています。ようするに、仲が良い証拠なんです。
ところが、一応出しておかなきゃ、と考える親せきや昔の友人で、一年に一回も会わない、あるいは連絡すらしない人には年賀状こそ必要だと考えています。しかし相手からは来ない。一方通行の想いですよね。もうすでに相手は自分のことを不要だと思われてるのに気付いていません。
決めたことをやらなければならない。いや、やり通さなければならない。すべてのことに対して、そう思っているようです。
真面目、生真面目
日本人はとかく真面目な人種です。昔からそう言われてきましたが、日本に生まれ、日本のことしか知らない私は、その意味がよく分かりませんでした。
電車は時刻表通りにやってきます。5分でも遅れれば、乗客は文句を言います。ところが、世界中見渡してもそんな国は他にない、ということを聞いた時、日本人の真面目さが分かりました。待ち合わせだって同じです。5分前に到着するよう教わりました。海外では、10時の待ち合わせと言われたら、10時59分までが10時という解釈だという国もあるそうです。みんなが同じだから、数分の遅れなんてまったく気にしないらしいのです。大らかですよね。
そんな比較があって初めて日本人の真面目さがよく分かります。高齢者に言いたいです。
真面目をやめましょう!
それが長生きする秘訣であり、健康寿命を長くするコツでもあります。
サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。