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【書評】コンラッド『闇の奥』⑦

ロッシーです。

前回の続きです。

奥地出張所でロシア人青年と会う

クルツはきっと死んで、出張所は焼かれてしまったに違いない、と皆が諦めかけたとき、奥地出張所が見えます。

船が近づいていくと、陽気なロシア人青年が出迎えます。まるでパントマイムの道化役ハーレクィンのような恰好をしており、継ぎはぎだらけの服を着ています。

青、赤、黄色など派手な色の継ぎはぎというのは、ヨーロッパ列強に侵略されたアフリカを象徴しているのかもしれません。それとも、クルツの精神が分裂している状態を表しているのかもしれません。

一般的に、文学においては、道化師は「常識と誠実さの象徴」といわれています。

確かに、この青年の性格に関する描写を見る限りその解釈が妥当かもしれません。青年は、クルツという王に仕える宮廷道化師のような存在ともいえるでしょう。

マーロウはそのロシア人青年と話をします。

英国の煙草をすすめると彼は喜び、途中の小屋で見つけた「操船術研究」の本を返すと、マーロウにキスせんばかりに喜びますが、自制します。

煙草も本も英国に関係しています。つまり、彼は英国の偉大な精神に対してあこがれを抱いているロシア人であり、自制心も備えている=黒人操舵手やクルツとは違い死なない、ということなのではないかと思います。

マーロウも、この青年に対して唖然とし「この男は解けない謎だ」と思い、なんでこんな男が存在しているのか驚愕します。

「俺は賞賛のような、いや、羨望に似た気持ちに、誘い込まれた。」

「絶対的に純粋で、打算のない、実利とは無縁の冒険精神を持つ人間がいるとすれば、この道化服の青年を措いてない。」

少なくとも、この小説においては、この青年のようなタイプの「自己に執着しない」人間はいませんでしたから、マーロウもそう思ったのでしょう。

そして、資本主義社会において、誰もが打算や実利とは無縁ではいられませんが、この青年のように執着しない精神をもつことは普通の人間には無理です。その意味でも驚愕すべき存在だといえます。

しかし、青年がクルツに心酔していることについては、マーロウは「その青年がしてきたことすべての中で一番危険なこと」だと思っています。

現代でも、カルト宗教に簡単に洗脳されてしまう人達がいますが、その多くは普通の常識的な人達です。そして、純粋な人ほどそういうものに弱かったりするのです。純粋性とその反面としての危険性は紙一重です。

ロシア人青年は、「あの人(クルツ)は僕の精神の幅を広げてくれました」と言います。

「あの人は僕を射殺しようとしたこともあるんです。でもあの人を裁こうとは思いません。」

「僕はあの人から離れられないんですから。」

「クルツさんが狂っているなどあり得ない。」

と、完全にクルツの信者と化しています。

自分の全てを委ねられる存在がいると、ありとあらゆるものが全て素晴らしく肯定的に見えるのでしょう。青年の明るさも、クルツを妄信することから来ているのだと思います。

しかし、他人から見ればそれは狂気にしか見えません。しかし、狂気と狂気でないものの境界線はどこなのか。そもそもそんなものがあるのかすら、誰にも分かりません。

クルツ現れる

マーロウは、建物にある杭を双眼鏡で見て驚愕します。その杭の先端には原住民の首が刺さっていたのです。

なぜだか 首=頭蓋骨 を悪魔は好むようです。ブリュッセルでの老医師もそうでしたね。クルツも悪魔化してしまっている印象を抱かせます。

クルツの崇拝者であるロシア人青年は、クルツに原住民の長が挨拶のために近づく際、作法として「這いつくばる」話をすると、マーロウはそんな話は聞きたくない!と一蹴します。

マーロウは、首を杭に飾るよりも、這いつくばるほうがおぞましいと考えています。

這いつくばるのは、映画などで悪魔がよくやる仕草ですから、マーロウは拒否反応を示したのかもしれません。また、這いつくばるというのは服従の象徴ですから、英国人として何かに服従することあり得ない=拒否する ということだったのかもしれません。

その後、不意に裸の人間の群れが密林から現れます。彼らは担架を運んでおり、そこにクルツが乗せられていました。

「露わになった身体は屍衣を剥がされた死体のように憐れでおぞましかった。浮き出たろっ骨がうごめき、ほとんど骨だけになった腕が振られる。まるで古い象牙から掘り出した死神の像が動いて(以下略)」

とあるように、クルツは相当弱っているようです。そして、何かにその生命力を吸い取られたかのようにやせ細っています。

背丈は見たところ2メートル10センチはあったとのことですが、そんなに身長が大きいのは異常です。

マーロウにはそう見えるほど存在感があったのか、それとももはや普通の人間を超えた存在=生霊 になっていたからなのか、はたまた、ギリシア神話における「ギガントマキア」の巨人族を象徴しているのか、色々と解釈の余地があります。

クルツが何かを叫ぶと、運んできた蛮人の群れが姿を消していきます。クルツは蒸気船の狭い船室に運び込まれます。狭い船室=クルツの墓 ということなのでしょう。

マーロウはクルツの声について「声! 声! それは重々しく、深く、朗々と響いた。」と言っています。「クルツはひとつの声だった」という描写とも重なります。

野生の女現れる

その後、野性味の溢れる原住民の女が夕日に照らされた河岸に現れます。女は奇妙な装身具やお護りなどを身体中に着けており、悠然と歩きます。

そして蒸気船のそばまでくると、マーロウ達をじっと見つめます。そして不意にむきだしの両腕を広げ、頭上にぐいと突き上げます。それと同時に、影がすばやくあたりを暗く包み込みます。その後、女は密林の中へ姿を消します。

この小説に登場する女性は、全部で5人です。

マーロウの叔母、受付嬢2名、野生の女、クルツの婚約者です。

これをさらにグループ分けすると、

・マーロウの叔母、クルツの婚約者

・受付嬢2名、野生の女

と分けられます。前者は「女性達の世界」=「資本主義社会に必要な理想」=「真実とは無縁の世界」であり、後者は「闇の世界」=「真実の世界」に属するともいえるでしょう。

闇の世界は、クルツを逃さないぞとばかりに野生の女を遣わします。ロシア人青年は、もし女が船に乗ってこようとしたら銃で撃っていただろうと言います。

それほどこの青年にとっては女は恐ろしい存在だったわけです。また、「あの女は怒り狂って、ときどき僕を指さしながら、一時間ほどクルツさんに訴えていました。」という記載があります。

なぜか女は青年のことが気に入らないようです。それはなぜなのか。青年が青年のもつ純粋さが、クルツを取り込もうとする闇の力に対抗する力となっていて、邪魔だった可能性もあります。

そういう意味では、このロシア青年はまだダークサイドに落ちなかったジェダイなのかもしれません。

今回はここまでで終わります。

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