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【書評】コンラッド『闇の奥』⑨

ロッシーです。

前回の続きです。

今回でこの書評は最後になります。

帰還

翌日、マーロウ達はクルツを乗せて河を下って帰ります。

1000人ほどの原住民たちが森から見つめる中、蒸気船は動き出します。原住民たちは何やら意味不明の声を叫びます。川岸では、あの野生の女が再び現れて、むき出しの両腕を船に向かって差し伸べます。

ちなみに、最後のシーンでクルツの婚約者が同じように両腕を差し伸べる場面が出てきますが、この野生の女との対比がなされています。

野生の女が何かを叫ぶと、興奮したその他の原住民が何かを唱和します。

「これ、何と言っているかわかりますか。」

とマーロウがクルツに聞くと、クルツは

「わからないと思うのか」

と言います。

クルツには、彼らの声(闇の声)が分かります。なぜなら、自分自身が闇に取り込まれているからです。しかし、そうではないマーロウには、当然ながら何を言っているのか分かりません。

クルツは、光と闇の世界両方から引き裂かれ、クルツ自身もその狭間で分裂気味になりましたが、最終的には闇が勝利し、クルツは暗黒面に落ちました。闇の力に利用し尽くされた後は死ぬだけです。

クルツ死ぬ

クルツを乗せた船は、河の流れに乗り、来たときとは倍の速さで海に向かって進みます。そしてクルツも河を下るとともに弱っていきます。

「クルツの命も、心臓から無情な時の海へと、潮が引くようにどんどん流れ出していった。」

そして、クルツは魔境に向かってこう言います。

「ああ、しかし私はまだこれからお前の心臓を絞り上げてやるからな!」

心臓を絞り上げるというのは、象牙をもっと集めてやるということなのでしょう。クルツはまだやる気充分のようです。生きている限り、象牙(=富)を収奪し尽くすつもりだったのでしょう。資本主義社会において、貨幣がその価値を失うまで発行するしかないのと同じです。

しかし、クルツはもうそのダンスを続ける力が残っていません。実際には闇の力のほうが、クルツを絞り上げたといったほうが正確ではないでしょうか。闇に利用し尽されたあげくの絞りカスが今のクルツです。

クルツは闇の力で富(=象牙)を手に入れましたが、逆に闇のほうはクルツを利用して何を得たのかはよく分かりません。簡単に分かるようなものではないのでしょう。

しかし、その後クルツももはや自分の死が近いことを感じとり、マーロウに一束の書類と一枚の写真を預けます。

ある夜、マーロウが船室に入ると、クルツが言います。

「私は闇の中に横たわって死を待っている」

もう闇が完全に彼を取り込む一歩手前なのでしょう。そして、最後にクルツはこう言います。

「恐ろしい! 恐ろしい!」

英語だと、

"The horror! The horror!"

です。

この有名なセリフの解釈はいろいろとありますし、「地獄だ! 地獄だ!」と訳している本もあります。色々な解釈がありますが、これが正しいとか間違っているとか言いきれるものではないと思います。いくら解釈しても、それこそ答えなんて「闇の奥」でしょう。

私自身は、クルツが死ぬ間際に闇の奥=真実 を覗き込んで思わず発した言葉なのだと思っています。それほど恐ろしいものとは一体何を見たのだろう?と想像せずにはいられません。

死んだクルツは翌日埋められました。

マーロウは言います。

「俺はどうやらクルツが死に際に達した境地を経験してしまったようなんだ。いや確かに、彼は最後の一歩を踏み出して、境界線の向こうへ超えてしまったのに対して、俺はためらう足を引っ込めることを許された。たぶんそこに違いのすべてがあるのだろう。」

何やらよくわかりませんが、三途の川を越えたのがクルツで、超えずに戻ったのがマーロウということなのでしょう。

ただ、クルツは自分の意思で最後の一歩を「踏み出して」向こうの世界に行ったのでしょうか。私には、本人の自由意志ではなく、闇の奥に強制的に取り込まれたような気がしてなりません。

マーロウ婚約者に会う

その後、マーロウは「墓のような都市」(=ブリュッセル)に戻ります。

一般市民の生活を見て、マーロウはいら立ちます。

「彼らはただ普通の人間らしく、この世界は安全だと信じてそれぞれの日常生活を営んでいるだけだったが、それが俺には何とも腹立たしかったんだ。」

「連中を啓蒙してやろうなんて気はなかったが、馬鹿のくせに偉そうにしているのを見ていると、面と向かって大笑いしてやりたい衝動を抑えるのがなかなか大変だった。」

かなり上から目線なマーロウです。

コンゴ河奥地の異世界、そしてクルツとの魂の格闘から帰ってきたマーロウは、出発前に老医師が「変化は頭の内側で起こる」と言った通り、出発後はその意識が変性しているわけです。

そんな彼にしてみれば、闇の力の存在も知らず、のほほんと普通に生活している一般市民との意識のギャップに耐えられなかったのでしょう。

その後、マーロウは、クルツから託された書類をめぐって会社から派遣されてきた人間とやりとりをしたり、クルツの親戚と称する老人と話をしたり、新聞記者にクルツが作成した報告書を渡したり、色々と残務処理をします。

クルツの遺品で残ったのは手紙の薄い束と、婚約者の写真だけです。マーロウは、それらを婚約者に直接返すことを決めます。

マーロウは、婚約者が住んでいる建物を訪ねます。それは、「墓地のよく手入れされた小道のように静かで上品な通り」にありました。ブリュッセル訪問の際の描写と対比がなされているようです。なにやら怪しい雰囲気がしますね。

