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お母さん。明日はまだは言えないけど、いつか伝えたいことがあるの

「お母さんいつもありがとう。」

今思っているお母さんへの思いは、お母さんに直接は言えないと思う。これを直接言うことはないのかもしれない。

だけど、今日はお母さんのことを考えているうちに書くのが止まらなくなったんだ。

明日は母の日。直接は恥ずかしくて言えないこともある。今まで悔しくて言ってないこともある。親孝行できていない娘かもしれない。毒親って関係なのかもしれない。

だけど、ずっと、だいすきだよ!!

「お母さんと私って独特な関係性」ってことを、他人に”おかしい”といわれて初めて気が付いた

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「精神的虐待をうけてない?」

大学2年の春。初めて他人に「私と母の関係性がおかしい」といわれた。

その時はその言葉がなんで私に言われているかわからなくて、そういってくれた友人に怒りしかなかった。それでその人にぶつかってしまったよ。

「私のお母さんの関係なんてなんであなたに分かるの!」って。

でも、そのあとに少しずつ私と母の関係性について考えるようになった。私とお母さんの関係って普通に円満だと思ってたけど本当は違うのかもって。

だから、他の友人や知り合いに聞いてみたら意外な反応がみんなから帰ってきたんだ。

「のんちゃんの家族ってすこし独特だよね。」
「心配しているのは分かるけどすこし過干渉な気がするよ。」
「すこしおかしいなって感じる部分もあるけど、素敵な家族だよね。」

自分の家族は、普通だと思ってた。嫌、違う。自分の家族が自慢したくてしょうがないくらい大好きな家族だし、そう思っている自分が好きなことに酔ってまでいた。

東京に出てくると核家族ばかりで、”実家の家族のつながり”ある私ってなんで恵まれているんだろうって思ってたんだ。毎年、親族一同で会う機会がある。家族の中で何かあればみんなで一緒に考える。そう感じられる私の家族を本当に誇りだと思ってた。

みんなほとんど半径5キロ以内に住んでいるから、何かあればすぐ会いに行ける距離にお家があるよね。そしてみんなが近くに住んでいるのは昔から。

私が幼稚園に通う時は、おばあちゃんのバイクの後ろにお姉ちゃんと一緒に乗って3人乗りで行ってたよね。もう30年は続けている親族20人とかみんなでする餅つき大会。野菜が余ったら自転車でおばあちゃんがお家まで迎えに来てくれる。おじいちゃんが透析に行くようになってからは、みんなで交代しながら2日1回送り迎えする。お正月にはみんなからお年玉もらいに行くのがすごい好きだった。年末は、親族一同で大きな部屋で夜ごはんを一緒に食べる。

そんな親族のつながりが強い私の家族が本当に誇りであったし、自慢だった。好きだった。


お母さんって毒親だよね。気が付かないうちに、話すのが”怖く”なったよ

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でも、感じ始めたんだ。なんだかしんどいって

最初にその親族のつながりがちょっとだけしんどいと感じ始めたのは大学受験を迷っているとき。

「女の子は勉強ができなくていいから地元にいなさい。」って初めて聞いた時。

結局は頭をなんどもいろんな親族に下げて許しをもらえたから今は東京で大学生をしてる。家賃はだしてくれる。学費は奨学金。だけど全ての生活費は自分のお金。大学の最初の時はいろんなことに飲み込まれそうになって自分のアルバイト代では生きていけなそうなくらいに貧困になりそうだったよ。

「地元じゃなくて、東京にいかせてやったのに。結局、東京で何をしてるかいっそわからないのにやる金はない」

お母さんに怒られてた。それからお母さんは3か月、私の連絡を全て無視したよね。既読さえつけなかった。

そのころから、お母さんには敬語でしかしゃべることができなくなった。お母さんの前だけ言葉に”どもる”ようになったよ。

だから、何にどのくらい使うか、自分の時間を細かく使ってなぜアルバイトが出来ないのか、出費を全て書き出して無駄がないか、伝えた上で”お金を振り込んでください。”と頼むのは結構毎回勇気が要ることだったんだ。

