見出し画像

現代の「生きがい」をめぐって②―生きがいって何?―

今の私たちの「生きがい」とは何だろうか?

前回は『生きがいについて』を著した神谷美恵子という人物の生育歴や時代背景について深堀りしてきました。

今回は、「大人の教養大学」での対話も踏まえながら、本題である「生きがい」とは一体何なのか、考えていこうと思います。

■「生きがい」のさまざま

まず、『生きがいについて』の冒頭で、神谷はこう述べてます。

わざわざ研究などしなくても、はじめからいえることは、人間がいきいきと生きて行くために、生きがいほど必要なものはない、という事実である。それゆえに人間から生きがいをうばうほど残酷なことはなく、人間に生きがいをあたえるほど大きな愛はない。しかし、ひとの心の世界はそれぞれちがうものであるから、たったひとりのひとにさえ、生きがいを与えるということは、なかなかできるものではない

前回の投稿では勉強会の参加者が述べた「『生きがい』ということばが重たい」ことを取り上げました。しかし、神谷は、人の心は千差万別であるからこそ生きがいもまた千差万別であり、その種類や大小、軽重は銘々異なっているというのです。

その証拠に、彼女は「生きがいの対象」という章で、「ひとは一つのことに生きがいを限ってはいない」「情熱とはいえない、おだやかな形のもの」もあると言い、生きがいのさまざまを次のように分類しています。

①生存充実感への欲求をみたすもの
審美的観照(自然、芸術その他)、あそび、スポーツ、趣味的活動、日常生活のささやかなよろこび
②変化と成長への欲求をみたすもの
学問、旅行、登山、冒険、所有物をふやすこと、収集
③未来性への欲求をみたすもの
種々な生活目標、夢、野心
④反響への欲求をみたすもの
ⅰ共感や友情や愛の交流
ⅱ優越または支配によって他人から尊敬や名誉や服従をうけること
ⅲ服従と奉仕によって他から必要とされること
⑤自由への欲求をみたすもの
心の狭さからひろくときはなつように作用するものごとや人物
偉人、偉大な教師、教祖、スター的存在
⑥自己実現への欲求をみたすもの
そのひとでなければできないという独自性
⑦意味への欲求をみたすもの
自分の存在意義の感じられるような仕事、使命
報恩、忠節、孝行
帰依、哲学的信念、宗教的信仰

「あそび、スポーツ、趣味的活動…」などが列挙されているように、日常生活のあらゆる場面で感じられる、ささやかなよろこびもまた生きがいであるし、一つの大きな使命だけが生きがいだとは言っていないことに気づきます。

また、「生きがいと本人すら意識しないほどのものもあ」るとも書いています。

要するに、『生きがいについて』を読んでいくうちに、私たちが「生きがい」ということばを過大にとらえ、ことばのもつイメージをひとり歩きさせてしまっていた感が否めません。(その理由は後で述べます)

近所の人と他愛もない話をした、美味しいものを食べた、道端でかわいい花をみつけた……そういったことの積み重ねを楽しめる感覚を持ち合わせていれば、たとえ無意識であってもそこには「生きがい」があると神谷は言っているのです。

この「生きがいを感じる心」があればこそ「生きがい」が自覚されるのですから、環境いかんではなく、そのセンスが発揮されることが重要なのでしょう。

ユダヤ人であるヴィクトール=フランクルが、強制収容所に入れられ、身体としてはぎりぎりの生活を強いられても、自身が精神科医であるというアイデンティティから、この苦境におかれた人々の精神状態を見渡し、今ともに生きている同志の治癒に役立てるのみならず、収容所から出たら他の人々や後世の人々に絶対に伝えるのだという思いで生き永らえたと『夜と霧』のなかで述べているように、どんなに過酷な環境におかれても「生きがい」をみいだす人はいます。

■「生きがい」への誤解

ただし、神谷は中段の章で「生きがい喪失」について述べた後、後段の章で「新しい生きがいの獲得」や「変革体験」を掘り下げていき、そこで「死との融和」や「人生の意味」「使命感」といったものに焦点を当て、心の社会化歴史化などといった深遠なテーマに迫っていく。

これによって読者は「生きがいは崇高でなくてはならない」という錯覚にとらわれ、刷り込みをされてしまうのだと思います。

第1回で記したように、神谷にとって「人間が最も生きがいを感じるのは、自分がしたいと思うことと義務とが一致したとき」かもしれませんが、必ずしも生きがいが公共的、未来的である必要はないのです。

この点、神谷はうまく伝えきれていないですし、本人も生きがいについて「ひとくちにはいい切れない複雑なニュアンス」があるとして、そもそもまとめられるようなものではないと述べています。

ですから、Marc Winn氏が日本特有の「生きがい」をあらわしたベン図(下図)が巷で取り沙汰されていますが、上記を踏まえると「生きがい」について初めて焦点をあて、「生きがい」とは何たるかを日本人に再認識させる契機をつくった、いわば先駆的「生きがい」論者たる神谷のいう「生きがい」を誤って解釈しているといえるでしょう。

そうでなくとも、そもそも稼げなかったら生きがいではないようにみえ、神谷の「生きがい」論を知らない日本人も首を傾げる気がします。

(でも、これを鵜呑みにしている現代日本人もいるんですよね。きっと「ジャポニズムの逆輸入」みたいな自虐史観をもちながらの起業至上主義が台頭しているからでしょう。)

生きがい-910x1024

(日本語訳は山田将史さんのブログからお借りしました)

神谷が言うように、人によって生きがいはさまざまで、ここでは『生きがいについて』第4章の「生きがいの特徴」にある次の6項目程度の認識が、現代の日本人の共通見解としてもしっくりくるのではないでしょうか。

ここから先は

2,460字 / 1画像

¥ 300

サポートいただけると、励みになります。よろしくお願いいたしますm(__)m