たるてぃ

たるてぃ

最近の記事

青いこと。

たとえば、このように三本の線をてきとうにひいて、これがあーだとかこれがあーだとか、言ったところで、言葉は“言葉”でしかなく、あーだとかこーだとか、触れようとしたところで、結局は“感覚”には追いつかない。「伸ばす手の先で消え失せてしまう」のだ。 それなのに、感覚を呼び起こすもの、それがときとして言葉であること。これはヘン。ヘンなことをヘンなこととして捉えて、自覚しつつなにかを書く。これは、あがきだ。 (そして、“言葉”は任意のxに代替できる)。 たとえば、人生の天井を見たこ

    • いつも通り、低空飛行と

      私が会社員だったころの話。 毎年恒例の防災訓練があった。このイベントには部署内の暇な優秀な精鋭が参加することになる。もちろん、優秀な精鋭(そして暇)の私も参加させられることとなった。 同じ部署からもう一人、参加を命じられた人がいた。Hさんである。Hさんは私より五歳ほど年長の男性だった。いつだったか、彼と昼休みにトンカツ屋に行った際、瓶ビールを注文したのには吃驚した。昼休みですよ、と忠告しても聞く耳を持たないのである。 業後にも何度か一緒に酒を飲んだことがあった。 アルコー

      • There is

        思考のなかに一本のヒモの端が見えていて、私はどうにか手繰り寄せることができる。そのヒモの先には“問題”に対する明確な“答え”があると思っている。しかし手繰り寄せることすら困難で、あげくヒモの先には何もないことも多々あって、そのたびに意気阻喪したりして、どうも簡単には“答え”は見つからない。 けれども私は、駄菓子屋のくじのように幾許かの代償を払い続け、一本ずつヒモを引いていくしかない。 何本ものハズレくじを掴ませられながらも。

        • 球体人間あるいは人間球体

          以前働いていた職場にTさんという人がいた。 Tさんは身長は平均的なのだが、とてつもなく太っていて、その過度に肥大した体躯は極めて球体に近かった。その為、彼の姿を見るといつもプラトンの『饗宴』で語られる「人間球体説」を思わせた。 本人は頑なに数値は明かさないのだが、推定150kgはあろうという巨体を前にした人間は往々にして彼に対して、人生の落伍者というような感覚を覚え、そして彼を蔑むようになるらしいことが人々の対応で見てとれた。 無害な彼は大人数の職場にありがちなスケープゴ

        青いこと。

          商店街の貼り紙

          先日、商店街の掲示板を眺めていたら「話し相手になります。」という手書きの貼り紙があった。内容を読むと、場所は駅前の喫茶店指定で、30分500円の料金が発生するという。 見ず知らずの人と話をしてなおかつ金を払う、というのは私にとってはなかなか考えられないことだが、最近はお年寄りも多いので、寂しい生活を送る独居老人などをターゲットにした商売なのかもしれない。 それにしても30分500円という料金設定は微妙なもので、それだけで商売が成り立つとは思えない。考えられるのは、変な壺や宝

          商店街の貼り紙

          パチンコの効用

          一時期、パチンコをやっていた。やるといってもあまり金を使うことはしなくて、大抵は一度に五千円、多くて一万円ほどしか使わなかった。儲けるというより、パチンコ店の馬鹿げた喧騒に埋もれたかったのだ、なんて書くとカッコイイが、要は気分転換。パチンコに横溢する露悪的なデザインや言語に接するのはおもしろい。もちろん、勝てばなお良い。 寺山修司はパチンコ球の上から下に落ちていく様子を人生の一回性になぞらえていたし、ロラン・バルトは「パチンコの玉の進路は、はじくときの一瞬の稲妻によって宿命

          パチンコの効用

          再生→

          ジョン・レノンいわく「エルヴィス・プレスリーは戦争を支持したときに死んだ」。 ある作家いわく「プレスリーは二重あごになったときに死んだ」。 スターというのは象徴的な存在であるから、スター性が大きければ大きいほど象徴的に殺されることが多いわけだ。けれどそれは何も否定的なものだけではない。心理学者ユングの語るそれは、死の後には再生があって、むしろ肯定的に捉えられる側面もある。 一度死に瀕したドストエフスキーや夏目漱石も、その後の作品にいまわの際の影響を与えているように思える。

          季節はずれの話

          小学三年生の頃、友達と三人で下校していた。 話題はクリスマスが近いという事もあり、サンタクロースの話になった。 するとH君が鼻水を垂らしながらぽつりと呟いた。 「サンタクロースはおらんとばい」 私とA君は「何を言い出すのか、夢のない奴だ」とH君をなじり、「じゃあ誰がプレゼントを枕元に置いとっと?」 と問い詰めた。 するとH君はこう言った。 「お父さんが置いてるとこを見たけん」 私とA君はH君の告白を決して信じなかった。 H君も自分の主張を変える事はなく、我々の意見は平

          季節はずれの話

          藤子不二雄(A)のこと

          漫画家の藤子不二雄(A)が亡くなった。 好きな漫画家。けれども、よくよく考えるとあまり作品を読んでいないのではないか。『笑ゥせぇるすまん』や『怪物くん』と『忍者ハットリくん』、あと何だったか……それと短編をいくつか。だから、良い読者とは言えない。それで、好きだなんて言うのもおこがましいかもしれない。『まんが道』も『魔太郎がくる!!』も読んでいない。作者は死んでも作品は残る。未読の作品を読みたい。読めるのは幸福なことだ。 例えば、何かしらの表現者が亡くなった時、その作品が無条

          藤子不二雄(A)のこと

          かいくぐること

          強靭な網目の隙間をこじ開けたり、身をすぼませたり、高く跳躍し……。そうやって私たちは生きているのだろう? 「針の穴を通すようなこと」を要されるこの世にて、根拠のない傲慢さや、狡猾、阿諛を遠ざけながら生きなきゃならぬ。ニャらぬ。 そうしているうちに気づく。人間の足はどうも自動車のそれではなくて、電車のようになっている。かといって、難なくレールを惰性で走ることもまたむずかしいものなのだと。 あちらから(どこかから?) やってくるクソみたいな物事から身を守り、すばらしい人間と芸

          かいくぐること

          絶えないように

          絶滅生物。絶滅の理由が明らかな種もいれば、不明な種もいる。単純に生息地域の環境変化に適応できなかったのか、他の動物からの干渉によるものか、絶滅に至る未知は様々だろう。みんな揃ってヘンな毒きのこを食べただけかもしれない。 いずれにせよ、自らの置かれた環境に適応できなかったという、ある意味、不器用な生き物だともいえる。もちろん全てがそうではなく、隕石や氷河期なんて場合は防ぎようがない。運がなかったというそれだけだ。ヴォネガット風にいうと“So it goes.”だ。 それはい

          絶えないように

          あかるい未来

          電車に乗って車内を見渡す。口を開けて眠るサラリーマンや文庫本を読むOLやスマホをいじる学生やスーパーの袋をぶら下げた主婦や優先席に座る老人、彼らがどこへ行くのかは知る由もないが、それぞれの生活をこなし、日常を消尽しているかのように思われた。 困難は多かれ少なかれ彼らに襲いかかり、時に打ち勝ち、時に敗北する。その度に得難いものを得て、あるいは失う。当たり前のようにこの世は不平等で、足を踏み外したり、翼を損なうこともままあるのだろう。 しかし、光がさす素晴らしい風景や、愛お

          あかるい未来