解説 敵を愛し迫害する者のために祈る(第二説教集7章3部) #121
原題:An Homily or Sermon Concerning Prayer. (祈りについての説教)
第3部の解説をします。聖句でいうテーマとポイントは次のとおりです。
敵を愛し迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子となるためである。(マタイによる福音書 第5章44節)
第2部のポイントは次の5点です。
①第2部の振り返り~誰を介して誰に祈るか
②何を重んじて祈るべきであるのか
③誰のために祈るべきであるのか
④煉獄という誤謬について
⑤まとめと結びの祈り
第2部では、祈りはキリストを仲立ちとして神に対して行われ、信仰をもった心のからの祈りを神は聞き入れることが説かれました。第3部の冒頭ではまずこれが確認されます。
これが聖書からの多くの引用を用いながら確認されるのですが、この上にたって、この第3部では神に向ける祈りのなかで重んじるものについて説かれます。
前者については、肉体と魂という二つのものが考えられますが、むろん大切なのは魂のほうで、それを重んじた祈りの望ましい例としてソロモン王の祈りが引き合いに出されます。ソロモン王は肉体や現世の富はさておいて、霊的なものを求めて祈りました。その結果として現世の名誉を得ました。
また、祈りにおいて神の栄光を重んじることの大切さについては、そうしなかった者の例が聖書から紹介されて戒められています。
第3部の後半では「誰のために祈るか」に焦点が当てられます。これについて結論的にはこう説かれています。
祈りはキリストを仲介者として、神に対して為されるものであり、それは霊に関することについて、神の栄光を讃えつつ、すべての人々のために、自身の敵のためにさえも為されるべきであるということが説かれます。最後に、この「すべての人のために」祈るということにかかわり、「死者のために祈る」ことの話から、煉獄について述べられます。むろん、反カトリシズムの観点から煉獄の存在は否定されます。
人間の魂は肉体の死ののちに天国が地獄かへ行く。人が悔い改めるならば、また、人のために祈るならば、それはこの世でキリストの肉と血を記念して信仰する生活においてである。煉獄が他者に魂の救いを求められるためにある場であるとするなら、この世での信仰の生活こそがまさにそれである。そのように説かれ、まとめと結びの祈りによって、第3部は、つまり第7章は終わります。
今回は第二説教集第7章「祈りについての説教」の第3部「敵を愛し迫害する者のために祈る」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするにはいくぶん長いので、二回に分けることとします。
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