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町田麻子AsakoMachida
2018年7月29日 16:59
音大受験をするのになぜ音楽の勉強をする前からセンター試験のことを考えたかというと、音楽はゼロからのスタートになる、つまりどんなに頑張ったところで音楽畑で育ってきた高校生よりできるようになることはない。となると、勉強の方でかなり上位に食い込まないことには受かる可能性など皆無だと考えたからだ。具体的には…センター試験の最終目標、9割。模試はそこにどの程度の努力で辿り着けるか(あるいは全く辿り着
2019年2月6日 18:29
センター試験の結果が私に何の啓示も与えてくれなかったため、当日から藝大出願の締め切り日までの約2週間、私は一応は勉強を続けながら、でもこれ絶対間に合わないよねとの思いを強くしながら、ちなみに仕事も結構しながら、何よりなんらかの啓示を待ちながら過ごした。だが啓示は向こうからはやってこず、気付けば締切2日前。とりあえず出願要項を改めて眺めてみることにした私は、高校からの内申書が必要なことにここで初めて
2018年12月29日 09:51
私は家で仕事ができない。原稿を書く際は常に常に、わざわざ出かけてでもカフェに行く。自分でも予想外だったのは勉強でもそうだったことで、月曜の勉強デーはいつもカフェにいたし、仕事を納めた後の去年の今頃は、年末年始も営業している近所のカフェを探して毎日そこにいた。音楽の勉強をするにあたって別の音楽が流れているのはどう考えても邪魔だったがまぁ、それでも家よりははかどった。そんなこんなで、センター試験当
2018年12月26日 11:14
さて、ピアノレッスンの日にやると決めた勉強である。まずは枠組みを作れば埋める楽しみを原動力に進められると思い、仕切り付きのファイルを購入して、楽典、和声、倫理、古文、漢文、聴音の6項目に分けた。小論文こそ大事と聞いてはいたものの、対策ゼロでも書けることがゼロではないはずと信じ、このファイルがルーズリーフでパンパンになってから考えようという作戦だ。英語や現代文も、同様の理由によりとりあえず無視するこ
2018年12月24日 13:29
そうだ、週1回ピアノを習い、そしてレッスンの日は仕事を入れずに受験勉強をする日にしよう。私がそう思い立った頃、たまたま姉も娘(=私の姪)のためのピアノ教室を探していたようで、姪が通う幼稚園に付属の教室に、これまたたまたま芸大卒の先生がいることが分かった。逆言霊信仰のある私はこの時点ではまだ、姉にも受験のことは話していなかったというのに!しかも、姪の幼稚園は私の家の近所。さっそく体験レッスンを申し込
2018年12月15日 19:57
オープンキャンパスで呼ばれていると思い込み、受験を決意したのが7月半ばのこと。その際に大学で過去問も入手したのだが、当然ながらまあとにかく一から十まで意味不明であった。回答を求めて赤本を手配しつつ、すべての基礎になりそうな「楽典」という本をまずは購入して読み進めつつ、いろいろな人に会ってみることに。しかし私には、願いは口に出すと叶わないという「逆言霊信仰」がある。ただし、口は羽のように軽い。
2018年10月31日 17:30
お目当てだった楽理科の説明会および模擬授業は、お目当てだったのに申し込みしそびれるという失態により、気づいたときには締め切られていた。だがせっかく予定を空けてあったので、オープンキャンパスには行ってみることに。全体の説明会や演奏会といった申し込み不要のイベントに参加し、大学の雰囲気を見てみようという試みである。またもや子どもたちの中で浮かなくてはならないのかと、模試の経験を踏まえて心配したのだが、
2018年6月19日 20:32
昔から運命論者なところがあるというか、迷ったときは「これはやれってことだね」あるいは「やるなってことか」と思わされる何かしらの啓示がないと決められない、他力本願な性格だ。そうだ、音大に行こうと思い立って最初に見た東京芸大のアドミッションポリシーに「やるなってこと」と思わされていたら、その時点で断念していたことだろう。そうやって軽率にいろんなことを思いつき、そして軽率に諦めてきた人生だ。だがアドミッ
2018年6月18日 19:55
音楽を勉強してみたいと思った最初の目的が跡形もなく消え去ったあとにも、その気持ちだけは消えなかったことにはいくつかの理由がある。まず仕事まわりのポジティブなやつから言うと、ミュージカルについて書くことの多いライターとして、音楽を描写する語彙を増やしたかったこと、そして持論に説得力を持たせたかったこと。特に…日本ミュージカル界は音響への意識が低い!ともう何年も前から一人で吠え続けているのだが
2018年5月20日 19:13
きっかけは、何度か取材させてもらったことのある音楽監督の一言だった。ミュージカル『レ・ミゼラブル』を日本初演から支え続け、今では世界のレミゼ関係者にその名を轟かす名物監督的存在となっているB氏。日本レミゼ30年の栄光の歴史の立役者、といっても過言ではないその功績が大きすぎて、この人がいなくなったら日本レミゼはどうなるんだろうと思い、取材後の雑談タイムに後継者の有無を聞いてみた。すると…「誰かい