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再生→

ジョン・レノンいわく「エルヴィス・プレスリーは戦争を支持したときに死んだ」。
ある作家いわく「プレスリーは二重あごになったときに死んだ」。

スターというのは象徴的な存在であるから、スター性が大きければ大きいほど象徴的に殺されることが多いわけだ。けれどそれは何も否定的なものだけではない。心理学者ユングの語るそれは、死の後には再生があって、むしろ肯定的に捉えられる側面もある。

一度死に瀕したドストエフスキーや夏目漱石も、その後の作品にいまわの際の影響を与えているように思える。

バンジージャンプの起源であるバヌアツ共和国の成人の儀式ナゴールは、植物のツタを命綱にして30mの高さから飛び降りる。これは象徴的な死を経験することに他ならない。
そして生きて還ることによって成人し、生を豊穣のメタファーとすることによって慶賀される。
こういった死と再生の儀式は世界中の至る所で見られ、民俗学で「擬死再生」という。

SNSやLINEなどの交流関係をリセットする行為も現代的な一種の生まれ変わりともいえるのか。

思えば、環境が変わることによって、何かが心機一転する感覚というのは、そういうことなのだろう。
卵の殻が割れる。世界はまぶしい。
視線の先にはあたらしい地平が広がっている。

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