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なんか、なんかいいよね。 と思ってしまう


言葉にうまくできないけど、


なんかいいよね、ひとが自然を見てる姿。


みんなと共感ができたら嬉しいな



なにがいいのか、たまに必死に言語化しようと
撮った写真を何十分も眺める時さえあるけど、
まだしっくりくる理由も文章も出てこない。



美しいという事実をうまく言えないもどかしさ。






その人のまわりで起こっていることなんて
分かりもしないけど、どこの国へ行っても



おとなでもこどもでも
ひとりだろうと大勢だろうと


美しいな〜


と毎度感じてしまう。


きっとその美しさをあとから
もう一度浸りたくてきっと私は日頃、
写真におさめているんだと。





身をゆだねているスケール感であったり。

声をかけられないそこだけの世界観というか。


こんなことをずっとずっとぶつぶつ考えているけど
いまだに言葉にできない。


ニュージーランドにいるとよりその美しさを
鮮明に感じるのに、まだまだ私のボキャブラリーでは軽すぎる。


でも心のどこかで、

言葉にできないほど美しいと

納得している自分もいる。





3月、

梅が咲き、桜を待つ、新月の日に


「RINTO」という小さな活動を始めました。

庭づくりだけでなく、


私は人の心と自然の距離を縮めることに強い想いがあります。


庭というのは私の中で一つの手段です。

どちらかというとアートに近い分野が好きで
私にとって欠かせないものを単語で選ぶと

「庭」ではなく、「自然」と「アート」です。



大事なのは物理的環境ではなくて、

その人と自然のもっとパーソナルな関係性に興味があります。

ひとが自分にとって緑が必要と思う起点とか

緑の中にいるときの心の変化だったり

自然の中で、自分と向き合うことであったり

どんなふうにその人にとって自然が存在しているのかとか

そんなもっと心との距離感が
もっとに豊かに育まれたらいいのに

と感じています。



それともっと、生産者さんや石屋さん、職人の方
そこにある伝統や古くさいと言われがちだけど人として大事なこととか、

もっともっとマニアックな人情溢れる世界、
庭ができるまでの、もはや材料が届くまでの
ストーリーをもっともっと伝えられたらいいなと考えています。

いろんなことを乗り越えてきていて、
生き方がかっこいいひとがたくさんいる。

商い一つにとってもその人の哲学があって。


設計の役割で工期や締め切りに追われる大変さを感じる一方で、

私達が工事をできるよう材料を用意してくれる生産の方のような
そこまでの歩みを持つ人はもっともっと辛いということです。


そんな伝えるべきポジションが

「ミドルウェア」のようなポジションにチャレンジしてみたい。


どんな肩書きなのかわからないけど、はっきりした時には
きっともう遅いと思うから、やりながら考えようという飛び込みです。


そう、海外ではみんなトライアンドエラーがうまい。

私がぶつぶつ考えている間に TAKE3ぐらい終えている。


そう、だから始めました。


いつかどこかで共感をしてもらえる人と出会えるといいな。


それまで、トライアンドエラー。




伝えたいことを伝えられる言語化の訓練です。



自然に吸い込まれる時間が好きだ〜。






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