その「お金をください」って電話するときの私は、お母さんに間違いを言わないようにと、全て言葉に発する前に紙に書きだして何度も読み上げて練習してた。

いつしか電話する度に私はお母さんとの会話が”怖く”なったんだ。

「公務員じゃないとだめよ。」
「就活は地元でしなさい。」
「東京の男はだめ、結婚は地元の人ね」
「大学なんていいからかえってきなさい。」

この4つは、私と話すときは絶対言うようになったね。私はそのおかげで、就職を本気で考えていた時、お母さんの道を進むべきか自分の道を進むべきか何十時間も迷ってたよ。

いつしか、気が付いたんだ。おかあさんって「毒親」って。

でも今はこうやってお母さんを考えているときも、お母さんのことを悪く書いている自分がいるんじゃないかって罪悪感で死にそうになるよ。

どんな時も助けてくれるという安心感がある。暖かい家族だけど、どこか母を怖いと思う自分が消えなくなったんだ。


今まで言えなかったけど、わたしはお母さんに謝らないといけないことがあるんだ

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本当は小さいころ、から大好きだったけど、いじめられた壮絶の期間はちょっとだけ嫌いになったよ

だって、私のことを見てほしかったから。

お家が裕福ではないのも知ってる。だからお母さんは働きに行ってたよね。私が小学校のはじめに家を建てたからかな。3人も娘を育てて本当にすごいと思う。お父さんとお母さんは本当に一生懸命働いてたよね。

朝7時30分には、お父さんと子供の支度を全て済ませて、その上にお母さんの支度を全て済ませて、急いで遠くの職場まで行ってたよね。帰ってくるのは夜の8時すぎ。そこから家事を全てやってへとへとで寝てたの知ってたよ。なのに土日は私たちを外にたくさん連れて出てくれたよね。

なのに、私は、小さいころから”忘れ物”をよくしてた。そのたびにお母さんはお昼ご飯を食べずに私の忘れ物を届けてくれたのを覚えてるよ。

私ね。小学校の時に私は結構ひどいいじめにあってたんだ。今でも思い出すよ。

身体中つねられまくって服で隠れた腕の部分とか、太ももとかアザだらけだったんだ。牛乳もたくさん投げつけられた。人の宿題もたくさんした。黒板に名前と「しね」ってよく書かれた。机の上に花瓶がおかれたり、つばを吐かれたり、

でも、そんなの全然我慢できた。辛かったけど、ぎりぎりこらえられたんだ。

私には、今まで言えたことがない本当は謝らないといけないことがある。

それは、いじめっ子が私の家を荒らして帰ること。そして私からお金をとっていること。

小学校ってなんであんなに終わるのが早いんだろうね。私はかぎっ子だったからいつも鍵をぶら下げて帰ってた。私をいじめてた人たちもそれを知ってたんだ。

だから、私のお家についてきてたんだ。建てたばっかりのお家に。

新しいお家なのにいつも土足で入って下駄箱からぐちゃぐちゃにしてた。お家の好きなお菓子やジュースをさんざん食べ飲みして帰ってたんだ。

私はお母さんやお姉ちゃんが帰ってくるまでに何とかしなきゃいけないと思って全力で片づけていたよ。靴箱は何とかなった。床もぞうきんでふきまくった。わからないように乾拭きまでしっかりした。

でもね、お母さんが大事にしてたティーカップを割ってしまったのは、私じゃないんだ。手が滑って割ったんじゃない。私が悲しむのを知ってあの子がやったの。

あの時は、悲しくごめんなさいしか言えなかった。だってお母さんは絶対大丈夫だよって言ってくれるんだもん。本当はあの日に全部言い出したい。

「助けてほしい」

めちゃくちゃ言いたかったんだ。でも、お母さんが悲しむ顏や辛い顔をするのに、私が理由になってほしくなかったんだ。もう十分私がお母さんを悲しませてるのかもと思ってたから。

一所懸命お母さんが働いているのも知ってるから、お金をとられるのもしんどかったよ。でも生きるのに必死だったんだ。それを渡さないと私は明日どうなるんだって怖くて怖くて。

その時の私は、本当に弱くて、この世界から隠れさせてほしいと毎日寝る前に思った。

だから、本当にごめんなさい。

おかあさんからもっと愛してほしいなんか思わない、ただお母さんの悲しむことを私はたくさんしてしまったんだ。


最近は、お母さんの”老い”を感じるようになってしまって涙がでるよ

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電話をするとき、いつも目をすぼめるようになったよね。老眼がだんだんひどくなってきてるんだね。