その時、彼はクルツの幻を見ます。その幻は、マーロウと一緒に建物の中に入ります。

「俺はもう一つの魂を救うために、執念深く侵入してくる魔境の襲撃を一人で食い止めなければならないと思った。」

マーロウがここでいう「もう一つの魂」というのは、婚約者のことです。

夕闇が迫る中、マーロウは天井の高い客間で待たされます。すると、黒ずくめの女性が、青白い顔を夕闇の中に浮かべて、滑るようにマーロウのほうに近づいてきます。黒い服は喪服です(クルツの死から1年以上たっているのに、婚約者はまだ喪に服しています)。

ここの描写も、マーロウがブリュッセルの会社を訪問し、受付嬢と会うシーンと対比させていることが分かります。

マーロウは彼女と、今は亡きクルツについて話をします。クルツについて話す彼女は「信念と愛の不滅の光」に照らされており、クルツに対して盲目なまでの愛と信頼を抱いています。

「彼女のあの信念、闇の中でこの世のものとは思えない光を輝かせて人を救うああいう偉大なる思い込みには、敬服せずにはいられなかった。」

とマーロウも言っています。

婚約者は、クルツが死んだことが「世界にとっても損失だ」と言います。単に婚約者が死んだだけなのに、世界にとって損失というのはどういうことなのでしょうか。

以前の記事でも述べたように、この小説で登場する叔母やこの婚約者は、「あまりにも美しすぎる世界」=理想 の象徴的存在です。

資本主義において、理想と富の拡大は車の両輪のようなものです。単に無目的に富を拡大させるのではなく、理想を実現するために富の拡大がなされるわけです。

しかし、その理想は時にはあまりにも美しすぎたり、欺瞞や偽善であったりもします。それと対比されるのが闇の世界=真実の世界 です。

クルツの婚約者(=理想)にとっては、富(=象牙)を無限に生み出すクルツという存在がいなくなったことにより、車の両輪のうち片方が無くなったのと同じです。だからこそ、世界(=資本主義世界)にとって大いなる損失だと嘆いているのです。

「もう二度とあの人に会えないなんて。」

と彼女は、両腕を前に伸ばします。ここは前述したとおり、あの野生の女と同じ仕草と対応しています。

しかし、マーロウは、その時はっきりとクルツの幽霊を見ていたのです。そして、クルツの声も聞こえています。婚約者には何も見えず聞こえていません。それも当然です。真実の世界は、女性達には無縁だからです。

マーロウにはクルツの幽霊が見えており声も聞こえているということは、マーロウは光と闇の世界の両方に関われる存在になっていることが見て取れます。

マーロウの嘘

最後に、マーロウは震える声で言います。

「私は彼の最期の言葉を聴きましたよ。」

婚約者は言います。

「あの人の最期の言葉を生きる支えにしたいのです。」

「わかってくださるでしょう。私はあの人を愛していた・・・愛していたのです!」

マーロウはゆっくりと言います。

「彼が最期に口にした言葉は・・・あなたのお名前でした。」

マーロウは嘘をつきました。真実を彼女に告げることはできなかったのです。

「俺は嘘が嫌いだ。大嫌いだ。我慢ならない。」と言っていたマーロウですが、彼女の「信念と愛の不滅の光」=「美しすぎる世界」を守るためには、嘘が必要だったのです。

資本主義には、お金、会社、法律(言葉)、会計(数字)というフィクション(=嘘)が必要です。そこに真実(闇の力)をぶちまけてしまったら、世界は壊れてしまうでしょう。

そんなことをするのはマーロウにはできないことでした。

「だが、俺にはできなかった。彼女に告げることはできなかった。それはあまりにも冥すぎた・・・あまりにも冥すぎた・・・。」

マーロウは資本主義の世界(理想、富、嘘の象徴)を守ったのです。それが良いことなのかどうかは別として。

そして、世界を守ったマーロウは、今後もその世界を守り続けなければならない存在としての宿命を背負います。そして、その役目を引き継ぐ者を育成しなければなりません。いうなれば、ジェダイの育成です。

船上の場面

場面はテムズ川河口の船上に戻ります。

マーロウの話が終わると、しばらくは誰も動きません。マーロウは、瞑想にふける仏陀の姿勢で黙って座っています。

マーロウの教えは仲間達(=ジェダイ候補)に届いたのでしょうか。

重役が言います。「引き潮の始まりを逃がしてしまったな。」

皆、マーロウの話に惹き込まれ、時間が過ぎるのを忘れるほど集中していたことがわかります。おそらくマーロウのメッセージは彼らに伝わったのではないでしょうか。

最後に、テムズ河の流れが大いなる闇の奥まで通じていることを示唆する描写で小説は終わります。

ロンドンとコンゴ河奥地は河と海でつながっています。かつてのロンドンも闇の世界でしたが、今は光の世界です。でも、いつかまた闇の世界に変わるのかもしれません。そして、いまは闇の世界も、またいつか光に変わるのかもしれません。

光は闇であり、闇は光なのです。


さて、長々と書評を書いてきましたが、やっとこれで終わりです。なんだかんだで全部で9つの記事になってしまいました。

人によって色んな読み方があるでしょうし、私自身も時が経てばまた読み方が変わると思います。それを許容するだけの懐の広さがこの小説にはあると思います。


冒頭の場面で、語り手の「私」はこう言っています。

「彼の場合、話の意味は、胡桃の実のように殻の中にあるのではなく、外にある。強い光のまわりに靄のような光が生じるように、意味は話から滲みだして、その話を外側から包む。」

これで、終わります。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。

Thank you for reading !

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