(ライフ)都心タワマンの幻想と、ママ友との飽くなき競争
おはようございます。
すでに売却済み、というか、いろいろと嫌になってさっさと売っぱらいましたが、都心にあるとある高層タワーマンションの1室に、5年ほど住みました。
清水の舞台から飛び降りるつもりで買った当時、同じマンションで周りに特段知り合いはおらず、もちろん住宅ローンを組んだものの、ゆうに億は超えており、「げ。高い・・・」と涙ながらに思いながらも、
「自分もこれで高層マンションの民か・・・(人生上がったな)」
などと、購入後に部屋から夜景を眺めながら、ワイングラス(に入った水)など片手に夫婦で思ったことを思い出します。
この時の選択はある意味正解でした。家を保有しているだけで、時期が良く価値が上がったからです。
が、これがすべての「元凶」なのであり、その後、「昼顔」(見たことないですがこれは不倫系?)ばりのドロドロのマウント合戦が繰り広げられるとは知らずに・・・。
ということで、その後、ママ友や職場の同僚など、様々な方と同じマンションになりましたが、タワマンを観察して気づいたこと、また、ゴミのような「階層マウント」から無事に脱出し、人間らしい生活を取り戻した話について書きたいと思います。
タワマンに住む予定の方、住みたいと思っている方は、くれぐれも、お気をつけくださいね。
タワーマンション=田舎者の「憧れ」
私も夫も、出身は田舎です。
タワーマンション、それは田舎者にとって「ドリーム」です。
素敵なコンシェルジュ、豪華な共用部分、ジム、プール、なんといっても高層階の夜景。
一歩外に出て見上げると、威圧感すらある建物。
それは、都会の象徴。新築タワマンを売るためのホームページが
「〇〇に住まう」
というマンション宣伝以外では決して使われない、「謎の文言」がちりばめられていることからわかる通り、
田舎者は「都会に住まう。」が大好きです。
若い田舎者は、例にもれず「いつかこんなホテルライクな素敵な場所に住んでやる!」と思っていました。
というのが実際、わたしたち夫婦でした。
実家は、地方戸建て・周りは住宅街か田んぼ育ちの民です。
大きくて、背が高いタワマンは、隣にある小さくて小ぢんまりしたマンションに賃貸で住んでいたころと比べると、「夢の場所」に思えました。
わたしたちは、随所の海外を放浪したのち、日本に帰国することになり、都心のタワーマンションを購入する決断をし、売りに出ていた20階の部屋の契約書のハンコを押しました。
業者が安く仕入れて、今思えばかなり安っぽくて適当なリノベを施した、2LDKの部屋でした。
20階のお部屋、狭い窓から眺める夜景を、心から楽しみにしながら。
香港に住んでいた際には100階ビルもあり、今思えばまったくもって、そんな数十階の間の、みみっちい話ですが、その狭いコミュニティで繰り広げられる世界は、まさに社会の縮図でした。
タワーマンションという「幻想」
タワーマンションのすごいところは、「共用施設」と「ホテル並みのサービス」です。
よくわからないけど24時間いる管理人やコンシェルジュ、
毎フロアにある捨て放題のESGではないごみ置き場、
ジムやプールやスパ(?)、クリーニング、タクシー配車、宅急便などなど、至れり尽くせりです。新聞も各戸に届き、ゴミ置き場は粗大ごみまで好きなときに置けるようになっています。
タワマンは世帯数が多いことから、共用部分にもお金をかけられますし、管理修繕費も頭数が多い分、安く済みます。
ちなみに、「素敵なホテル生活」だったのは、最初の1年のみでした。夜景に慣れてしまうと、そもそも「壁」となり、特段景色を見ることもありません。
たまに、綺麗な朝日や夕日が見えることに癒されていました。
「上の民」と「下の民」
タワマンにはエレベーターが複数ありますが、高層階用と低層階用に分かれています。
高層階用のフロアは高級感のある絨毯で、下の階のフロアはちょっと薄い色の絨毯だったり、壁紙だったりで、差別化されています。
最上階になると、プレミアムフロアのような名前がついています。
私は同じマンションに賃貸で2部屋住んだことがあり、「高層階」が1回、住み替え後、「低層階」が1回でした。
これで気づいたのは、「上の民と下の民は、何かが違う」です。
