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心:「在る」に集中すること、模範的優等生をやめること。

最近、自分の置かれた状況において「ないないマインド」から抜け出せずにいたことに気が付いたので、少し言葉にしてみる。

前の職場にいたときからのことで、今もそう感じているが、
「私は職場の人間関係に恵まれない人間」だと思っていた。
最初に入った会社では、直属の先輩がはちゃめちゃに残業をする人で、
夜11時半の終電まで粘って仕事をしていて、最後はタクシーで帰宅することもしばしば。仕事量が多いというのもあったけど、あきらめや踏ん切りをつけるのがあまり得意でないと本人も話していた。

でも、人としてはまっすぐで曲がったことが嫌いな強い女性。私は尊敬していた。そんな中、市場での会社の位置がだんだんと厳しくなり、人員削減や思いがけない人事異動で別のチームと一緒に仕事をすることになった私たちのチーム、どこもそうだけど50~60代以上の男性しかいない10名程度の部署で、事なかれ主義、面倒な顧客の押し付け合い、責任転嫁が横行するようになっていった。定年まで自分の給与が出ればいいや。という雰囲気がにじみ出ていたのを思い出す。

先輩も私も女性でそのチームでは若手、二人でさばききれる仕事の量を超えて、私は精神的に体調を怖して、泣きながら仕事をしていた。先輩は始業ギリギリ(本当に始業時間の10秒前とか)に出社してきて、午前中に無気力で仕事をしている姿が多くなっていった。

そんな中で、私はいやというほどやる気のない団塊世代の男性社員のいやな面を見てしまった。人のせいにしたり、押し付けたり、知らん顔したり、ひとが苦しんでいても手伝って面倒ごとを背負うのがいやだという態度。仕事がつらいというよりもそういう人間関係が辛くて、うまく立ち回れない自分を責めて、数年後には自分も先輩のように無気力な社員になるのかと思い、絶望して心が壊れはじめた。

人一倍「ちゃんとやる」ということに意識を向けてしまう私は、多分「完璧主義」そしてそれができないと「もういいや。」と投げ出す。それから、根本的に「自分は優等生でなければいけない。」ということが頭にあったのかもしれない。

仕事や職場の雰囲気が悪くなったこと、それに何もコミットできない自分をひたすらに責めていた。今思うと、そんなことを一新卒社員の私ができるはずもないけれど、先輩のことが好きだったし、尊敬もしていたからこそ、日に日に死んだような目になっていく先輩をどうにかしたかったし、自分も苦しい職場から解放されたくて、頭がストレスだらけで自分の仕事もミスが増え、あらゆることでごたごたになった生活の中で、ある日心が何も感じなくなり、会社に行けなくなった。

その会社はもう辞めてしまったけれど、今の職場でも結局同じことで苦しんでいる。今度は60~70代の男性しかいない職場で、それぞれが好き勝手なことを言い、一つのプロジェクトが前に進むために集まっているのに、お互いの足を引っ張りあったり、長すぎる会議を繰り返して全体の指揮が下がってそれぞれが孤立していったりしている。
結果的にプロジェクトはうまくいっていない。私は私でできることをやるというスタンスから、おじさんからの反感を買っている部分もあるが、相談していると何も前に進んでいかないという面もあり、結果的に全員が個人プレーか、無関心かという雰囲気になった。そしてのコミュニケーションに対して少し後ろ向きな態度になっている。
情報共有のルールや、話し合いがないまま全体のことが進んでいっている印象だ。

そんな中で、成果を出しても気に食わんと言われたり、提案をしても方向修正で結局コマとしてしか扱われない日々の中。またしても私は泣きながら仕事をしているという状況に陥っていた。自分のことはどうでもよくて、体に悪いとわかっているものを食べて、適当に寝て、いつも目は死んでいて、ここ最近の写真はどれも死んだ魚の目のような笑顔で笑っている。

正直に言って、人生が80年、100年というのが長すぎて辛いと思う。
まだまだ半分にも満たない期間しか生きていない私には、本当に絶望的に人生が長すぎる。

このままの、考え方で生きていくのは不可能。私の中でそんな結論が出た。
そして
変えられるのは自分だけなので、私は、私のマインドを変えようと思った。

自己分析をしていく中で、変えていきたいマインドは二つ。
①ないないマインド
②自分は完全な存在で居続けなければならないというマインド

なんのこっちゃいという感じだが、
① 何事も「ない」「ない」ということにフォーカスするから人生がいやになっていく、意外と色々あるのにあるものを無下にしてないことに、フォーカスしてしまうことで、失った友達も多い。「ある」にフォーカスしたい。

