現代版・徒然草【19】(第192段・神仏参拝)

今日も、一文だけで終わる段を紹介しよう。

第192段であるが、段によって文章のボリュームがあったり、一文だけで終わったりするのは、意図があるのか、あるいはこれ以上書くまでもないということなのか。

とにかく、読んでみよう。

神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。

以上である。昨日の一文より短く、あっさり終わっている。

神社やお寺は、人が参詣しない日や夜に行くのがよいと言っているわけである。

注目したいのは、「神・仏にも」という言い方をしているところである。

「にも」と言い方をするということは、先に述べたことに付け加えて、話をしていることになる。

ここでは、その前の第191段の内容を受けていることになるのだが、その内容の一部を要約すると、夜に着飾って外出するのは良いことだと言っている。

今の時代にも、夜になると辺りが真っ暗になって、周りがほとんど見えない田舎は、地方の至る所にある。

都会のネオンが好きな人には、そういった暗いところは興ざめだろう。

だが、兼好法師が生きていた時代は、どこもかしこも火を灯して歩いていた。

今の時代に、近くの神社やお寺に夜に行くとき、多くの人はサンダル履きだったり、普段着で化粧っ気のない顔のままのラフな格好だったりする。

ところが、昔の人は、夜になると、月明かりや火明かりに照らされて、着物やかんざし、化粧した顔がキラキラ輝くというワクワク気分を味わっていたのである。

これは、今で言うならば、繁華街のイルミネーションの中を、おしゃれをして歩く感覚に似ているわけである。

ストレスを感じることなく、夜の雰囲気を楽しむには、なるべくなら、たくさんの人でごった返す時間は避けたいところだ。

それを兼好法師は言っているわけで、神仏へのお参りも、そうでありたいというわけだ。

今の時代は、年の初めに神社やお寺に参詣したら、それっきりという人も多いのではないだろうか。

初詣じゃなくて、その年の最初で最後の参詣になってしまっている。

信仰心は昔の人のほうが、今の私たちよりもはるかに強く、神社やお寺でのお祭りにも積極的に参加していたことだろう。

私たちも、「今日も一日無事に過ごせました。ありがとう。」という気持ちで、近くの神社やお寺に、夕食後の散歩がてら寄ってみるといいのかもしれない。(そう考えると、たしかに神様の前でラフな格好は失礼だ。)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?