20世紀の歴史と文学(1929年)

今日は「昭和の日」であり、昭和天皇の生誕123年にあたる。本シリーズでも触れたが、20世紀の初めの年の1901年に、昭和天皇はお生まれになった。

さて、前年に「即位の礼」が行われて、1年が経とうというところで、アメリカのニューヨークのウォール街において株価が大暴落し、世界恐慌が起こった。

1929年10月24日(木)のことである。いわゆる「暗黒の木曜日」である。

当時のアメリカの大統領は、共和党のフーヴァー大統領だった。

昭和時代は、アメリカの大統領と所属政党にも注目してほしいのだが、現代でいうならば共和党のトランプ前大統領と民主党のバイデン大統領のように、アメリカは共和党と民主党の大統領がほぼ交代で4年から8年の任期で政権をとっていた。

フーヴァー大統領は、この年の3月に大統領に就任したばかりだが、本シリーズですでに触れたウィルソン大統領(=14ヶ条の平和原則の提唱者)が民主党出身であり、ウィルソン大統領が1921年に大統領の任期を終えてから、共和党出身の大統領が実に12年間も続いたのである。

ウィルソン大統領は、1913年から8年間、大統領を務めており、まさに第一次世界大戦中の大統領であった。

第一次世界大戦では、ドイツが敗戦国になったのだが、そのドイツが戦勝国側に賠償金を払うことが、ヴェルサイユ条約で決まっていた。

1920年7月、戦勝国側の賠償委員会は各国の受け取り割合として、フランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%などを決めた。

この総額が日本円では200兆円を超えるものだった。

ウィルソン大統領のあとの共和党出身大統領の任期中に、イギリスとフランスは、アメリカへの戦債の返済に直面していた。

どういうことかというと、第一次世界大戦では、アメリカからの資金援助を受けながらドイツと戦っていたのである。

ただ、ドイツから賠償金をもらえることが決まったので、その賠償金を戦債の返済に両国とも充てることができた。

一方で、ドイツは多額の賠償金を返済するのが途方もない年月を要することになる。そこで、アメリカがドイツに賠償金支払いに充てるお金を融資することにしたのである。

アメリカは、1929年の夏に、賠償金総額を減額する案を提示し、200兆円を超える賠償金を約4分の1にまで減額した「ヤング案」を、8月31日にドイツに認めさせたのである。

世界恐慌が起こったのは、この2ヶ月後である。

アメリカがドイツに融資していたお金が、イギリスやフランスなどに賠償金として流れ、それが再びアメリカに返ってくるサイクルが確立していた中で起こった株価の大暴落である。

経済に詳しい人なら、これがどういう負の連鎖を招くかお分かりだろう。

「資本主義経済」いわゆる市場経済がヨーロッパの西側諸国やアメリカで浸透している中で、ソ連(=ソビエト連邦)はこの年の11月に、知る人ぞ知るスターリンが政権を実質的に掌握した。

スターリンは、一国社会主義論を唱え、市場経済の混乱をよそに、前年に策定した「五ヶ年計画」を推し進めていった。

そして、日本は、この翌年に世界恐慌の波を受けることになり、これが第二次世界大戦勃発の遠因となったのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?