少し話はずれるが、
私は持ち物がとてつもなく多い。女一人なのに10tトラックで引っ越しをしたほどである。なぜかと言えば①多趣味②捨てられないものが多い③前職の資料などが多い。等の理由がある。

モノが多い人はきっと共感してくれると思うが、
モノが多いと部屋が散らかりやすい。
例) ものが多い → 特定のものを使ってそのままにする → 次使うとき見つからない → もう一度購入 → ものが増える → エンドレス
こんな風に色々なものが増えていくのだ。
そして、散らかった部屋を見て日々ストレスが溜まる。片付けるものが多くていつも家事に追われている気持ちになる。
いつも何かを探していて、「ない」ことに気持ちが向かっている。

ある時一区画だけでも片付けると、その部分を見てとても安らいでいることが自分でもわかる。心がリラックスする。好きで、ものが多くて散らかしてるわけじゃないんだなと思う。

1.食べるものが体を作る。あるものを大切にしたい。
最近またしても虫歯になった。右上の5番に3MIX-MP法で治療をした。そして、右上7番も虫歯になっていることが分かっている。結局最後は3MIXをしなければならないのかもしれない。
7月に体調を崩して緊急搬送された。これも体を大切にできていないからだった。テキトーなものを食べて何となく暮らしていた自分に反省して、体を作るものを食べようと思った。タンパク質、ビタミン、カルシウム、コラーゲンどれもファストフードや手軽なパンなどの主食だけを食べていても接種できない栄養素だ。これを食べると体の調子もいい。
虫歯は治らないけれど、歯を失えば食べることもできなくなる、治療費に何十万もかかるのだ。自分の体を大切にするというのは、今ある健康な状態を維持するためにできることを選んでやっていくという日々の姿勢なのかもしれない。

2.ストレスになる環境を改善する。
生活空間が散らかっていたり、モノがあふれているととてもストレスを感じる自分が居る。ものを厳選し、欲しいときに見つかる仕組みを作る。多すぎるゆえに見つからないのだから。
まずは一日1手放しを目標に頑張っているところだ。最近は、メルカリに本を出品して、意外と売れてびっくりしている。

話はそれたが、生活の中に「あれもない、これもない」があふれていると考え方すべてが「ないないマインド」に寄っていく。そして不幸な気持ちになる。心は貧しいのだ。

②自分は完全な存在で居続けなければならないマインド

これなに?って感じだと思うが、私は昔から割と優等生で何事もそつなくこなしてきた。クラスの平均以上で、成績も上位だったし、友達も多かった。
近所の人や家族との関係も良好だった。

でも、いつからかそれに縛られている自分に気が付く。いつでも全体を見まわして相対的に平均以上を目指すようになり、友達もたくさんいた。
でも、それが何なんだろう。テストや成績でその人の価値が計られていた時期はあっという間に過ぎて、相対的平均以上なんていうことは、個人の考え方によってどんどん変わっていく年代、時代になったんだ。

私が生きづらさを抱えたのは、上でも書いた社会人になったころからで、仕事はマニュアル手順通りに正確にやっていけば成果が付いてくるということでもない。横道、裏道、時には思わぬことからチャンスが入ってきてそれをうまいことやってチャンスをつかむことの方が多い。

完璧だったり、いい子、模範的な子、でいる必要があるのか、だれが評価してる?たぶん誰も評価してない。してるのは自分だけ。
通知表のない世界で、あることにフォーカスしてそれを大切にすること、ないない後ろ向きに陥る要因を少しずつ減らしていくこと、もの、ひと、こと。これってめちゃくちゃ大切だと思う。

今の私のマインドのまま。あと何十年も生きることはつらいし、
ないないマインド、平均点以上を取らなきゃマインドのせいで
できなかったり、誘えなかったりする友人との時間もたくさんある。

自分が変わらないと生きずらいまま。
しにたいと思いながら生きていくことになるんだろう。

何もまとまらないけど今日の心の整理はこのあたりで。

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