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ボタニカル哲学(後集95)本体と現象
真理が静寂であれば、当然、現象もまた静寂である。それなのに、現象を捨て去り、真理に取り付かれている者は、影を無くして形を残そうとしているようなものだ。また、心が空(くう)ならば、現象もまた空(くう)である。現象を捨て去り、心を留めようとするのは、生肉を集めておいて蚊やブヨを追い払おうとするのと同じだ。
つまり、何の拘りもなく、何の囚われない、正に“あるがまま”が真理の姿であるにも関わらず、それに拘り、囚われいるのであれば、本末転倒である。
言換えれば、達人が自然体で生きていることに拘り囚われていては、最早自然体とは言えないのと同じである。
翻って言えば、真理を知って真理に囚われないのが、本物の達人と言えるだろう。
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