ゆしま

noteという海の中を海月のようにいつまでも揺蕩っていたい。

ゆしま

noteという海の中を海月のようにいつまでも揺蕩っていたい。

マガジン

  • 「気配」の日から今日までの記録

    私の人生の伴走者(勝手に任命)である中丸雄一氏がついに漫画家デビューを果たした。彼によって目醒め、自分の運命のハンドルを握り始めた私の2年間の挫折と成長の記録。

  • 大切にしている教え

    保育園で「死にたい」と泣き叫んだ娘に私が伝えた大切にしている教え

  • 都々逸

  • 読書記録

    読書記録。自分のアウトプット用。

  • 2021年はスピリチュアル元年にする

    2020年に突然起こった私のスピリチュアルへの興味・関心の変遷の記録。

最近の記事

今思うこと

自身の中の「調和」と「違和感ないしは怒り」を上手に使いこなすのは本当に難しいと感じる。 5月28日、私の推しである中丸雄一氏が出演するテレビ番組『シューイチ』内でジャニーズ事務所前社長の未成年者に対する性暴力疑惑についてコメントしたことを受けて、私の気持ちの揺らぎは一段と大きいものとなった。 そもそもこの日は彼の漫画家デビューの報告も兼ねて、漫画家への道のりの密着映像が流れる日ということで、私としても感慨深く、そして心乱される日として意識してはいたものの、番組冒頭から激震

    • なぜ、私はそれを願わなかったのか。(「気配」の日から②)

      当初は時系列に書いてゆこうと思ったのだが、やはり散らかり書きでいこうと思う。本当に時系列苦手人間。マガジン(連載)のくせに時間飛び越えるとか、セオリー無視なのどうにかしたいところですね。ええ。 しかし今日降りてきたことを書き留めておかないと気持ちが悪くて、結局は日記のようになる。日記でええやん。そうだよ、まずは書くこと。これ以上に重要なことはないのだ。 ところで、2023年5月25日という日は、私にとって、また中丸雄一氏を応援するすべての人にとって忘れられない一日となったこ

      • そんな中、彼はついに漫画家デビューという栄光を手にした。(「気配」の日から①)

        中丸雄一氏が漫画家デビューを果たした。 これは一大ニュースである。何年も前から我々ファンに事あるごとに告げてきた目標なのだ。 我々が常に待ち望んでいたそれを、彼はついに成し遂げるに至った。 一方で当然のこととも認識される。 だって彼はひたすらに描き続けたのだから。 描く限り漫画家であり、紙面に載るというチャンスは常にある。 描くことを辞めなかった人がそのチャンスをつかむ。 宇宙の摂理だ。そしてその摂理に沿って生きることが、 とんでもなく難しいのがこの世界。 デビューできるか

        • 「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま⑤【完】

          そうして数か月後、卒園を間近に控えた3月上旬に、娘は保育園で 「死にたい」 と泣き叫び、周りの大人を、そして子どもたちをも驚愕させたのだった。 (私のせいだ) 咄嗟に浮かんだ思いはもちろんこれだった。 (我が家の家庭環境についても) 指導が入るだろうか……と心配したのがその次だ。娘の通う保育園は、副園長が幼い頃に虐待を受けた経験から、児童虐待についてかなり厳しい保育者の目と対処をすることで有名だった。 (それならばこれは、いい機会だ) たとえ娘と引き離されてしまったと

        今思うこと

        • なぜ、私はそれを願わなかったのか。(「気配」の日から②)

        • そんな中、彼はついに漫画家デビューという栄光を手にした。(「気配」の日から①)

        • 「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま⑤【完】

        マガジン

        • 「気配」の日から今日までの記録
          2本
        • 大切にしている教え
          5本
        • 都々逸
          1本
        • 読書記録
          26本
        • 2021年はスピリチュアル元年にする
          12本
        • 真木共働学舎
          11本

        記事

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま④

          (こういう話は) と、娘の寝顔を見ながら私は思う。 こういう話はまだ早かったのかもしれない、と。 私は、私たちひとりひとりの中に神さまがいるという考え方、いやむしろ、我々は神の一部としてこの世に生きており、神の表現のひとつであり神そのものだという考え方を採用している。自らの意思で。 思想は植え付けるものではなく本人が選び取るものだと思うから、「あなたの中の小さなあなたという神さまと話をしてごらん」というアドバイスは思想の押しつけになってはいないだろうかと思ったのだ。

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま④

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま③

          席替えをして保育園での対人ストレスは軽減されたと思っていた。 現に先生にその後の様子を聞いて問題ないことを確認してはいた。 それでも尚、娘は帰りの車内で突然泣き出す。 理由は 「家に帰るとお兄ちゃんがいる。酷いことを言われるから家に帰りたくない」 というものだった。 「何でこの世はこんなにも地獄なの?」 「この悲しい気持ちはどうすればなくなるの?」 「私の幸せはどこにあるの!?」 毎日娘はそう問いかける。切実に、切実に問いかける。 いや、問うているようにみえて彼女は実は

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま③

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま②

          保育園からの帰りの車中で同じ班のやんちゃな男児に対する限界を告白し長い間泣き叫ぶことを止められなかった娘。 その出来事とほぼ時を同じくして、兄妹間の不仲が過激化していった。 我が息子は娘と2歳半違い。性格はというと、同じ夫婦、同じ母胎から生まれてきたとは到底思えないほど、月とスッポン、蟻と象、天と地、……水と油。まるで異なり、混ざり合わない。 無意識に周囲何Mにもわたり気を配る娘に対して、我が道、我が気持ち、我が権利しか頭にない息子。家族も辟易するほど、そしてあきれ返るほ

