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「ちょっと思い出しただけ。」きっと、そんな日々を生きていくんだろう。これからも、ずっと。



東京タワーが好きだ。

ただほんと、それだけの理由で、映画「ちょっと思い出しただけ」を観た。予告の節々に東京タワーが映るから。




" ちょっと思い出しただけ "

観終わった後に、本当にタイトル通りの感情になる映画だ。

来月、私の元カレと私の親友が、結婚する。

もっと言うと、17から22歳までの6年間の青春を捧げた私の元カレと、小学校1年の時「ともだちになってください」と手紙を渡して以降、20年という月日を共にしてきた私の親友が、来月、結婚する。

その報告を受けても揺さぶられる感情はもうなかった。本当に。お幸せに、と。素直にそう思った。

だけど、


ただ、ちょっと思い出しただけ。


***


映画は、2人が別れた後の2021年7月26日の世界からはじまった。そこから1年ずつ遡りながら、過去6年間分の、2人の『7月26日』が描かれていく。


2021年、東京はオリンピックの最中だった。
タクシーには飛沫感染を予防するためのビニールが貼られ、夜中に出歩く人は少なくなり、みんながマスクに慣れすぎて柄付きのマスクでおしゃれを楽しむまでに、日常が変化していた。

誰もが、それを見ただけで、これはコロナ禍の今だなと、そうわかる映像だった。

たいていの映画が、とある物語の始まりから終わりまでを丁寧に描いていく。そして主人公に共感したり、その人生を疑似体験している気持ちになったりしながら泣いたり笑ったりできるのが、映画の醍醐味だ。だけどこの映画の構成は、現在→別れ→出会いへと逆説的に描かれる。現在から一年ずつまるでフィルムを巻き戻すかのように、映画は進んでいくのに、物語は戻っていく。

照生の朝の日課は、ねこのもんじゃに餌をあげること、観葉植物に水やりをすること、ラジオに合わせて朝のストレッチをすること。別れた後の映画序盤で隣に葉はいないけれど、それが体に染み付いた照生の日常の習慣なのだと分かった。6年という日々が、当たり前にした日常。元々は葉が隣にいて、一緒に繰り返しながら習慣化した日常。

葉のLINEのアイコンが、別れた後の世界でも、照生と一緒に飼っていたねこのもんじゃのままになっていた。それをナンパ男に指摘されて気が付くまでは、本当に当たり前すぎて気にもとめていなかった。未練があるとかそんなじゃなくて、それが葉のLINEのアイコンだという、ただそれだけだった。「元カレと一緒に飼っていた猫の写真」じゃなくて、それは本当にただの葉の日常だっただけ。指摘されてはじめて、ちょっと思い出しただけ。

そこに相手がいなくとも、日々は過ぎていく。2人の過去の上に、今の自身の日々がある。自分の日常が繰り返されていくように、別れた相手にもまた、日常が続いていく。相手と過ごした日々がそこで一時停止しているからこそ、別れた相手はその時のままで記憶に残り続けるけれど、決してそんなことはなくて、それぞれ自身の人生を、みんな、毎日進めているんだ。

1人の人間と人間が出会い、婚約めいたことまでして浮かれて、愛なんか誓い合って、それでもそんな2人の間にもいつしか隙間風が吹いて、風の通り道が広がっていくように少しずつできた溝は、いつの間にか埋められないものになっていて。

あぁ、結婚って難しいよね。愛ってなんだっけ。他人同士が家族になるって簡単な事じゃなくない?当たり前かのように結婚していくみんなは、20代前半の楽しいだけの恋愛から、どうやって家族という形になろうと変わることができたの?結婚報告だらけのInstagramが、今度は赤ちゃんの写真だらけのInstagramに変わっていくのを傍に眺めるとほんと、わけ分かんなくなるから見るのやめた。

幸せ?と聞かれたら、幸せ、って答えておく。幸せの形がどんなかなんてわかんない。今の彼氏と付き合って4年が経った。4年間も愛してくれる人がいて幸せじゃないなんて言えないけど、現実的な彼だから、いつの間にか私も現実的になった。
「結婚したいと思える人じゃなきゃ付き合わない」なんて言ってたの、いつの話だっけ?
「未来のことなんて何も分からないじゃん。結婚するかどうかなんてその時になってみないと分からない。」って、いつからそんなふうになったっけ?


