地方でジャズピアニストやってます12

この頃の演奏場所といえばNonk Tonkがオープン。伴天連が閉店したこともあり他にもあったがホームといえばNonkだった。とにかく月一でライブをやろうと自ら課して地道に積み重ねていった。

この頃になるとバニーズは経営者が代わり店の方針もガラッと代わりジャズは用済み。
そんなタイミングでヤマハのポピュラーミュージックスクールが立ち上がる。ここの講師にもベースの伊藤さんが先になっていて鍵盤の講師に推してくれた。ある意味バンドマン救済事業だった感も。
しかしそれだけでは食え無い時に村松さんから再び夜店で、今度はソロでどう?と。
最初に誘われていったキャバレーの専属歌手だった「伊藤久美子」さんがお店を出している。そこの専属ピアニストを変えたいと村松さんに相談したことから私に流れてきた。
この「Dante」というお店はどうやら盛岡で1、2を争う高級店。言い方はいやらしいが一流企業の接待で使われる様な店。
久美子さんはポプコンも一緒に出たりと普通に面識のある人だったので面接と称してあった時に「どうも今のピアニスト変なのよ」と。
何が変なのかよくは解らないがいずれ困っていると。実際ママの久美子さんの歌の伴奏に始まりお客さんが歌う伴奏、お店のおねいさんとデュエットに普段のBGMなどこれを一人でこなさなければならない。
ソロはこれまでやったことがそんなになかったが仕事になるのは助かった。

このソロをやっていた時期に曲集「ポピュラーソングのすべて」という青い表紙の1001をとにかく弾き倒した。本もボロボロになるまで使って3冊買い換えた。
この時に様々な曲を覚えた。でもここではあくまでBGM。今なんの曲を弾いているのかをわかる様にストレートメロディーを丁寧に弾いていた。アドリブなんか一切やらなかった。
たまにリクエストがあった時だけ、それも在籍していた10年くらいの間に数回しかやらなかった記憶がある。
お店は日祝が休み。なのでその休みの時にNonkでライブを続けていった。
畠山君はその度に宮古から来たりしてた。

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