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ボタニカル哲学(後集88)束縛も解脱も自身による

束縛されることも、解放されることも、自分の心の在り方にある。悟りを開いてしまえば、肉屋や魚屋でも居ながらにして極楽浄土である。そうでなければ、琴を奏で、鶴を飼うような隠居や花や草を育て愛でるような清心な趣味の人間でも、悟りの障害となる魔は消えうせることはない。北宗の儒学者である邵雍が言った言葉では、「俗世間を完全に捨て切れれば、その場がそのまま理想郷となるが、悟りの開けない出家は、在家と変わりが無い」正に。

つまり、この世の全ての現象は、結局、心の在り方一つで幸せにもなれば不幸にもなる。ところが、悟った者は、幸・不幸というような二項対立が無くなり、心が安定して大安心の状態であり続ける。

言換えれば、達人の心境とは「大安心」以外には考えられない。

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