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま②

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま①

          卒園の迫った3月上旬、私はいつものように鼻歌まじりで保育園のゲートを通り年長さんの教室をチラ、と見た。中庭で他のクラスの先生と話し込んでいた担任の先生と目が合った。 「〇〇さーん!」 と、いつものように娘を呼ぶべく教室内へ顔を向けるのかと思いきや、隣の先生と一瞬顔を見合わせたあと、私のところへ駆け寄り「お母さんすみません、ちょっと」と私を中庭の端へと連れていく。 (誰かと喧嘩したのか……) まあそんなこともあるよな、などとのんきに構えつつ先生の次の言葉を待っていた私の

          「死にたい」と叫んだ娘と小さな私の神さま①

          花ありのまま 咲き誇るよう     あなたそのまま 美しい

          花ありのまま 咲き誇るよう     あなたそのまま 美しい

          2020年の読書記録

          2020年の読書記録。自分用まとめ。 1月15日読了。『あなたも作家になろう』ジュリア・キャメロン 1月17日読了。『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』ロバート・ビスワス=ディーナー/トッド・カシュダン 1月18日読了。『ヴェネツィアに死す』トーマス・マン 1月24日読了。『深い河』遠藤周作 1月28日読了。『可動域を広げよ』齋藤孝 2月1日読了。『知らないと恥をかく世界の大問題10』池上彰 2月2日読了。『おとなの教養』池上彰 2月3日読了。『一気にわかる!池上

          2020年の読書記録

          気配

          私は大学時代、心理学部の精神分析ゼミに属していた。かの有名な『フロイト全集』の解読に四苦八苦しながら(ほぼ解読できなかった)、心理学の父フロイトの世界に浸かっていた。 しかし4年生で取った「認知行動療法」の講義にブラックホールかのごとくものすごい引力で引き付けられる自分に気が付いた。 過去に遡って原因を突きとめ、その原因を知覚することで問題解決を目指す精神分析療法とは真逆の性質をもち、 人は誰しも物事に対する認知の仕方にクセがあるとし、その認知のクセと行動を変えることに

          私は紛れもなく、今、世界が変わったと思った。

          当日は、文句ないほどの快晴だった。 雲に邪魔される心配など1㎜もなく、彼らは堂々と輝いていた。寄り添って。 2020年12月22日の木星と土星の大接近を、私は自宅アパートの南の大窓から見つめていた。 肉眼でもはっきりと見える。重なりはしていないものの、2か月前に初めて見た彼らの距離からすれば、今日の位置関係は抱き合っているも同然だった。 あぁ今日から世界が変わるのだと、私も生まれ変わらなければいけないのだと、焼けつくようなヒリヒリした思いで胸が痛かった。 同時に、距

          私は紛れもなく、今、世界が変わったと思った。

          「いい加減に、劣等感と対峙せよ」

          たとえば幸運のボールが自分のところへ飛んできたとしても、キャッチする心構えができていなければとっさに手を出すことができず、ボールは彼方へ転がっていってしまう。 たとえば奇跡という水をたっぷり注がれていたとしても、自分の持っている器に穴が空いてしまっていたら、いつまでたっても一杯になることはない。 ヨルシカの『だから僕は音楽を辞めた』にこんな歌詞がある。 幸せな顔した人が憎いのは どう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の 化け物みたいな劣等感 私の周りにはいつも

          「いい加減に、劣等感と対峙せよ」

          「不確かな確信」と「気持ち悪い言葉」

          ※こちらは筆者の内面世界を書いておりますが、人によってはかなり不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。ネガティブ感情が苦手な方はご注意ください。 2020年11月の私は自分の中に棲む「エゴ」という名の化け物に喰いつくされようとしていた。あちこちが痛み、出血し、骨折していた。その状態にもかかわらず、日常を今までと何ら変わらないように過ごそうとしていた。気がつかないふりをしていた。 相変わらずの日常。何の変化もない日常。しかし私は「宇宙の法則」という新しいアイテムを手に入

          「不確かな確信」と「気持ち悪い言葉」

          でも私には心がある。確かにある。

          私にとっての大きな転換点となるきっかけが作られたのは10月だった。 中丸雄一氏の舞台が10月上旬に無事に大千穐楽を迎え、しばらくは余韻でオタ活が忙しかったものの、中旬、後半と月日が流れるにつれて寂しさが増していった。 舞台期間中はTwitterチェックや3度にわたる配信を楽しむこと、当日券入手のための電話など忙しくて嬉しい悲鳴をあげていたほどなので、そのギャップになかなか苦しんだ。 そんな凪な時間の中で、私の思考は自然に舞台の内容に及ぶ。 オムニバス形式だった今回の舞

          でも私には心がある。確かにある。

          あの時の世界に、あの日のすべての偶然に(2021年はスピリチュアル元年にする⑦)

          2020年10月。この頃から年末にかけて一気に加速した感覚がある。 私自身の内面の変化。 10月中旬頃、仙台にて弟の結婚式があった。家族4人、初めての家族旅行である。6歳と3歳。それなりに自分のことはできるようになったというものの、荷物の準備や初めてのホテル宿泊など、母親としては不安要素もある旅で、のんびり観光、列席とはいかない。 一方夫は気楽なもので、明日に迫った出発を前に、さっそくるるぶを買い込んでどこへ行くか楽し気に吟味を始めた。そんなことより荷物を準備してほしい

          あの時の世界に、あの日のすべての偶然に(2021年はスピリチュアル元年にする⑦)