現代版・徒然草【22】(第35段・代筆)

今日は、2文だけであるが、独力で読める人も多いのではないだろうか。

手が「わろき人」というのは、手が不自由な人とかいう意味ではなく、字を書くのが下手な人という意味である。

では、読んでみよう。

手のわろき人の、はゞからず、文(ふみ)書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。

以上である。

字を書くのが下手な人が、はばかることなく、自分の手で手紙を書くのは良いことだと言っている。(自分の汚い字を他人にみられるのが)恥ずかしいからと言って、人に書かせるのは、わざとらしくて嫌味だ。

ということであるが、まさに正論である。

字が下手であろうが、その人が書いたものであるからこそ、真心が相手に伝わって、それを読む相手もうれしいものである。

当時は、鉛筆やボールペンなどあるはずがなく、今で言うならば、小筆で手紙や和歌を書いていたわけだ。

そうすると、鉛筆やボールペンでは分からない、墨の濃淡や筆運びなど、その人ならではの筆跡がよく伝わる。

今は、趣味で習字を嗜んでいる人以外は、プライベートで、鉛筆やペンで字を書く機会もほとんどないのではないだろうか。

ただ、希望が持てるのは、手帳や家計簿を手書きでつけている人が、まだ少なからずいることである。

しかし、それは相手に向けて書くものではない。

今や、兼好法師もびっくり仰天のメールである。

最近は、年に1回の年賀状ですら、もうやめると言い出す人が増えてきている。

私は、ものすごく仕事が忙しかった若い頃は、年賀はがきの宛名も裏面の挨拶文も、パソコン印刷で済ませていた。それでも、手書きで一言だけコメントを書くようにしていた。

最近は、相手の住所が個人情報なので、自分のパソコンにあった住所録は完全に消去して、相手からもらった年賀はがきの裏面に記載されている住所を見ながら、手書きで相手の住所も書いている。もちろん、宛名もである。

自分の手で字を書く習慣がほとんどなくなったら、おそらく認知症になるリスクも高まるだろう。

手をケガしたから代筆を頼んだり、パソコンで文字を打ったりするのは致し方ないが、やはり長生きできる時代に、余生のほとんどをボケた状態で過ごすことを後悔しないように、毎日何かを書く習慣は身に付けたいものである。


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