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「また北朝鮮がミサイル発射したわね。怖いわ〜」
「もしもに備えて、なにか対策してるんですか?」
「そんなのしてないわよ」
「じゃあ、なんで怖がるんですか?」
「だって、もし頭の上にミサイル落ちてきたら怖いじゃないの」
「落ちてきたことあるんですか?」
「あるわけないじゃないの! おかしなこと言う人ね〜」
「おかしいですか?」
「だって、もし落ちてきたら大惨事じゃないの!」
「だから怖がってるんですか?」
「そうよ」

これは先日ある高齢者と会話した内容です。どう思われましたか?

私は、怖がってもどうしようもないことに、怖がる必要はないと考えています。ミサイルが落ちてきた時のことを考えて、防空壕を作るとか、地下室を作るとか、なんらかの対策をしたいなら気にすればいいと思うんです。

でも「ミサイルがもし落ちてきたら」なんてことは一個人にはどうしようもないことで、その時はその時で仕方がないことだと思うのです。その時には、きっと国中大騒ぎになること間違いありません。もし戦争になったら・・・なんて考えていても、私には戦争を止めることができませんので、なるようにしかならないと考えています。だから私は心配しないことにしています。

心配しても何も変わらないのだったら、心配する必要はないと考えます。

高齢者というのは、どうして心配性なのでしょうか? どうも私には理解できないことがとても多いです。

別な話。

「雨が降ってきましたね〜」
「あら、いやだわ」
「洗濯物干してきたんですか?」
「いえ」
「じゃあ、降ったら困ることが何かあるんですか?」
「いや、特に何もないけど、雨が降ると困るじゃない?」
「何が困るんですか?」
「いろいろあるじゃない!」
「いろいろって?」
「面倒くさいこと聞くのねー」
「すみません。雨が降ると困ると言われるので、素朴に何が困るのか聞いただけです。」

この人は、DOOR to DOORで送り迎えしている人なので、帰り道で雨に濡れることはありません。傘もいらないんです。だから雨に濡れる心配をしていたわけではないのですが、「雨=困る」と思い込んでいるだけなのです。

「雨が降ると困る」「ミサイルを発射されると怖い」どちらも固定観念だと私は思います。言い換えれば「決めつけている」と思うのです。

いつからそうなっていくのかよくわかりませんが、なんとなく年が行くに連れてそうなっていくような気がしています。だとしたら、どこかで気付きたいですよね。

このような人は、家族に対しても心配性です。大げさな言い方をすると「親離れ子離れ」できていないと感じます。子供といっても、もう50や60歳です。孫もいます。それなのに、子供の心配をいっぱいしています。家族の話を聞いていると「信頼していない」と感じることが多いです。

信頼とか信用というのは、心配の反対語のようなものではないかと私は思うのです。

「心配したって、何も変わらないでしょ? だったら放っておいたら?」と言ってあげるのですが、無理なようです。

偉そうなこと書いてますが、私は独身です。「あなたは子供を持ったことがないから、そんなことが言えるのよ」と言われます。はい、そうかもしれません。ただ、心配性の人を見ていると、不憫でなりません。それこそ人の心配している自分がいるわけか~(笑)な~んだ、みんな同じかー(笑)


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