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教員1年目に、適応障害を発症。2度病気休暇を取得。 教員2年目の年度末に退職。 アイ…

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教員1年目に、適応障害を発症。2度病気休暇を取得。 教員2年目の年度末に退職。 アイドル、語学、空を見ることが好き。 書くことはあまり得意じゃありません。 ありのままに、思ったことを書きます。

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自己紹介

おはようございます。 自己紹介を書いてみます。 自分自身が、あまり学校が好きではなく、辛い経験をしたからこそ、かつての私のように、目立たず、声を上げられず苦しんでいる子供たちに寄り添いたい。 そんな思いからずっと教員を目指していました。 そして、大学の教育学部を卒業し、新卒で教員になりました。 しかし、適応障害で休職。復職し、再発。 現在、二度目の病気休暇中です。 周りの人からは、優しい、聞き上手、協調性がある、真面目、そんな印象を持たれます。 でも実際の自分は、嫌

    • 教員2年目、退職しました

      先日、教員を退職しました。  まだ振り返ると辛い思い出しか出てこないのが本音です。 いつかこの2年間があってよかったと思える日が来るといいなと思います。 清々しさと、今後の不安と、辞めたことへの後悔、色々な気持ちが入り混じっています。 本当はあと一年できたんじゃないか、諦めて逃げたんじゃないかと自分が惨めで、悔しくて涙が出ることもあります。 ですが、仕事に行かなくていいというだけで、とても心穏やかに過ごすことができています。 これからは、少し立ち止まって次の道を考えて

      • 教員辞める決断をしました

        2年目、年度末まで働いて教員を辞めます 涙が止まらなかったり、不安が大きかったり、色々と落ち込む日が増えてしまい、新幹線に乗って実家に帰りました。(ド平日) 新幹線の中でも涙が止まらず、駅に来てくれた両親を見た瞬間涙腺崩壊。自分でも何がそんなに悲しいのか不安なのかわかりませんがとにかく涙が止まりませんでした。 よく考えると、特別支援学級で落ち着かない子どもたち、保護者が毎日付き添いで来ているので常に見られているのも少し辛かった。来れない子のリモート対応も1人ではいっぱい

        • 休んじゃった どうしても体が動かない

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        自己紹介

          適応障害になった教員がJO1に救われた話

          急にヲタクな投稿ですみません。 JO1の金城碧海くん。私の1番好きなアイドルです。かっこよくて、優しくて、どこか儚くて、歌声が綺麗で、素敵な言葉を紡ぐ人。 教員の私は、初任者として働き始めた昨年度、適応障害で6月から2月まで、病気休暇、復職、再発、病気休暇となり、仕事を休んでしまいました。 先生なのに教室が怖くてたまらなくなってしまったのです。行ったことのない町に配属になり、授業も学級経営も中々上手くできないのに、子どもたちの前では一人前を求められるプレッシャー。深夜ま

          適応障害になった教員がJO1に救われた話

          終わりのない適応障害

          2学期が始まったこの時期、頑張ろうと思っていたのですが心が疲れ切ってしまい、思うように感情のコントロールができなくなってしまいました。涙が止まらず、家に帰ってから夜までひたすら泣いていました。 子どもや保護者の前では無理矢理笑ってる私だけれど、通勤中や家では涙が止まりません。 少し良くなったかと思えば、死にたいという感情に囚われて動けなくなる。何が引き金になって調子が悪くなるのか分からない毎日に疲れ切ってしまいました。 一度心が壊れると元に戻すのにとてつもない時間がかか

          終わりのない適応障害

          ジムに通い始めた

          元々、水泳や陸上をやってたおかげで運動は嫌いではないです。 性格は中々変えられないけど、体型は努力で変えられる、そう思ってジムへ行き始めました。 自分を好きになるというのは、私の中で一番難しいことです。 完全に自分の全てを好きになることはできなくても、何か一つでも自信を持てるものを見つけたいです。

          ジムに通い始めた

          適応障害の診断から一年

          久しぶりの更新になりました。 昨年度冬からTTとして復帰した私は、今、特別支援学級を持っています。 通常学級を持ちたかった気持ちはありますし、いまだに、通常学級をもてる力がない人が行くクラス、なんて意見を目にすることもあり、周りの目が気になります。(私は支援級をそんな風には思っていませんが…)  来月に行われる、同期と会う研修がとても怖いです。 振り返ってみると… 4月は、初めての支援級で、教育実習や昨年度のクラスでやってたことが通用せず、授業も学級もどうしたらいいの

