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「自信」との向き合い方は、きっと心の土台をつくってる。


自信ゼロの人間なんて、どうせ雇ってもくれないんだろう。


最近、そのような一言を就活生の誰かが口にした。それを目にした私は、少し考えた。自分も就活中、悩んできたことだったから。

「自信がある状態」とは、
一体どんな状態を指す言葉だったのだろう。


もし「これから挑戦しようとしてることは100%成功します」と言い切れる状態を指すのであれば、物理的に考えるとそれは"でっちあげ"に近い。

未来に起こる結果が成功だろうが、失敗だろうが、現在(過去)から未来の結果を予測することは不可能だからだ。
過去に積み上げてきた成功がどれだけあっても、未来が絶対上手くいくかどうかは別問題。
また、自信は持ちすぎても"自信過剰"と罵られ、バランスも難しい。


それでも、どうして「自信を持った人」が輝いて見えるのだろうか。"嘘つき"でも威張ってる訳でもなく、背筋がピンとした人に見えるのだろう。
あなたを信じてみたいと思えるのだろう。
キラキラしていて、素敵だと感じるのだろう。


いろいろ考え込んだ末に、自分なりに出せた結論があった。



未来で待ち受ける結果が良い・悪いに関わらず、
その時は「自分が掴んだ結果です」と受け止めよう、と覚悟を静かに決めている状態。
「逃げ出さず、向き合おう」と、"現時点"でいいから、落ち着いて口にできる状態。


自信がある状態」を、私はこんな風に定義した。


自信がない人は、積極的に採用しようと思えない。だからこそ、自信を持って発言しろ。


就活における、面接練習やグループディスカッション。フィードバックをもらう度に、必ず受ける指摘は「自信がなさそう」だった。

話すフレーズはいつも語尾が小さくなっていく。音楽用語でいうなら、デクレッシェンドやディミヌエンド。
「〜だ。」「〜です。」と言いきれなかったり、相手の目を見て話すのが苦手だった。


就活に限ったことでもない。
音楽サークルでボーカルを担うついでに、ライブの曲間でMCを任された時もそうだった。
「適当につないでおいて」と言われても、対応できずにオロオロした。
周りから「どうしたの?ちゃんと喋ってよ」とでも言いたげな視線を感じて、マイクを投げて逃げ出したくなった。


そんな時、いつも思うことは同じだった。


自信がないのに、「できる」なんて断言できる訳がないでしょう…?
やったこともないことを、しかも、いつも失敗ばかりの自分が、「できる」なんて誰かに言ったらどうなる?


失敗した時、きっと誰かに責められる。
失敗した時、きっと自分が悪者になる。
できないこと・できなかったことを、もうこれ以上増やしたくない。


そこでようやく分かったのだ。


「できる」にしがみついていたいんだ、と。


「できる」にしがみつく人は、世の中に、身近にもきっと沢山いる。
バイトで新人に冷たく当たるお局さんとか、組織のてっぺんらへんでパワハラしてしまってるお偉いさんとか。自分の専門分野になると、できない人をバカにしちゃう人とか。
たぶん、そうやって他人の「できない」を許せない人たちは、自分の「できない」も恐れてると思う。これは本人たちは無意識にやっているのがほとんどで、これからも沢山出会うんだと思う。


でもそういう人の気持ち、悲しいことに、分からなくもないと思ってしまう。

それは、私自身も「できる」にしがみついていたい人達の中のひとりだから。


どこかで「これはできて当然だよね?」と思って終わりにしてることが、私にも結構あると思う。
それはきっと、関連性がないように見えて、実は「自信のなさ」と紙一重なのだと思う。


でもそれは、自分や誰かが「できない」ことだと分かっても、逃げ出さずに向き合うことの必要性を示してるとも思う。


だから私はどんなことでも、自分のやってること・やろうとすることの結果と向き合っていきたい。


それがいつか、「自信があります」と胸を張って言える自分の糧になると信じて。



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