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解説 パンはひとつ、皆はひとつ(第二説教集15章2部) #160

原題:An Homily of the Worthy Receiving and reverent esteeming of the Sacrament of the Body and Blood of Christ. (キリストの肉と血の聖奠を恭しく受けることについての説教)

第2部の解説に入ります。聖句でいうテーマはこれでしょう。

パンは一つだから、私たちは大勢で一つの体です。皆が一つのパンにあずかるからです。(コリントの信徒への手紙一 第10章17節)

第2部のポイントは次の5点です。
①第1部の振り返り~その1とその2
②その3~命の新しさを持つ
③聖餐は隣人愛をもたらす
④聖餐を正しく執り行うべし
⑤まとめと結びの祈り

第1部の内容が振り返られ、真に聖餐に与るのに必要な3つの事柄のうち、残る3つ目のものについて話が進められます。その3つ目のものとは命の新しさです。

このパンを食べることもぶどう酒を飲むこともできず、命の新しさや神の国の籍を持つのに相応しくない者にかかわり、第三の大切なことをお話していきます。命の新しさを得るためには、信仰の実がこの食卓に着く者にあることが求められます。

これが具体的な行いをもって説かれます。『コリントの信徒への手紙一』にあるこの記述が軸になります。

「私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに与る洗礼を受け、皆、同じ霊の食物を食べ、皆、同じ霊の飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに付いて来た霊の岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらのことは、わたしたちに対する警告として起こりました。彼らが悪を貪ったように、私たちが悪を貪る者とならないためです。」(一コリ10・1~6)

これをもとにして、このようにあってはならないと戒められます。

わたしたちはとても思いやりに欠け、忘れがちで高慢な乞食であって、(略)神のみ力によって感謝を述べるようにとされていても、わたしたちが神を讃えるのは極めて冷淡にそっけなく唇を動かしてであって、心では神を讃えていません。舌では神を讃えても、心では神を敬わず、言葉で敬っていても、行いでは神を崇めていないのです。

ただ外面的に、うわべだけ信仰をもっているように装うなどということがあってはならない。心から信仰を持ち、それにそった行いをもつことで命の新しさを持てると説かれます。聖餐において命の新しさを持つことについてはこうも説かれます。

命の新しさについては、聖パウロが「パンは一つだから、私たちは大勢で一つの体です。皆が一つのパンにあずかるからです(一コリ10・17)」と述べていることに目を向けましょう。キリストとの霊的な交わりだけでなく、キリストとの合一を明らかにすることで、この食卓にある人々は互いに結びつけられます。不和と虚栄や野心と争いや、妬みと軽蔑や憎悪と悪意によって人々がその価値を問われるのではありません。ひと塊のパンのなかにたくさんの麦の粒があるように、一つの神秘体において愛によって繋がれているのです。

これをもとにして、聖餐に与ることによって恩典を得られるということが述べられます。隣人愛にかかわるものです。

わたしたちはかつて対立した兄弟たちと和解をせずにいて、苦い思いをさせてしまった兄弟たちの心を慮っていません。(略)ああ、みなさんはよく考えもしないでどこへ行こうというのでしょうか。平和の食卓にあるというのにみなさんは戦おうとしています。端正な食卓であるというのにそれを乱そうとしています。穏やかな食卓であるというのに議論をしようとしています。憐れみの食卓であるというのに無慈悲でいます。

このようにあってはならないと戒められたうえで、聖餐を通して隣人愛を強めるべきであると説かれます。そのなかで、このように呼びかけられます。

キリストの成員であり天の国を受け継ぐ神の子たちに、神の似姿であり魂を持った高貴な被造物に、善意と愛を注ぎましょう。罪を犯したのであれば赦しを得られます。神に向かう中で躓いたのであれば、また顔を上げればよいではないですか。

最後に第15章全体の締めくくりとして、聖餐を正しく執り行うことの大切さが確認されます。そして祈りの言葉をもって第2部が、すなわち第15章が終わります。

わたしたちは普遍的に一つですので、自分なりの方法を持ってしまっているならそれを改めるべきです。そうです、わたしたちはこれまでの悪の行いを嘆き、罪を憎み、自分たちの悪行を改めなければなりません。涙を流して心を神のみ前でつまびらかにし、確たる信頼をもって神のご慈悲という軟膏を望み、神の愛するみ子イエス・キリストの血で贖われて死に至る傷を癒すことができるというところに立つべきです。


今回は第二説教集第15章第2部「パンはひとつ、皆はひとつ」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。


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