来月親友と結婚する元カレは、口を開けば「結婚しようねー」と軽々しく言ってくるようなやつだった。6年もの間に、たぶん4、5回は別れを繰り返した。毎回私が振るのに、そのたびに「俺んとこ戻ってきて」「また1から始めよう」「メメがいいの」「メメじゃなきゃだめなの」って、繰り返して迎えに来てくれるようなやつだった。


あぁ、ほら。映画観ながらちょっと思い出しちゃうのは、物語が一緒に、ちょっとずつ過去へと巻き戻されていくせいだよ。

あんなに幸せだった日々があったのにね。
あんなに愛おしく感じていたのにね。
あんなふうに出会えたのにね。

最後、6年前の7月26日に戻るまでの過程で、気がつけば、少しずつ心にガチガチに創ろうとしていた「そろそろ結婚しなきゃ」とか「子供生むなら人生設計は早めに」とか、そんな誰かのための在るべき形みたいなものがなんにも無かった時代まで、心がタイムリープしていた。ただ、好きだけで恋できていたあの頃まで引き戻されていた。将来のことなんてこれっぽっちも考えずに、ただの今その時の愛しいという感情だけで「結婚しよーね!」って言いながら大きな口開けて笑い合えたあの頃に、引き戻されていた。RADWIMPSのふたりごとの『君と書いて「恋」と読んで 』と『僕と書いて「愛」と読もう』に別れた歌詞画を、ふたりで待ち受けにしただけで本気で喜んでたあの頃に、引き戻されていた。

恋愛してるだけの楽しい時期に、照生と葉が「この星に2人だけしかいないみたいじゃない?」ってはしゃいでるのを眺めながら、「あー、若いなぁ。そんなこともう思えないなぁ」って俯瞰してた自分が、物語の終盤には、世界に2人だけしかいなかったらなんて、本気で思えるような恋愛を、もう越えちゃったのかもなって少し、寂しくもなった。

映画の最後にタイトルが文字として現れたとき、そっか。作品の中で伏線を回収するんじゃないんだ。観た人が、一人一人、それぞれの人生を回顧して、自らの人生で伏線を回収していく。これは、そういう映画なんだなって、そう感じた。

巻き戻せば恥ずかしいことばかりで早送りしたくなる



***


この映画は、1曲の歌が生んだ。

その歌の名前は『ナイトオンザプラネット』。

クリープハイプの尾崎世界観が、コロナ禍で10周年ライブが延期になったその日にできたサビの部分から、この曲が生まれたんだって。

アーティストってすごいよね。

誰のせいでもないのにライブが中止になって、どんなに悲しみに暮れたって、その悲しみの感情を歌に変えちゃうんだもんな。その歌を、盟友に「どうにか映像にできないかなぁ」って送ったら、本当にどうにか映像にしちゃう監督がいるっていうのも、さらにすごいんだけど。そんなことってある?

元カレと親友の結婚報告を受けて、思わず友達に「結婚するんだってー」って送ったLINE。既読3秒でかかってきた電話で、友達は「それ本当に親友かよ」ってゲラゲラ笑ってた。そんで爽快すぎるくらいはっきりとした口調で、「あんたの親友は私でしょうが!」って続けて言った。

「なんでうちら結婚しないんだろうねぇ」
「類友だからじゃん?」
「なんで天才アーティストの尾崎世界観には敏腕映画監督の友達がいるんだろうねぇ」
「類友だからじゃん?」
そんな会話で、ちょっと空が明るくなるくらいまで笑い転げていられた。


映画を観終わった後に、ちょっと思い出したこと。元カレとの最後の会話。


「東京、行こうと思ってる。」

「いいんじゃない。
行きたいなら行ってみりゃいいよ。
行ってだめなら戻ってくりゃいいじゃん。」

あの時私は、ほんの少しでも引き止めて欲しかったのだろうか。

照生と葉が別れる時に、タクシーから照生をおろして葉が言った「いや追いかけてこないのかよ。」って言葉で、この情景をちょっと思い出していた私がいたということが、その答えなのかな。

照生が葉に告白する時に、タクシーからおりようとした葉の手を掴んで「伝えたら、壊れちゃうんじゃないかと思って」と引き止めた時、葉は「なにこれ、恋愛映画みたい。」って笑った。「映画なら、いいかんじの音楽が流れてるシーンだよ。」って。


私が上京することを心に決めて、元カレが私の車から降りようとした時、振り返って「ま、見送りくらい、行ってやってもいいけどね。」って言った時、6年間の全てが完結したって思えて笑った。なにこれ、恋愛映画みたい。それも、最高の別れのシーンじゃんって、思った。最後までかっこつけピーマンなんだよほんと、変わらないね。変わらないままでいてよ。そのままのあんたを、愛してくれる人が、きっといるよ。

「来なくていーよ!」

そう言って、笑顔で車の扉を閉めた。お互い6年間でいちばんの笑顔だったかもしれない。その時言ったバイバイの言葉が、本当の意味で、一生のバイバイになったけど。


結婚相手、なんでよりによって親友だったん?
そのままのあんたを愛してくれる人、もっと遠くにいてくれても良かったよ。なんて、思わなかったと言ったら嘘じゃない。そんなのほんと、私の思い出としてとっておきたかったっていうただのエゴ。

ねぇ。親友のインスタ、私の写真めっちゃ載ってるけど大丈夫そ?私のこと思い出さない?

