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人生には3つの坂があると言われています。
・上り坂
・下り坂
そして
・まさか(魔坂)

私の整体院に来られる83歳の女性が口癖のように言われる言葉があります。

「まさかの連続よ!」

「まさか自分がこんなふうになるとは思っていなかった」と言って、日々できなくなっていくことを説明してくれます。

でも私は思うんです。それって「まさか」ではなく「想定内」だと思うんですよね。

自分はならないと思っている


親や周りの人が老いていく姿を何人も見てきたはずです。自分もそのうちそうなっていくんだと覚悟しておいても良いはずだと思うんです。ですから尋ねてみました。

「まさか、っていうくらいですから、自分がそうなっていくとは想像していなかったということですか?」
「そうよー。自分はいつまでも元気だと思っていたわよ。なのに、まさか、よね〜」
「でも周りの人も足腰立たなくなって、杖や車椅子になっていっているでしょ?」
「そうなのよ〜。年は取りたくないわよね〜。」
「自分が杖突くようになることは想定してなかったんですか?」
「してないわよー」

とても不思議です。地球が滅びても自分だけは助かるとでも言わんばかりに、自分には老いは存在しないかのような発言です。

確かに、病気にならず元気なまま、亡くなる人もいます。かといって、自分もそうだとは限りません。ましてや、元気なままピンピンコロリと逝くために、日頃から体を鍛えておかなければなりません。運動もしないのに、そう思っている根拠は一体なんだろうと、勘繰りたくなります。

まさか、に対して、もしも・・・


私は25歳くらいの時からいろいろ思っていることがあります。
・もし目が見えなくなったら
・もし歩けなくなったら
・もし手が使えなくなったら

こんなもしもの状態を何度も想像しています。だから保険に入るとか、道具を揃えるとかではありません。

今ある健康な体をめいいっぱい使っておこうと思っています。

もし歩けない体になった時、「元気なうちにいっぱい歩いておいて良かった」そう思えるようになっておきたいんです。


そりゃ〜、死ぬ直前まで自分の足で歩いていることに越したことはありません。でもそれはあくまでも願望であって、いつ何が起こるかなんて誰にもわかりません。

だから、もし明日、目が見えなくなったとしても後悔しないように、興味のあるものや、見たいものをたくさん今のうちに見ておこうって考えているんです。

身体が老いていくのも、個性の一つという考え方


パラスポーツを見た時、「障がい者は個性なんだ」という見方が、最近ようやくできるようになってきました。自分がもし障がい者になったとしたら、あんなふうに強く生きていけるのか自信がありません。

高齢者が衰えてくのも個性の一つだという考え方になれば良いのですが、自分が老いた時にもそう考えることができるかどうか、これも自信はありません。老いてできなくなったことも個性と考えることができるでしょうか?

だからこそ、いま健康な体のうちに、できることをやっておきたいと考えています。

「まさか」と思わないで済むように。


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。