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先日、俳優の渡辺徹さんが亡くなりました。まだまだ早過ぎますよね。ワイドショーなどでも紹介されていましたので、今日お会いした80歳の女性に話してみました。ところが、渡辺徹さんのことがどうやら分からないそうです。

「渡辺徹さんが亡くなりましたよね」
「え? 誰それ?」
「わからないですか? テレビで頻繁に紹介してましたよね?」
「そうだったかしら?」
「榊原郁恵さんと結婚した人ですよ」
「あ~、郁恵ちゃんね。元気な人よね。」
「そうそう、その旦那さんが渡辺徹さん」
「それがどんな人か思い浮かばないわ」
「テレビは観ないんですか?」
「ついてるけど、ちゃんと観ることはないわね」
「ドラマとか観ないんですか?」
「つけてるけど、ちゃんと観たことないわね」
「じゃあ、どうしてテレビつけてるんですか?」
「音がないと寂しいから」
「じゃあ、ラジオは?」
「聴かない」
「CDとかは? 音楽聴けばいいのに」
「操作が分からないから触れないわ」
「興味ないんですね?」
「そうね」

高齢者の一人暮らしでテレビはつけているのに、中身はまったく覚えていない人、とても多いと思います。別な人ですが、テレビの前にちゃんと座って観ているのに中身はまったく覚えていないという人がありました。その人は、家にいる時はほぼテレビの前にいるそうです。それなのに、何を観たか、誰が出ていたか、どんな内容だったのか、まったく記憶がないそうです。まだ認知症の人ではありません。

なぜなのでしょう?

だらだら観、習慣、興味なし

テレビに出ている俳優さんが着ている洋服やアクセサリーが売れるらしいですよね。同じ物が欲しくなるのは、たぶん若い人だと思います。私は買わないけど、気になって検索することは今でも時々あります。ここには「知りたい欲望」が最初にありますよね。知的欲求、略して「知欲」とでも言いましょうか。実際買ってしまう人は、物欲もありますよね。でも私のように、知りたいだけの人もいるはずです。

歳が行くとその知欲=知的欲求がなくなっているということなのでしょうね。高齢者が、今現在何に興味があって、何を知りたがっているのか? そんなことを実は数人に尋ねてみました。皆さん「ない」と答えられました。胸張って「今さら、そんなんないわよ~」と言われた人もいます。これはダメです。記憶力が衰えるとかの問題ではないように私は感じます。そもそも覚えようともしていないし、観たものから感動を得ることもないようですから。

人生100年時代と言いながら、実際に健康な体で何歳まで生きられるのか分かりませんよね。でも、今の世の中に対して何も興味がないとしたら、それはもう意識は死んでますよ。きついこと言いますけど、欲求は生きていく上でとても大切だと思うのです。

高齢者は食欲もないと言います。そもそもお腹が空かないそうです。だから食べたいという欲求も出てこない。眠たいという睡眠欲もない人がいます。毎日、睡眠導入剤を飲まなければ眠れないそうです。

このような人が多い中、多少太っている人は、食欲だけはあるみたいです。孫と一緒にお菓子を食べるそうです。孫がいなくなってからも、一人で食べるそうです。それは食べたくなるそうですから、お菓子に対する食欲はあるということです。

残された人生、どんなことでもいいから、欲求があるのは幸せなことだということでしょう。病院に入院されている高齢者で、どら焼きを一日に10個食べる人がいます。毎日、家族に持って来させています。医師や看護師も容認していて、というより呆れかえっていて、「残り少ない人生なんだから、食べたいのなら食べさせてあげましょう」と言っています。

残り少ない人生、あなたは欲求なしで、よろしいですか?

この記者会見を見て、渡辺徹さんはとても幸せな人だったと、改めて思いました。そしてとても良い家族であったとも思います。ご冥福をお祈りします。

書いたあとにこんな記事を見つけました。

「入院する前日、秋田大学、医学部附属病院などが主催した医療フォーラムに特別ゲストとして参加。糖尿病患者が発熱したら、コロナやインフルエンザ以外に真っ先に敗血症を疑うのは、基本中の基本。ところが人工透析を受けていて、2度も心臓の手術をした渡辺さんが体調不良を訴えていながら、秋田大学の医師たちが揃いも揃って仕事を続けさせたというのは、あまりにボーンヘッド。人道的にも大いに問題があります。」

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