地方でジャズピアニストやってます5

高校を卒業したものの行く先がなくバイトで食いつなぎながらも夜の現場では色々お声をかけていただくことが増えてきた。
この時NHK盛岡放送局の特番で移転前の北上市民会館での収録に参加することに。
ゲストにサーカス、団しん也(今の人わからないと思いますがモノマネの人でしたがジャズボーカリストとしても超一級品)、そして地元から姫神センセーションというラインナップ。
北上の市民オケとゲストが共演するというなんともゴージャスな企画。
当時姫神のベース伊藤さんからジャズもできるピアノということで若干18歳ながら推してもらいました。
この辺の流れがのちののど自慢に繋がっていきます。

リズム隊がベース伊藤さん、ドラム将展さんという鉄壁の布陣。

ギターの人がサーカスのバックバンドの人でいわゆる「さし」で来てました。
団さんの時はなぜか私だけ別アレンジの譜面が来ていてリハーサルでなんどやっても合わずようやっと原因がわかりすんなり。
この時の「Love Letters」というスタンダードで最初をピアノと二人のルバートでやるアレンジ。初めてにしてはなかなかうまくできたのかな?
テレビ放送のあとFMでもオンエアしてカセットに録音してあるんだけどどこいったかなあ。

そんなこともありつつやはり将来のことを考えて当時新設された専門学校の情報処理科というところに手に職を付けるべく入学。
しかし夜の現場が私をほっておかず、ついに「真珠苑」というキャバレーバンドのレギュラーに誘われる。前任者がどうにもダメらしく前にトラで出入りしていた店のベース赤石さんがバンマスをやっていた。実際に面接?で月◯万円な、と有無を言わさずになし崩し的に決まる。
まあ、学費も自分で稼げるしいいか、くらいの気持ちでした。
ただやはりおねいさんのいるお店は深入りしないほうが身のためだと積極的に入り込むことはしていなかった。

最初のステージに間に合うように楽屋に入る。「おはようございます」という夜でもこの挨拶をすることを覚える。楽屋トークはドンバ用語の連発で最初は全くついていけなかった。
サックスの宮野さんは最初のステージが終わり休憩に入るとやおらサックスのベルに雑巾を詰めミュートしてコルトレーンのソロを採譜した本を徹底的にさらってた。

たまに「ここ、なんでこうなるんだ?」って聞かれてもまだまだひよっこの私にわかるわけなく「なんででしょうね、でもかっこいいですよね」なんて返すのが精一杯。
他のメンバーからもいじめられることなく可愛がってもらった。
当時はまだバンド演奏を入れているお店があり、夜中から明け方まで(本当はあれなんだけどね)やってたり。
掛け持ちの人も多く稼いでいる人は稼ぎまくってた。
この頃は朝学校に行って夕方帰り、また改めて夜に出直して夜中に帰る生活が続いた。夜中からのトラを頼まれることも出てきて夏なんか夕方家を出る時と夜中終わって帰る時の外の明るさが同じだった時にこれは長く続けるもんじゃないなと思った。


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