地方でジャズピアニストやってます10

そろそろジャズの話。
伴天連デビューしてから積極的にセッションへ顔を出しなるべく演奏するようにしていた。
勿論お店でも最初の時間はジャズ演奏してたこともあってペーペーなりにも何か格好がつくように。
専門学校も卒業が近づき当初の目的である手に職を着けいわゆる堅気の生活をと思っていたところ、学校からとある工場でコンピューターを導入するので誰かよこせと。
で、私が推薦される。しかも卒業を待たずに12月からきて欲しいと。
一応課題などは真面目にやっていたので卒業するにあたっての単位など問題は無いらしくあっさり決まる。
夜の方はこうなるとやめなくてはなら無いので(もともと長く続けるつもりもなかった)バンマスに事情を話して代わりの人も見つかり(これがなんと故箱石さん)堅気にシフト。
収入はかなり落ちて当初は結構しんどい思いもしたが堅実に続けていればボーナスも出る普通のサラリーマンとなる。
音楽は趣味でというスタンスになったがどうも周りがそれを許さ無い様で。
最初は大人しかったものの、いろいろ声をかけられる機会が増える。
そのうち会社を休む理由を探す様になり目をつけられる。

私が夜店のレギュラーになってすぐに旧ホテル東日本の地下に会員制ジャズクラブができる。
話には聞いていたがそのうち会員制がなくなりオープンなクラブに変更。その時のバンマスがサックス村松勉さん、別の夜店で演奏していたがこの「バニーズ」というクラブに移籍していた。
先に姫神でデビューしたベース伊藤さんも移籍。毎日ジャズを演奏できる場となっていた。
自分には関係無いと思いつつも多少羨ましく思っていたところレギュラーの声がかかる。まだ昼の仕事をしているにも関わらず。
自分としてはいわゆるキャバレーのバンドはカラオケの台頭からかなり縮小の煽りを受けている時に毎日ジャズが演奏できる!こんな魅力的な話は無い。ということで多少悩んでみたものの昼夜の二重生活が始まる。
勿論昼の勤務場所ではダブルワークは禁じられているので内緒にしつつも睡眠時間のしわ寄せは来るわけで会社にも迷惑がかかる様に。
そろそろどちらかに一本化しないと!とあっさり昼を捨てる。
自分としてはジャズを演奏するのにちゃんと出来ないことが許せなかった、と今思えば完全に若気の至り。
でも当時はそういうことにでもしないと踏ん切りがつかないと納得させた。
この時が言ってみればプロとしてやっていく覚悟を決めた瞬間だったのかも。



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