          適応障害の診断から一年

          適応障害 休んでも休んでも前に進んでいる感覚が無い

          適応障害で休職中の教員です。 今日は6回目のメンタルクリニックの日でした。 1月から復職の予定でしたが、2月からに延長になりました。 2度目の休職に入り、約2ヶ月が経ち、ご飯を食べたり、好きなことを楽しんだりといったことはできるようになってきました。 でも学校が怖い、子供の前に立つことが怖いという思いは消えないどころか日々強くなっている気がします。いまだに学校のことを考えるだけで涙が止まらず、どうしようもない不安感に襲われてしまいます。漠然と消えてしまいたい、死んでし

          適応障害 休んでも休んでも前に進んでいる感覚が無い

          何も考えられない

          何も考えられない

          私って適応障害?甘え?心が弱いだけ?

          適応障害と診断されて四ヶ月と少し経ちましたが、適応障害って何か自分でもよくわかりません。 インターネットで検索したり、お医者さんに聞いたりすると、適応障害について、なんとなく理解することはできます。 でも、適応障害って全員に必ずこの症状が出るとか、この基準を超えると適応障害っていう明確な判断基準が無いから、自分が今本当に適応障害なのかよくわかりません。 みんなは頑張れてるのに、私が頑張れなかったのは心が弱いだけ。休んでしまっていることは甘え。 忙しすぎた、学級がしんど

          私って適応障害?甘え?心が弱いだけ?

          適応障害 一番辛かった最初の一ヶ月の話

          適応障害になって、一番辛かったのは最初の一ヶ月でした。  私は職場のある町を離れ、実家で療養していました。 自分だけ仕事をせずに家にいること、周りの同期や友人たちに置いていかれることが不甲斐なくて、何をしても涙が止まらず、人に迷惑をかけながら生きていることが辛かったです。起きることも、ちゃんとごはんを食べることもできなくなっていました。人からの連絡も返せませんでした。ただ布団の中で泣いて何もできず、1日1日が過ぎていきました。 メンタルクリニックで処方された薬を飲んでも、

          適応障害 一番辛かった最初の一ヶ月の話

          適応障害と診断されるまで①自分の心身の異変に気づかなかった

          適応障害で休職中の教員1年目の者です。 私は、7月に適応障害の診断を受け、2週間の休職。同月に復職し、9月に再発し、今も自宅療養中です。  今日は、適応障害と診断されるまでのことを思い出して書いてみたいと思います。 でも未だに、学校のことを考えると涙が止まらなくなったり、不安に襲われたりします。 それでも、思い出して向き合わないと、学校に戻るにしても、仕事を変えるにしても、次に進めないと思うので、ここにこれまでのことを残してみます。 新卒で教員になり、怒涛の4月。 私は、

          適応障害と診断されるまで①自分の心身の異変に気づかなかった

          誰に何を言われても、自信を持てない話

          どうしてそんなに自信がないの? 大卒で教員になれたんだから、もっと自信を持ちなさい。 職場で涙が止まらなくなってしまった私に、そう声をかけてくれた人がいます。 もちろん、そんな風に励ましてくださる気持ちはとてもありがたいです。気にかけてくださるのに、心が折れてしまった自分が不甲斐ない気持ちになりました。 でも私だって、持てるものなら自信を持ちたい。 それなのに、どうしても、自分で自分を認められないのです。 中学や高校時代、例えば、テストであまり良い点数を取れない時は、

          誰に何を言われても、自信を持てない話

          適応障害 自分を苦しめていた考え方

          「あの時の方が辛かった」 「私よりも、あの人の方が辛い」 あの時もっと辛かったから、今のこの辛さは乗り越えられる。あの人は私よりも大変な思いをしてるだろうから、1人で頑張ろう。 これまで私は、今の自分の心の声に耳を傾けていなかったのだと思います。 たしかに、これまで生きてきて、辛かったしんどかった経験もあります。でも、その辛さは今となっては当時ほど鮮明に思い出せません。 それなのにもかかわらず、あの時より頑張れてない、まだ耐えられる、そう考えて、自分を追い込んでいました

          適応障害 自分を苦しめていた考え方

          適応障害、再発

          ずっと目指していた教員という夢を叶え、期待で胸を膨らませていた4月。 それからたった2ヶ月、適応障害で休職。 翌月、子どもたちの夏休みが始まるタイミングで復職。 しかし、夏休み明け3日後。 適応障害再発。 再び教室に行くことができなくなった私の、ありのままの感情をここに残していきたいと思います。

          適応障害、再発