適応障害 一番辛かった最初の一ヶ月の話

適応障害になって、一番辛かったのは最初の一ヶ月でした。 

私は職場のある町を離れ、実家で療養していました。
自分だけ仕事をせずに家にいること、周りの同期や友人たちに置いていかれることが不甲斐なくて、何をしても涙が止まらず、人に迷惑をかけながら生きていることが辛かったです。起きることも、ちゃんとごはんを食べることもできなくなっていました。人からの連絡も返せませんでした。ただ布団の中で泣いて何もできず、1日1日が過ぎていきました。

メンタルクリニックで処方された薬を飲んでも、不安感は消えません。適応障害は薬が効きにくいと言われますが、私は本当に何を飲んでも効きませんでした。今も効きません。何か効く薬があれば知りたいです。

辛さや不安と同じくらい、私は焦っていました。一学期にやるはずだった公開授業も、研修もできなくて、授業も隣のクラスより遅れてる。 

戻れば、少しはその焦りからは解放されるし、なにより、何もせず休んでいることに強い罪悪感を感じていました。だから、一刻も早く学校に戻ることで気持ちが安定すると思っていました。

そして家族やクリニックの先生に止められたのにもかかわらず、2週間で復職することにしたのです。

もしも、この時しっかり先生の話を聞いて、家族の言うことにも耳を傾けていたら二度も適応障害にならなかったと思います。学校に行くことの不安が消えていないのに、焦りや罪悪感から復職を早めるべきではなかったと思います。

難しいけれど、適応障害からの回復は絶対に焦ってはいけないと思います。
と、言いながらも、今の私もこれからの将来どうするか、残された病休期間が少なくなる中で焦ってきています。まだ、先生に戻りたい!とは胸を張って言えないです。心配してくれてる子がいると聞きました。それなのにこんな先生でごめんね。

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