それでも私のことを心配してくれていつもラインをくれる。この前大きな手術をしたっていうのに、私の心配ばかりだよね。

おばあちゃんが認知症だからそのお世話をするのが大変なのも知ってる。お父さんはすこし亭主関白な感じがあるから家事が大変なのも・・・

それを手伝ってほしいって意味も込めて帰ってきてほしいんだよね。うちは女の子3人だもんね。だからさみしいってのもわかるし、毎日が本当に大変なのも知ってる。

本当に心の底から地元に帰ってきてほしいっていうのも知ってる。でも帰らないって言ってる私は親不孝なのかな。

わたしの幸せを思って地元の男の人と付き合ってほしいってのも知ってる。でも私は、ありのままでいいひとを見つけたいんだ。

お母さんの昔の写真見るたびに思う。めちゃくちゃかわいいって!あといつも隣にイケメンがいるよね笑

私が中学生の時は、「ダイエットしなきゃ!」ってウォーキングしたり、一緒にテニスしたり結構活動したりしてた。でも、もう「足腰いたいから」って運動はしなくなったよね。

おしゃれな服を買いに行こう!って言ったら、着ていくところがないから私の服を買いに行こう!っていうよね。私はお母さんに前みたいにおしゃれして外に遊びに行ってほしいよ。

行く人がいなかったら私といこう。どこでも探せるし、おかあさんでも楽しめるプランを考えるよ。一緒にいつでもいこうよ!

おしゃれな靴も履こうよ!お母さんの洋服のセンス大好きなの。本当にかわいいって思うし、私がはいてて褒められることも多いよ。

だから、お母さんはいつまでもお母さんなの。大好きなおかあさんだし、かわいくて自慢のお母さんなの。

よくわからないけど、「老い」っていうのを感じることが多くなって涙がでちゃうや。でも、言わせてほしい。

何をするにしても年齢なんて関係ない。いまでもすごく素敵な女性にみえるよ。


お母さんいつもありがとう。おかあさんの娘に生まれて本当に良かったよ

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大学生最後の年になりました。

もう22歳になりました。最近になってやっとお金を稼ぐのがいかに大変なのかを実感するようになりました。

お母さんの昔の写真を見るとめちゃくちゃ美人だなって思うよ。私も少しは受け継いでいるかな。

最近はよく「美人だね。きっとお母さんが美人なんだね。」って言われるよ。

お母さんの30年前の服とか着ちゃうぐらいスタイルばっちりだよね。お母さんはもっと胸がなくて知的な感じだけど(笑)

本当に、お母さんから生まれてきて本当に良かったって思うことばかりなんだ。

結構変わってる性格してる、手のかかる子なのかもしれない。おかあさんの望む女の子にはなれてない。でも、今の自分が大好きだしだし、それなりに努力出来る、行動力のある、結構いい人だと思うんだ。

お母さんがしっかり私を育ててくれたおかげで大学で勉強している今がものすごく楽しいよ。

毎日すごく楽しいって感じるのはお母さんのおかげだと思う。

そんな自分を自分で誇りに思うよ。そして、自分のことを愛してるよ。

おかあさんのことはいつまでも大好きだし、いまでもおかあさんの手を握って歩きたいって思う。

正直、お母さんと電話を掛ける前にも汗が止まらない。何を言おうか真っ白になる。そしてどもる。敬語でしかもう話せない。

最近あった普通のモヤモヤってやつも簡単には話せない。

でも、それでもお母さんのことがだいすき。そしてここまで育ててくれたこと。私をわたしとして認めてきてくれたこと、本当にありがたい。

私の年齢ではおねえちゃんはもう子供を産んで育て始めてるよね。私はまだまだそこにはたどり着けそうにはないけど自分のペースでしっかり頑張ろうと思う。

今までもお母さんの応援があったからこそ頑張れた。図々しいかもしれないけどこれからも応援してもらえるとうれしいです。

お母さん、いつもありがとう。これからも健康で元気に過ごしてください。

これは、このまま言えないから明日はなんて言おうかな。



P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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