そこそこいい立地なので、同じような人が集まっているのかと思いきや、ゴミ出しや、エレベーターで一緒になったときの挨拶の仕方、共用フロアの汚れ具合など、「上の民と下の民」には雲泥の差がありました。
まず、上の民はエレベーターに乗ると丁寧に、挨拶をします。
なにか「ゆとり」のようなものを醸し出しています。
ゴミ出しも、上層階に行けばいくほどきっちりしています。
騒音についてもある程度相関関係があります。
下の民の「優越感」
細かく言うと「下の民」の中にもランクのようなものがあり、ちょうど「下の民」専用エレベーターの上の方の階の部屋(30階建てなら14階)を購入したため、下の階で何度もエレベーターが止まったりする一方、乗ってきたり下りてきたほかの階の住民から
「おはようございます」
「お先に失礼いたします」
「失礼いたします」
といった言葉をかけられることが多くあります。
下の民は下の民で、「優越感」を感じるポイントがありました。
今思うと、エレベータートークなんて、正直どうでもいい話なのですが・・・
このころは、「下の民の中の下の民」が挨拶もしないことに憤慨していたりするという、狭いタワマン思考でした。
よく考えたら、「上の民」と「下の民」の違いも、今思うと自分の「思い込み」だった可能性もあります。
「コンクリートの塊」の正体に気づいてくる時
私は二拠点生活をしており、週末は東京にいないのですが、ある時を境に激務から不眠になってしまいました。
そのときに気づいたのは、田舎は虫の音、カエルの合唱、鳥の声、木々のざわざわ、風の音、雨の音など「雑音」があるにもかかわらず、よく眠れてリラックスできます。
暑ければ窓を開けることができますし、オイルストーブをつけてみんなで暖をとることもできます。
タワマンに戻ると、なぜだかそわそわしてしまって落ち着かず、さらに眠れないのです。
また、たまに大きな地震があると、タワマンは大きく揺れます。
しかも、ゆらゆらと長い揺れが続きます。
だんだんと、武蔵小杉のタワマンで起きた件ではないですが、
「タワマンで地震や火災になって逃げ遅れたらどうしよう」
「水や電気がとまってトイレに行けなくなったら、どうしよう」
「機械式の駐車場が水没したらどうしよう」
などとタワマンのネガティブポイントが気になるようになってきました。
よくよく考えてみると、タワマンはスケルトンにすると、
「自分の上下左右に人がうじゃうじゃといる」状況です。
考えてみると、人類史上、異常な状況です。
わたしの上でも下でも人がたくさんいるため、壁越しに「気配」が伝わってくるようで、おそらく落ち着かない、だから不眠だ、という結論に達しました。
隣人の生活音もたまにガタガタと、聞こえてきます。
週末に田舎だと眠れるため、眠れない原因はそれかと思い、3年目の終わりごろからは、だんだんと低層マンションか戸建てに移りたい!という気持ちになってきました。
あれほど憧れていた夜景も、もはや完全に壁の一部。
家族もプライベートな空間が少なかったため、「引っ越したい!」と言うようになりました。
そもそも、子どもの走り回る騒音や楽器で隣室から注意も何度か受けており、だんだんと「苦情以外ほとんどない」近所づきあいに嫌気も指してきました。
同じフロアの部屋の住民について、5年住みましたが名前すら知りませんでした。
密封性が高いというちょっとした、不便
高層マンションの場合、飛び降りや事故防止なのか、窓が数センチしか開けられず、換気ができません。暑くても、クーラー一択です。これは最初気にならなかったのですが、だんだんジャブのように効いてきました。
もともとの風通しの良い実家の戸建てに慣れていると、息苦しくて仕方がなく、窓を開ければ排気ガスや車の音なのです。
通気性がないので、魚を焼けば共有の廊下一体が魚臭くなります。
道路沿いなので救急車や車の往来の音も、二重窓なのに夜中まで聞こえます。
災害時には機械式駐車場から車も出せず、そもそも外出するために車を出すのにも時間がかかる。
こうした、ちょっとした不便が目に付くようになります。
人とたくさんすれ違うので、挨拶が面倒だったり、上下階層の関係が気になったり、いちいち「いってらっしゃい」などと言ってくるコンシェルジュの存在まで、邪魔に感じるようになりました。
このコンクリートの箱・塊での暮らしが人間らしい生活なのか?と疑問に思うようになりました。
