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38歳、藝大受験してみた。②

音楽を勉強してみたいと思った最初の目的が跡形もなく消え去ったあとにも、その気持ちだけは消えなかったことにはいくつかの理由がある。まず仕事まわりのポジティブなやつから言うと、ミュージカルについて書くことの多いライターとして、音楽を描写する語彙を増やしたかったこと、そして持論に説得力を持たせたかったこと。特に…

日本ミュージカル界は音響への意識が低い!

ともう何年も前から一人で吠え続けているのだが誰も耳を傾けてくれず、傾けてもらうためには知識が必要だと気づいてからは専門学校の資料を取り寄せてみたり公共劇場が開設しているスタッフ講座に参加したりもしたのだが、それ以上前進していない現状があった。専門学校の講師はロック畑の人で、講座で学べたのは8の字巻きとかで、そういうことじゃない!と思うところで止まっていた時計をここらで動かせたら素敵じゃないかと。

続いて、仕事まわりのネガティブなほう。フリーライターになるまで転職を繰り返していたことは第1回で白状済みだが、6社のうち最も長く続いたのが4年半で、そしてフリーになってそろそろ4年半が経過しようとしていた。会社員と違って毎日早起きして同じ場所に通って同じ人に会わなくていいし、全体を回さなくてはいけない編集と違って「取材して書く」という切り分けられた仕事だけしていればいいライターは偏屈な私にものすごく合っていたが、それでも飽きと疲れが出始めていた。

町田麻子、4年半限界説。

それに、フリーになったばかりの頃はどんな仕事でも受ける態勢でいたのだか、5年近くもやっていると無理して受けたところで大した対価(原稿料、やりがい、人脈等)が得られない案件の見極めなんかもつくようになってしまい、わがままを言い始めて仕事が減っていたことも否めない。だからといってもう転職はし尽くしたし、今さら別ジャンルの案件を求めて新規開拓するのもしんどいなという状況下、空いた時間を埋めるものとして、勉強するというのはとても案配の良いアイデアに思えた。

そして最後に、仕事とは関係のない理由。単純に、昔から音楽を聴くのが異常に好きで、音楽の持つ力の大きさに畏敬の念すら抱いている。頭の中では24時間なんらかの短いフレーズがエンドレスリピート再生されているし、死にたくなってもカラオケに行けばある程度回復するし、ミュージカルに限らず演劇や映像作品を観たって、私に感動をもたらすのはいつだって音楽だ。私はそれを、ずっと万人がそうだと思って生きてきたのだが、そうでもないことに気付き始めていたのだ。

音楽とは、一体何なのだろう?

頭の中で音楽が鳴っているのは普通でも、24時間となると普通ではなく強迫神経症の一種であるらしい。歌うことではなく、踊ったり食べたりすることで生きる意欲が湧く人も多いようだ。万人が音楽に反応する体だったら、ミュージカルはもっと流行っているはずじゃないか。さまざまな気付きによって巨大化・抽象化したこの疑問をひもとくためには、もう包括的・体系的に学ぶしかない→そうだ、大学に行こう!というのが、今回の初期の思考回路であった。

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