地理旅#1「タイ編~旅との出逢い」
スイカジュースと、スピッツと。
僕が旅に出逢ったのは、2009年。大学3年生の秋。当時、彼女にフラれて落ち込む私を見かねて、友人が傷心旅行に誘ってくれた。行先はタイ。理由は、ただただ安かったから。当時、往復航空券にホテル付きで4日間で3万円くらいだったと思う。
日本は、夜も少し涼しくなり始めた初秋。バンコクの空港に降り立った。モワッという空気が顔を覆う。空港を出た瞬間、たたみかけてくるタクシーのオッサン。おびただしい数の自動車やバイク、そしてトゥクトゥク。異国情緒をじっくり味わう…なんていう余裕はないほどに、スリルの方からやってくる。
翌朝、鈍行列車に揺られて、アユタヤ遺跡に向かった。現地の人たちやバックパッカーに混じって座席に腰かける。熱帯気候に加えて満席の車内は熱気で満たされているが、ゆっくり進む鉄道の窓の外から風を感じて心地よい。
雰囲気に浸っているのも束の間、駅に近づき列車が速度を落とすたび、窓の外から何本もの手が伸びてきて、土産物やら食べ物やら、いろんなモノを売りつけられる。タイの洗礼だ!と観光客気分でちょいと盛り上がる。
およそ2時間、アユタヤ駅を降りると左手にローカル食堂があったので昼食にすることに。タイ名物のガパオ・ライスをほお張り、食堂のオッサンがゴリ推しするスイカジュースを食後に注文した。
う、うまい…!いままで、こんなに美味しいジュース、飲んだことない…!!もはや夏場は熱帯と化す東京のコンクリートジャングルでも、間違いなく流行るだろ!!と確信するレベル。
…すると、なぜか突然、スピッツの『楓』が流れてきた。
おいオッサン。ニヤニヤしてるやんか。傷心旅行だって、どこで聞きつけやがった!
楽しい雰囲気がいっぺん、スイカジュースに目から塩分がトッピングされた。おかげで、甘味が増したような、もはや味が分からなくなったような…。
極めつけは、アユタヤ遺跡群に沈む夕陽…。もう!なんという荒療治。
摩天楼と、ブルーシートと。
翌日は、バンコク市街地を練り歩くことに。雑踏を掻き分けて高層ビルの展望フロアに立つと、バンコクの街に何本もの摩天楼がニョキニョキと伸びている。
想像以上の発展ぶりで、心底驚いた。いや、勝手に東南アジア=途上国だっていう先入観を持っていただけだろう。それにしても、パッと見では「あれ?ここ新宿だっけ?」と見間違うほどだった。
展望フロアを後にして、再び混沌としたバンコクの街並みを歩くと、ところどころ、ブルーシートで覆われていることに気付く。なんだろう?と眺めていると、中には人が住んでいるではないか!そうか、これはスラムなんだ。
本当に無知だった僕は、言葉だけ知っていたスラムなるものが、いま、まさに眼の前に広がっていることに、ひどくショックを受けた。まして、高層ビルの真下にスラムが点在する格差の現実に、言葉を失った。
都市にはスラムが形成されやすいという構造的な課題は、その後で知った。農村には仕事がなく、職を求めて都市部に出ていく。しかし、出てきたところで、仕事はおろか住むところすら、ままならない。
特に、急激に経済発展を遂げた場合、タイの首都・バンコクのように、人口や経済機能が一極集中することがしばしば起こる。いわゆるプライメート・シティの問題だ。
思い返せば、昨日、線路脇からお土産買え買えビームを送ってきた彼らも、巨大ゴミ箱の雰囲気から察するに、スラムだったのだ。線路脇は電気も拝借できるし、時に市場になる。僕も乗車していた鉄の塊は、勝手にお客を連れてきてくれるし。
理不尽を抱きしめて
失恋は、たしかに理不尽だった。人生、努力ですべてが思い通りになるわけではないんだと思い知った。
でも、この貧富の格差は「許してもいい理不尽さ」なのだろうか。
いま、日本でも貧富の格差は拡大しつつある。何とかしなければならない重要な課題だ。それでも、世界的に見たら、日本は最も格差の小さな国の部類に入る。
僕がバンコクで見たこの格差は、あまりに極端だった。ハタチという若さのせいかもしれないが、理性では納得することができなかった。
既に教師になることを心に決めていた僕は、いかにして、この理不尽と対峙するかを考えた。もっと、世界を見たい。もっと、世の中の仕組みを理解したい。
これが、僕にとっての旅の原点である。
次は、インドへの旅である。
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