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「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま⑤【完】
そうして数か月後、卒園を間近に控えた3月上旬に、娘は保育園で
「死にたい」
と泣き叫び、周りの大人を、そして子どもたちをも驚愕させたのだった。
(私のせいだ)
咄嗟に浮かんだ思いはもちろんこれだった。
(我が家の家庭環境についても)
指導が入るだろうか……と心配したのがその次だ。娘の通う保育園は、副園長が幼い頃に虐待を受けた経験から、児童虐待についてかなり厳しい保育者の目と対処をすることで有名
「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま④
(こういう話は)
と、娘の寝顔を見ながら私は思う。
こういう話はまだ早かったのかもしれない、と。
私は、私たちひとりひとりの中に神さまがいるという考え方、いやむしろ、我々は神の一部としてこの世に生きており、神の表現のひとつであり神そのものだという考え方を採用している。自らの意思で。
思想は植え付けるものではなく本人が選び取るものだと思うから、「あなたの中の小さなあなたという神さまと話をしてご
「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま③
席替えをして保育園での対人ストレスは軽減されたと思っていた。
現に先生にその後の様子を聞いて問題ないことを確認してはいた。
それでも尚、娘は帰りの車内で突然泣き出す。
理由は
「家に帰るとお兄ちゃんがいる。酷いことを言われるから家に帰りたくない」
というものだった。
「何でこの世はこんなにも地獄なの?」
「この悲しい気持ちはどうすればなくなるの?」
「私の幸せはどこにあるの!?」
毎日娘はそ
「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま②
保育園からの帰りの車中で同じ班のやんちゃな男児に対する限界を告白し長い間泣き叫ぶことを止められなかった娘。
その出来事とほぼ時を同じくして、兄妹間の不仲が過激化していった。
我が息子は娘と2歳半違い。性格はというと、同じ夫婦、同じ母胎から生まれてきたとは到底思えないほど、月とスッポン、蟻と象、天と地、……水と油。まるで異なり、混ざり合わない。
無意識に周囲何Mにもわたり気を配る娘に対して、我が
「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま①
卒園の迫った3月上旬、私はいつものように鼻歌まじりで保育園のゲートを通り年長さんの教室をチラ、と見た。中庭で他のクラスの先生と話し込んでいた担任の先生と目が合った。
「〇〇さーん!」
と、いつものように娘を呼ぶべく教室内へ顔を向けるのかと思いきや、隣の先生と一瞬顔を見合わせたあと、私のところへ駆け寄り「お母さんすみません、ちょっと」と私を中庭の端へと連れていく。
(誰かと喧嘩したのか……)