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球体人間あるいは人間球体

以前働いていた職場にTさんという人がいた。
Tさんは身長は平均的なのだが、とてつもなく太っていて、その過度に肥大した体躯は極めて球体に近かった。その為、彼の姿を見るといつもプラトンの『饗宴』で語られる「人間球体説」を思わせた。

人間球体説

本人は頑なに数値は明かさないのだが、推定150kgはあろうという巨体を前にした人間は往々にして彼に対して、人生の落伍者というような感覚を覚え、そして彼を蔑むようになるらしいことが人々の対応で見てとれた。

無害な彼は大人数の職場にありがちなスケープゴートでもあった。Tさんはそんな境遇を意に介さようではあったのだが、本当の気持ちは分からない。誰が本当のことを知り得よう?

私はどうかというと、自分の周囲を彩る一個性として、ほんわかとして鷹揚で全体として牧歌的な彼を嫌いにはなれなかった。仕事において緊張感というものがなさ過ぎる面はあるものの、殺伐とした渇いた職場で、彼のような人間は砂漠に存在する一個の緑地のように思えたのだ。

彼は裕福な家庭にあり、言葉の端々からそれが出ていた。それも周囲に嫌われる一因だったのかも知れない。職場の人間は裕福への嫉妬という感情の対象を肥満というものに無自覚に転化し、さも大義名分を得たかのようにTさんの悪口を言い合うのだった。それは私には許し難いほど卑怯なことに思えた。

TさんもTさんなりに自らの肥満を気にはしているようで、スポーツジムに通っていた(帰りについついたこ焼きを食べてしまう事をよく嘆いていた)し、休憩時間に皮下脂肪を溶解する怪しげな施術を紹介したサイトを閲覧している所を見かけたこともある。彼なりの受難の物語があるのだ。

職場はノーネクタイが許されていたが、珍しくTさんがネクタイを締めてくるときがある。彼自身が話すには、ネクタイを締める日というのは風俗に行く日ということだった。風俗に行くのにネクタイを締めていくという心理がどういうものか私には分からないが、巨大な球体を相手にした風俗嬢は、まるで村上春樹の登場人物みたいに「やれやれ」とため息を吐いているんじゃないかと思う。

私が会社をやめて、数年後にとある駅のホームで彼に再会したことがある。相変わらずふくぶくしい姿で、私はなんだか嬉しかった。いま思えば、そのことを正直に彼に伝えればよかったと思う。

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