地方でジャズピアニストやってます8

ジャズピアニストと言っている割にはあまりジャズの活動が出てきませんが地道にやってた時期です。

姫神のオリジナルメンバー「佐藤将展」さんともこの頃大きく繋がる。(まだ高校出てすぐ)

私から見ればメジャーデビューした「あの」姫神センセーションのドラム!と最初の頃はある種の憧れを持って接してた。ありがたいことに色々と誘ってもらい色んなことを一緒にやってきた。

メジャーデビュー前の「松本ひでき」さんのサポートががっちり組んだ最初かな。星さんのポジションに私がいる場面も多かった。このサポートでの最初のライブはまだ地下にあった頃の「すぺいん倶楽部」。お店のグランドピアノは今も現役。これに将展さん所有のPoly6ともう一台何かシンセを用意してもらった。シンセで何かオーバーチュア的なイントロ!とか言われてRainbowのGates of Babylonよろしくホールドしたシンセベースを鳴らした上でもう一台でピロピロ弾くなんてこともやった。出がロックだったからね。この時のテープを聞いた星さんがこんなのがいたのか!と驚愕の表情だったと後で聞いた。本当かどうかはともかく印象には強く残っていたようだ。生憎直接話をする機会が全くないままお亡くなりになってしまった。その後再起動した「せんせいしょん」では言って見れば星さんのセクションを担当する。昔リハーサルで冗談半分で「奥の細道」を将展さん、伊藤さん、大久保さんというもろにメンバーとセッションしたように。

その後も何かと振ってきたりしていろんな番組のエンディングテーマや番組で使うBGMとかオーダーしてくれた。

「Electric Foundation」なんて打ち込みのユニットも。これで地元ニュース番組の特番で生ジングルやったり。当時このユニットでデモテープを作る。双方楽曲を提供しあって10曲ほど作る。某雑誌のテープオーディションに全部応募したら一曲だけ本選に。きっとお互いのあの曲だ、なんて想像してたら意外な曲が選ばれてた。本選の時は東京まで呼ばれて最終審査会に参加。結果は何にもならなかった。著名ミュージシャンによる審査員達からは「君たちこれくらいできるなら問題ないんじゃない?」的な空気を感じ取ったような気がした。

その後は付かず離れずで将展さんは岩手を代表する音楽家として君臨。その活動は私も認めています。何しろ鍵盤弾けない人だったのあれだけのことが出来るようになっていることが凄い。センス無くして語れない。将展さんは私をジャズの人として見てくれている。勿論プロのミュージシャンとして現場を任せられる数少ないミュージシャンとしても。


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