りちあど

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地方でジャズピアニストやってます18

地方でジャズピアニストと言ってもジャズだけでは当然食えないわけで。 でも基本なんでもありなスタンスなので呼ばれると行き、頼まれるとなんとか熟し一つ一つを丁寧にやってきたつもり。たまにダメをいただくこともあるがそれは自分が勉強不足だったせい。 自分は聴いてきたレコード、CD、見たライブなど全てが先生であり師匠と思っている。 CD1枚目と2枚目の演奏に差があるという話を前にした。これはクラシックを始めたから。 夜店でソロピアノを始めて自分の演奏をより確実なものにしたくなった。何

    • 地方でジャズピアニストやってます17

      と、新メンバー佐藤弘基を迎えて名前も「Trio Music3」とレベルアップした矢先にドラム山内さんのプレーに異変。 どうも一緒にやっていて以前の様なワクワク感がない。色々な事情はあったのかもだが続けていくにはちと難しくなってきた。 そこで再び岩泉さんにお願いする。 ここからはこの3人での活動が結構長く続く。 途中「Trio Music3」から「Trio the Music」と改名。トランペットの石川明さんの提案で採用。なんか関西のお笑いっぽいというノリで決めてしまった。 と

      • 地方でジャズピアニストやってます16

        この横浜ジャズプロムナードのコンペ。事前の審査員の講評と本番後の評価がガラッと変わった人も多かった。まあ最後まで辛口の人もいたけどね。 なにはともあれ賞金をいただく賞を受賞出来た。 地元紙に小さく載ったらしい。 戻ってから手のひらを返すまで行かないにしろ全く相手にしてこなかった人が急に連絡をしてきたり色々なプチ修羅場を見たり。 この受賞をきっかけにベース畠山くんは横浜行きを決意。12月に受賞記念ライブを盛劇メインホールでやった時を最後に横浜へ。 この副賞に旭ジャズフェスティ

        • 地方でジャズピアニストやってます15

          地道にライブを積み重ねてきたがドラマーが一緒に演奏する事を少し休みたいと申し出た。 リズムセクションは相性がいいに越した事は無いのだが少々考えの違いが表面化したようである。 という事で次のドラマーを山内協さんにお願いする事になった。 山内さんは神保彰さんが大好き、一度カシオペアのコピーをやった時にお願いした事も。 という事でTrio music2と新たに活動を始めた頃に盛岡劇場が再オープン、同時に「もりげきLIVE」という月一のライブが始まった。 当初は予算も結構取れて地元A

        地方でジャズピアニストやってます18

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          この頃もう1つ大事な出会いがある。秋田「The Catwalk」 最初はオーナーでドラマーの太田徹さん、当時店長だったサックス鈴木明義さんのグループが何かコンテストに出場した帰り道、出来たばかりのNonkに偵察兼ねて立ち寄った所から。 事前にNonk店主に演奏したいんだけどピアニストが都合でいない、ついては盛岡で誰かいないか?と打診。私に声が掛かる。 その一回のセッションで太田さん、あっきーに気に入ってもらう。私も同年代であんなサックスプレイヤーは見たことがなかったので

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          地方でジャズピアニストやってます13

          Nonk Tonkは郊外に建てられたレストラン、オーナーがジャズ喫茶をやっていてそこからの規模拡大。 天井もコンクリート打ちっ放しのような感じでとてもライブな場所。 管楽器なんかはとても気持ち良いと思われるがドラムの繊細なシンバルレガートなどは気をつけないとあっという間に見失う。 ある意味とても難しい環境であるがそこで毎月1回のライブを課していた。 こういう場所があると東京からツアーで演奏させて欲しいなどのブッキングも増えたり、オーナーの人脈でメジャーなアーティストを呼んだり

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          地方でジャズピアニストやってます12

          この頃の演奏場所といえばNonk Tonkがオープン。伴天連が閉店したこともあり他にもあったがホームといえばNonkだった。とにかく月一でライブをやろうと自ら課して地道に積み重ねていった。 この頃になるとバニーズは経営者が代わり店の方針もガラッと代わりジャズは用済み。 そんなタイミングでヤマハのポピュラーミュージックスクールが立ち上がる。ここの講師にもベースの伊藤さんが先になっていて鍵盤の講師に推してくれた。ある意味バンドマン救済事業だった感も。 しかしそれだけでは食え無い

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          地方でジャズピアニストやってます11

          「バニーズ」は本当に毎日ジャズを演奏していた。かなり羽振もよかった時代だったこともある。 FM岩手の開局に合わせてプロトタイプの番組を本放送開始前に始めた。 東京から週末にボーカリストを呼びそのライブを収録して放送する30分番組。 いろんなボーカリストがやってきた。今でもお付き合いのある「平賀マリカ」さんを筆頭に素晴らしいボーカリストにたくさんきてもらった。 この時の経験がボーカルのバックでやることの下地を作ってくれた。 まだまだペーペーだったにも関わらずいろんな曲を演奏出来

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          地方でジャズピアニストやってます10