思い出さないよな。

結婚、だもんな。

上京したことで、元カレとも親友とも、物理的距離ができた。コロナのせいってことにして、欠かさず行ってた親友との年1旅行は途絶えた。

きっとコロナのせいにして、結婚式にも呼ばれないし、コロナのせいにして、赤ちゃんにも会わないんだろう。

それでいい。


大丈夫、LINEも電話番号も消したから。

こんな頃もあったよね。
大丈夫、そんな感情しか生まれない。
この頃に戻りたいとは決して思わない。

けど、ちょっと思い出しただけ。

ちょっと思い出しながらそんな思い出も、笑いながら削除ボタン押せたのはきっと、全部笑い飛ばしてくれた、大人になってからできた"親友"のおかげなんだろうな。


夜にしがみついて 朝で溶かして




本当にこんな2人がいたんだろうなぁ。
どこかに今日も、こんな2人がいるんだろうなぁ。
2人の6年間の7月26日。
毎年よかった。
良かった時も、悪かった時も含めて。

映画だから壮大にしなきゃだとか、映画だから泣かせなきゃとか、ここが見せ場だとかクライマックスはここだとか、何か大スクリーンに見合う事件を起こさなきゃとか、そんなのが何ひとつなくて、ただ、本当に素直で正直な、7月26日。


大切な映画が、また一本増えました。

松居監督。
「きっと花束みたいとか⾊々⾔われるんだろうな。⾔われるよもう。⾔われる前に⾔うよ。でも当たってるしなぁ。そんな迷いにこの先何度も包まれる気がするけど、それ以上に、かけがえのない優しい想いに包まれる人に届いたらいいなと思います。」
って、言っていたでしょう。

私ね、観終わった後、真っ先に、東京でできた初めての友達に送った感想が、これでした。


別に比べるとかじゃないけれど、監督自身がそんな風に言うんだもん、こんな感想だって、別にいいでしょう?笑


最後に、何気ないシーンだけど私の中ではとても大切になったこのセリフを残そうと思います。

タクシー運転手の葉が「この仕事の何がいいの?」ってお客さんに聞かれるシーン。そこで葉は、「どこかへ行きたいけど、どこに行けばいいかわからないじゃないですか。タクシーは、お客さんが目的地を決めてくれて、ずっとどこかへ向かい続けることができる。それが楽しい。お金とかじゃなくて、単純にこの仕事が好きなんですよね。」って言うの。


塾に行くのにタクシーを使う小学生。21歳誕生日、人生最高ですよって笑いながら精神安定剤飲んでる港区女子。離婚した酔っ払いに浮気男。

東京の街に溢れ行くタクシーは、いろんな人の人生を乗せて、目的地まで走ってんだなって思った。
人を乗せる仕事。人を目的地まで送り届ける仕事。
それと共に、その人の人生も、次の目的地まで繋げる仕事。

葉らしい仕事だった。

葉がタクシー運転手だということだけで、詳しい説明なんて何も要らない物語の軸が伝わった。

「大成功だよ。あんた最高だよ!」って。
松居監督に向けて、こんな友達みたいに話しかけてるけれど、勿論全く知らないし、むしろ雲の上のような人。だけどさ、これだけは聞いてよ。レイトショーで入った会場は公開2週目にして満員御礼で、コロナ禍で本当はいけないんだろうけど、上映中3回くらい観客全体が「フフッ」って笑い声こらえられないどよめきがおきてたんだよ。ほんとそんな、ハートフルな映画体験をありがとう。

映画館価格のバカ高いプレモル買ってさ。
それがめちゃくちゃ大正解だったんだよ。
アルコール無しに見てたら、間違って泣くとこだったかも。
んーそれも、ないかな。

なんせほんと、


ちょっと思い出しただけ。



このまま時間が止まればいいのになって思う瞬間が
この先つま先の先照らしてくれれば



思い出せないことと、忘れられないこととが、⼈⽣そのものをかたどっているように思います。過去に
しがみつくではなく、過去を無かったことにするではなく、全ての地続きに今があると信じています。あらゆる⼈の⼈⽣の過去が、その⼈の⼈⽣にあったことを感謝出来ますように。過去と今が、無かったことになりませんように。

池松壮亮 





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