適応障害と診断されるまで①自分の心身の異変に気づかなかった

適応障害で休職中の教員1年目の者です。
私は、7月に適応障害の診断を受け、2週間の休職。同月に復職し、9月に再発し、今も自宅療養中です。 

今日は、適応障害と診断されるまでのことを思い出して書いてみたいと思います。
でも未だに、学校のことを考えると涙が止まらなくなったり、不安に襲われたりします。
それでも、思い出して向き合わないと、学校に戻るにしても、仕事を変えるにしても、次に進めないと思うので、ここにこれまでのことを残してみます。


新卒で教員になり、怒涛の4月。
私は、地元ではない、右も左もわからない市町村の学校に採用されました。

振り返ると、この月は本当に記憶がないです。常に緊張していたし、がむしゃらに目の前の仕事をしていました。仕事一つ一つが初めてでどうしたらいいのかわからない。大学を卒業して数日しか経っていない中、いきなり30人の子どもたちの前に立つ。先生の仕事は多岐にわたります。どんなに頑張っても、仕事は終わりません。土日も学校に行って、家でも常に仕事のことが頭から離れない。

涙が止まらなくなることもたまにありました。それでも、ずっとアドレナリンが出ているような感覚でした。最初だから頑張らないと、私はみんなより何もできないから、休む暇がないのは当たり前。そんな気持ちで、それがおかしいとも思っていませんでした。

しかし、仕事に加えて、右も左も分からない土地での一人暮らし。家に帰ると家事をする体力はありません。散らかっていく部屋。朝早く起きて仕事。帰っても夜中まで仕事。生きるための仕事ではなく、仕事をするために生きる毎日。それでも不思議と疲れは感じていませんでした。

そんな私に異変が起き始めたのは5月。

教室で涙が止まらなくなり、自習の指示を出し、授業を抜け出して職員トイレで泣きました。何が辛いのか分からないけれど涙が止まりませんでした。なんで泣いているのか分からないけれど、何かが溢れてきて止まらない。そして、その日から3日休んでしまいました。

休んでいる間に色々考えました。私のクラスだけ、なんだか落ち着きもない気がするし、授業だってうまくできていない。ずっとずっと仕事をしていても、前の先生が好きだ、会いたいと言われる。これまで溜まっていた疲れと、押し殺していた気持ちが一気に襲ってきて、起き上がることができませんでした。

自分がいなければ、子どもたちのためになるのではないか。周りの同期は頑張ってるのに休んでしまって、私はなんてダメな人間なんだろう。涙も止まりませんでした。

なんとか学校に戻るも、この頃から、徐々に好きだったアイドルの動画を見ることができなくなりました。好きなことをする暇なんてないだろう、こんなことをするくらいなら仕事をしなければ。そう思っていました。
休日も頭の片隅には常に仕事のこと。心が休まる暇もないし、休むことに罪悪感を感じていました。

同じ頃、ご飯が食べられなくなりました。
何かを食べると気持ち悪くなる。常に泣きそうで苦しくて、お腹は空かない。それだからか、常に頭も痛いし、放課後はフラフラで歩くことすら辛い。頭も回らなくて、何も考えられなくなりました。

朝は学校に行きたくなくて体が重い。夜には、嫌な記憶が蘇って、明日が来ることが怖くて、涙が止まらない。
それでも、同期や大学の友人も頑張ってるから、高校生の時の方がつらかったから、そう思い、学校に行く毎日。

この頃の不安感やしんどさを思い出すと、今でも涙が止まりません

頑張りたいのに、何もできない。せっかく採用してもらったのに、不甲斐ないし情けない。私のクラスになってしまった子供たちに申し訳ない。隣のクラス楽しそう、去年の先生の方が好き、そうだよね、ごめんねって思ってました。

そして、6月のとある日の放課後、教室で丸つけをしているときに、ふと窓の外を見たら飛び降りたくなりました。死んだら全て楽になる、私がこの学校から消えてしまえばみんな幸せだろう。限界でした。泣きながら両親に、もう無理かもしれないとメールを送りました。

日が暮れかかっている中、車で二時間かけて両親が来てくれました。深夜まで涙が止まらない私を見て、両親がメンタルクリニックの予約をしてくれました。予約が取れたのは、約三週間後。そして、その翌日から私は学校を休むことになります。

長くなりました。
書いてる今も、自分を責める気持ちでいっぱいです。もっと頑張れたのかなと思います。

常に頭が痛い、食欲不振、不眠、不安感、意欲低下、倦怠感、自分の身体が出していたSOSが、病気だなんて思ってもいませんでした。

一度、壊れてしまった心は中々元に戻りません。何をしても、常に不安が付き纏います。

それでも、病気になって、自分の周りには、私を助けようとしてくれる人がたくさんいたことに気付きました。焦らずに、治していきたいです。

長くなりました。
病気休暇を取得してからのことを今度は書きたいと思います。

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