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ショートショート 26 グラフィックデザイナーvs通訳者


 夕方と夜の境目くらいに、仕事を始めるというのはなかなかにこたえるものがある。

 といっても家でする作業なので移動するさいに仕事や学校を終えた人たちと出くわして憂鬱になるということがないぶんマシなのだが。

 実際に比較する機会にめぐまれるわけではないので、彼女は実感することはできない。

 パソコンを開いてパスワードを入力する。起動すると、どこの国かもわからぬ絶景が彼女を出迎える。それに綺麗と思ったのは初めてパソコンを触った小学生の数ヶ月だけで、あってもなくても変わらない。彼女は風景にみとれることはなく、動画アプリを立ち上げた。

 開始数分前、すでに何百万人もの視聴者が待ち構えている。その一端に彼女は紛れ込んだ。洪水のようなコメント欄が動画の横に表示されているが、その一端を担う気は彼女にはなかった。

 開始一分前になるとカウントダウンが始まる。彼女はそこで飲み物を準備していなかったことに気がついたが、仕事中にトイレに行きたくなってしまってはいけない。最高でも二時間くらいだろうから、多分飲まず食わずでもやっていけるはずだとふんだ彼女は飲み物をとりにあげた腰をおろした。自室で、誰も見ていないというのに、座り直した、というていをとりつくろう。

 カウントダウンが0になると画面が暗転、すぐにゆっくり明るくなりはじめる。暗いところから明るいところにでたときに目が慣れていくような演出に、ファンファーレが重なる。どこまでも続く緑色の草原、二次元の絵とは思えないほど深い色をした青い空、羽ばたく数羽の白い鳥。白い鳥の視点にカメラがよる。そうすると再び画面が白くなる。今度は一気に白くなり、一気に次の画面に切り替わった。

 彼女はキーボードに手を置く。

 画面の初老の男性が頭を下げた。

「世界の皆さんこんにちは! こんばんは! 大激闘! インパクトファミリーDX超! グラフィックデザイナーの兼友です。」

 World everybody hello! Good evening! Im A graphic designer KANETOMO BIG battle game Impact  family  deluxe super

 素早く英文を打ち込む。すると画面の下部、兼友と名乗る男の体に重なるように、入力した英語が表示される。

 大人気格闘推理家族育成ゲーム 『大激闘! インパクトファミリーDX超!』の新情報公開動画の英訳の仕事だ。

 このタイトルは大激闘はBIG battle と訳す。BIGはすべて大文字だが、battleは全て小文字。

 この、『お客様からすれば当然』の部分を間違えると、次の仕事が三割減る。ゲームなんてやったことのない彼女にはなかなか覚えづらいところではあったが、これで飯を食っている以上、毎日勉強せざるを得なかった。

 すでに過去作は全て英語版(字幕付きでプレイ済)このゲームの英訳でのルールはある程度把握済みではある。deluxeはdxと略することもできるが、あえてしない。超は日本版だと「ちょう」と読むが、海外版では「super」と読む。

 そういった細かい部分を押さえておくのは最低限のこと。しかし問題は、ここからだ。このゲームはシリーズということもあって、新作に引き継がれる部分は多いが、逆に新要素もある。

 この放送の英訳がそのまま使われることもあるので、ある意味海外版の名付け親になってしまう可能性がある。そのため、安易な英訳は使えない。

 stylishでtrueでcool、いやときにHotなpassionのある英訳をしなくてはいけない。

 これは、強いていうならグラフィックデザイナーの兼友と通訳者である彼女の対決である。

 しかし、流れるように話す兼友の言葉を瞬時に英語に直すのはなかなかに大変だった。

 しかし彼女はなんとかそれをこなした。二時間半だった。

 最後に兼友が手を振ってバイバイと言うと同時に、お疲れ様という内容ばかりで溢れたコメント欄。そこに本当に疲れたと打ち込みつつ、鼻で笑って送信せずに、消した。

 お腹は減ったし喉も渇いたが、重い腰はしばらく上がりそうになかった。
 

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