          そろそろジャズの話。 伴天連デビューしてから積極的にセッションへ顔を出しなるべく演奏するようにしていた。 勿論お店でも最初の時間はジャズ演奏してたこともあってペーペーなりにも何か格好がつくように。 専門学校も卒業が近づき当初の目的である手に職を着けいわゆる堅気の生活をと思っていたところ、学校からとある工場でコンピューターを導入するので誰かよこせと。 で、私が推薦される。しかも卒業を待たずに12月からきて欲しいと。 一応課題などは真面目にやっていたので卒業するにあたっての単位な

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          地方でジャズピアニストやってます9

          専門学校時代は学校に通い夜箱バンと合間を縫って色々活動を精力的にやっていた。 自分ではプロという自覚なんか持たずに自分のやりたいことをやっていた。東京に行くという選択肢も無い訳ではなかったが(実際色んな方から声をかけてもらっていた)好き勝手やれるなら地元の方がいい、と勝手に思い込んで残っていた。 ポプコンなんかも出て東北大会までは何度か行っていた。まあ自分の楽曲では無いにしろ3回出場出来たことはよかった。 ポプコン東北大会に出るグループは仙台のスタジオで録音をしながら担

          地方でジャズピアニストやってます9

          地方でジャズピアニストやってます8

          ジャズピアニストと言っている割にはあまりジャズの活動が出てきませんが地道にやってた時期です。 姫神のオリジナルメンバー「佐藤将展」さんともこの頃大きく繋がる。(まだ高校出てすぐ) 私から見ればメジャーデビューした「あの」姫神センセーションのドラム!と最初の頃はある種の憧れを持って接してた。ありがたいことに色々と誘ってもらい色んなことを一緒にやってきた。 メジャーデビュー前の「松本ひでき」さんのサポートががっちり組んだ最初かな。星さんのポジションに私がいる場面も多かった。

          地方でジャズピアニストやってます8

          地方でジャズピアニストやってます7

          夜はキャバレー箱バンでとりあえず毎日ジャズは演奏、同時にグランドピアノを弾ける生活を送る。 小向裕之さんは色々よくしてもらった方々の一人。ベースとドラムを中心に様々な盛岡の中心的なバンドで演奏していた。 色々余裕?のある人だったので自宅敷地内に地下スタジオを作る。録音も出来る当時としてはかなり贅沢な作り。Moondogsのリハーサルもよくここでやっていた。 機材も新しもの好きなので早くにmac(まだappleだった頃のPCとか)を購入。情報処理科在籍だったこともあり1週

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          地方でジャズピアニストやってます6

          高校卒業と同時にそれまでやっていたフュージョン系のバンドからある意味真逆のブルースバンドに参加。 当時おそらく盛岡では「Fat's Murai&Moondogs」と「Chicago Bound」が代表格かと。小向さんの流れでMoondogsに入ってバンドの楽しさと恐ろしさを大いに経験。 この頃のバンド活動の空気感は大きな刺激になっている。参加当初はどの曲も同じに聞こえて違いがよく判らなかったのが正直な感想。でも次第に違いも判って楽しくなってきた。 映画「Blues Bro

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          地方でジャズピアニストやってます5

          高校を卒業したものの行く先がなくバイトで食いつなぎながらも夜の現場では色々お声をかけていただくことが増えてきた。 この時NHK盛岡放送局の特番で移転前の北上市民会館での収録に参加することに。 ゲストにサーカス、団しん也(今の人わからないと思いますがモノマネの人でしたがジャズボーカリストとしても超一級品)、そして地元から姫神センセーションというラインナップ。 北上の市民オケとゲストが共演するというなんともゴージャスな企画。 当時姫神のベース伊藤さんからジャズもできるピアノという

          地方でジャズピアニストやってます5

          地方でジャズピアニストやっています4

          まだ高校を出たばかりです。 この頃に「伴天連茶屋」というジャズ喫茶に出入りするように。 名前は聞いていたものの実際にあの蔵に行ったのは高校を出てから。 こんな刺激的な場所があったのか!と。ここでの様々な収穫はその後の糧に。 週末ともなれば地元のミュージシャンたちが集まりセッション。演奏していない時はBGMで名盤から最新作まで情報を得るにはうってつけ。 ツアーで立ち寄ったメジャーなミュージシャンたちが打ち上げ終わりに来てはセッションになることも。そこで一緒に演奏する貴重な

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          地方でジャズピアニストやってます3

          高校の時、社会人バンドに入ったことがきっかけでつながりの幅が格段に広がった。 東京から戻ってきたベース、伊藤英彦さんやドラム岩泉大司さんなどエレクトーン絡みのつながりも。 伊藤さんはその後姫神センセーションのメンバーとしてデビューする。ここからオリジナルメンバー、ドラム佐藤将展さん、ギター大久保正人さんとも繋がる。 確か3年生あたりで小向裕之さんともつながりができて一度大久保さんの手伝いで大槌でライブをやった。 当時大久保さんはジョニーレーベルからアルバムを出していたり実

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