引っ越してくるママ友たち
だんだんと保育園で友達になったママ友が、数家族引っ越してくるようになります。
別のマンションから、私たちよりも上層階に引っ越してきたり、
例えば、「下の民」で賃貸していた家族が、部屋を買って突如「上の民」になったしります。
そうすると、お互いのホームパーティで、「上層階の民」の態度がちょっと大きくなったことを感じたりします。
上層階の民は、「エレベーターで降りるのに時間がかかって仕方がない」というようなマウントをします。
下の民は、「災害時、高層階だと大丈夫ですかねえ?」とちょっとマウント取り返します。
「うちはこれだけ夜景がきれいに見える」
「うちは、こんなすごいリノベをした」
「うちは、車を持っているけど機械式駐車場ではなく、平置き」
などなど、エンドレスに(住居者以外には大変わかりにくい)タワマン区分保有者の「マウント合戦」が始まります。
私はそもそも週末の家を本宅、タワマンをセカンドハウスにしたいくらい、愛着がなくなってきていたため、マウントには適当に相槌を打っていました。
それでもだんだんとこのパワーバランスにうんざいりしてしまい、コンクリの塊に過ぎないのではないかという気持ちが消えず、最終的に低層マンションに引っ越しをすることになりました。
一番ひどいケースで、同じマンションで広い部屋を賃貸していた家族が、私たちの家を見に来て「意外に狭いんですねえ」といった顔で見て帰るというもの。
上か下か、広いか狭いか、そんなどうでもいいマンション内の争い、コンクリートの箱に詰め込まれているために比較が起こる必然であり、とても小さい世界で不毛なものだと思いましたが、抜け出し方がわかりませんでした。
半年近く物件を探し回りましたが、なかなか見つからず、辛い日々を過ごしました。
気候の良い春や秋になるたびに、「空気が欲しい・・・」と宇宙ステーションにおける生活のような気分になっていました。週末に感じる風や季節の変化を楽しみに生きていました。
本来は人生「上がり」だったはずのタワーマンション。
結局、その実情を知り、引っ越すことになりました。
諦めかけたところ、いいタイミングで世帯数の少ない低層マンションに「逃げるように」移り住みました。同じタワマン住民である友人たちにも事後報告でした。
人間の生活を取り戻した!
引っ越した先は数世帯ほどの小ぢんまりしたマンション。
管理人は時間単位でいるものの、出かけるたびにコンシェルジュに「おかえりなさいませ」や「いってらっしゃいませ」は言われない、エレベーターで人にはほぼ会わない。かわりに、ジムやラウンジなど豪華な共用施設もありません。
クリーニングサービスや配車、宅急便がない、など不便な点はありつつも、タワマンのころのように、家に帰る間にたくさん人に会ったり(ほぼ、無視される)、人の気配がするストレスからは解放されました。
外出時のストレスなく、楽にできるようになります。
たまに会う隣人とも仲良く声掛けします。
騒音もこれまで一切苦情にはなっておらず、ゆるく各戸がつながっているような、居心地のよい空間です。
低層ですが、まわりにはそこまでさえぎるものがないので、窓を開けると鳥の声も聞こえますし、風も通ります。
窓を開けられるという自由、最後には「監獄」にすら感じたタワマンの密封性、コンクリートの箱にすし詰め、意味のないマウンティングからは解放されました。
まるで、「都落ち」
逃げるようにして売却した、夢のはずだったタワマンの1室。
たまに前住んでいたタワマンの横を通ると、やはり荘厳で、どっしりしていて、「いいねえ」と思う時はありますが、あの内部抗争(上と下の優越感マウント合戦)は二度と経験したくないと思います。
コップの中の嵐というか、正直どうでもいいことに神経を使っていた気がします。
タワマンの友達とは、まだ仲がいいのですが、狭い世界で戦うことの不毛さを身に染みて感じました。
都会のよさはもちろんあると思いますし、土地が狭い東京で家を見つけるとなると、タワマンが選択肢になることもあると思います。
それでも、こんな風に感じて、タワマンを辞めた人もいる、ということを知っていただけたら嬉しいです。
皆さんの参考になれば幸いです。
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