見出し画像

介護者に3㎜の隙間を

大学の授業で認知症の医療とケアについて学んでいます。

認知機能の低下(中核症状)とBPSDの(周辺)症状について、脳の萎縮箇所から、医学的な診断基準や問題行動とされる行動の捉え方について徹底的に詰め込まれています。

BPSDという概念が私はあまり好きではないのですが
「暴言・暴力(大声を出したり、つかみかかったりする行為など)についてその原因や理由を理解しましょう」という形で取り扱われたため、違和感を感じながら講義を聴いています。

身体的要因、環境的要因、心理的要因、個人的要因といった分類の考え方についてはなるほどと感じましたが、
「だからなに?」とそこから進まないのが悩みです。
先生によればこの4つの要因分類をもとに、予防策を検討するのだそうです。

これはあくまで私の私見ですが。
見当識障害があるから、しょうがない。
この人は認知症だから、介護者は何を言われてもしかたがない。
それはまったくもって別物だと思います。
これは、ケア提供者に限らず
医療提供者や障害児・者のご家族も同様のことがいえるのかもしれませんが
暴言や暴力、ダメなものはダメなはずなんですよね・・・。
どうして利用者の、本人の尊厳は守られて
サポートする側の心身への負担には目を向けられないのでしょう?

利用者への暴言・暴力は虐待にあたり、責任の所在を問われるのに、利用者からの暴言・暴力は「症状だからある程度はしかたがない(?)」

介護福祉や精神科医療の歴史を学んでいると
集団収容、薬での鎮静化、身体拘束や体の抑制などの対応が主流だったことがわかります。

それが問題視されはじめ、利用者(患者)の人権が騒がれはじめ、減らしていきましょうという動きになりました。
苦情相談窓口も都道府県に開設されています。

利用者主体に光があてられたとき、その影には介護者の守られなさが混在するのではないでしょうか。

もはや、「利用者優位」ともいえるかと思います。
「自分は利用者だから何を言ってもいい」と誤学習してしまう方もおられるようです。
服薬したか確認するために職員が声をかけたけれども、「うるせぇ!見ればわかるだろ!いちいち聞くな」と怒り出す利用者さんもなかにはいらっしゃるそうです。
基本的には、支援記録に記入するためには服薬の確認は必須なので
本来は、管理者やサービス管理責任者らが「なにがいやなのか」を聞き取るなどして、例えばお薬を服薬したら「服薬しましたカード」をお薬カレンダーのようなものにいれるといった仕組みづくりをすると、可能性が開けるのですが・・・。
そこまでの人を割けない、時間がない、特段そういったアイデアは思い浮かばないといった理由なのか、とにかくそこまでの専門性は望めないと。


オリジナルの服薬確認カード(律(りつ)作)


どんなに仕事と思っていても、出勤する度にキレられたら、心がえぐられること、「やってらんない」と投げやりになることもあるのでしょう。

そりゃ、離職しますよ。と言いたくなってしまうお年頃(?)です。
職員がいなくなって困るのは、空っぽになって埋めていくのは、別の職員。
1人にしわよせがいくんですよね。
特に管理者とサービス管理責任者は、圧倒的に足りておらずどの事業所も求人を常に募集しているような状態です。
福祉や在宅医療の支援者さんを日々見ていて思うのは、「仕事量が多すぎる。ケースが多すぎる」ということなんですけどね。

授業にもちらっと出てきましたが、
特別養護老人ホームや認知症対応型グループホームなど入所施設
を、仕組みを、国が作ったのはいいのですが
人がいない、予算も限られているということで
無法地帯といいますか、ゆっくり話し相手になったり、季節の折り紙を壁に飾ったり、といったことまで手が回らない。食事や排せつの介助で手一杯。
常に忙しそうという印象をもっています。
このコロナ禍でできることは限られていますが、地域のボランティアセンターさんを通じて私も先日、高齢者施設さんに秋の折り紙を届けるという活動をさせていただきました。
こういった形で地域で助け合いができるといいのですが。

皆様、おはようございます。
今日もおつかれさまです。


2022.11.9(水) 律(りつ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?