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吾52歳にして洗礼を授かる④(天命編) #209

吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、

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50歳が見えてきて

長男が支援学校を卒業し、障害者就労の「生活介護」という区分で施設に通所していたのが入所することになり、親元を離れて自立と共生に向かって歩み始めた。生活のいわば中心だった長男が家からいなくなり、ぽかんと穴があいた感じになった。当時高校生だった次男が大学受験を意識して勉強するようになり、そうだな、自分も勉強しないとなと思った。「人生100年」の中間点にさしかかり、「何かを残したい」という気持ちにもなったのかもしれない。このあたりのことは過去にも記事にしている。

全訳を完成し公開した

しようしようと思いながら結果的にずっと放置していた16世紀英国教会説教集 Certaine Sermons or Homilies の翻訳に本格的に取り掛かかり始めたのが49歳の誕生日、2020年の元日だった。そこから2年と9か月をかけ、2022年の秋に全訳がひととおり終わり、その年の10月から推敲しつつのnoteへの翻訳掲載とtwitter(現X)への投稿が始まった。noteへの翻訳掲載はそれから1年後、つまりついこの前、2023年10月に終了した。(きっと)誰も成し遂げていない本邦初の全訳公開である。さらに推敲して来年、Kindleで出版したいと考えている。これも先日、記事にした。

翻訳を進めるなかで

この説教集は英文として難解で読み解きにくいもので、翻訳を進めるなかで自分の英語力がまだまだだなということを感じもしたのだが、それ以上に、キリスト教の素養のなさに起因する「なんのことを言っているのかわからない」がたくさんあった。いろいろと教義について調べるなどして進めていき、なんとかカバーするようにしたが、それでもぼんやりしたままだった。これではいけないなと思い、迷いつつも教会の礼拝に出てみることにした。迷ったのは30代のときに教会に行ってあまりいい感触を持たなかったからだが(②「而立編」参照)、それでも、翻訳を少しでもいいものにしたいという気持ちから教会に足を踏み入れた。2023年の2月初めのことだった。

教会に足を踏み入れて

英国教会にルーツを持つ日本聖公会。宗教改革史からみればプロテスタントの一派となるが、多分にカトリックの要素を持っている。聖公会を「プロテスタント的なカトリック」と見る人もいる。両者を結ぶ「ブリッジチャーチ」という形容もある。ともあれ、自分が30代のときにあちこち行ってみた教会とは違っていた。厳格にして温和。教会というところにあまりいい印象を持っていなかった自分ではあったが、信徒のみなさんにとてもあたたかく迎え入れられた感があり、ここなら通ってもいいと思えた。日曜日は何もない限り教会に通うようになり、翻訳を進めるにもぼんやりとしたところが少しずつクリアになっていくのを感じた。またなにより、教会に行ってとても心を安らげることができた。

友人が洗礼を勧めなかった

ところで私の友人に、実家が教会であるというKがいる。大学のゼミからの付き合いで、大学院も一緒だった。地理的に離れているため頻繁に会えはしないのだが、聖公会の教会に通いだして間もないころ、たまたま会う機会があった。説教集の翻訳の進捗度合いを話し、実は教会に通い始めたと言ったら「いいことだよね」としつつも、「しかし洗礼は受けないほうがいい」と言われた。理由は学問と信仰は別物でないといけない、信仰の外で学問をするべきだとということと、教会生活というものが多分に(言葉は悪いが)「ムラ」の要素を持ち、彼自身そこに嫌気がさしてしまっているようだった。自身の経験から勧めたくないと思ったのだろう。

大先輩が入信を勧めなかった

また、職場の先輩にY先生という人がいる。私の親世代の年齢。大先輩である。博学であり、学問への愛が深く、高校教諭ながら翻訳書を出版していて、私が背中を追いたいと思っている数少ない人のひとり。結婚のとき仲人をしてくれた。かつて教会に通われていたもののいまは離れてしまっているのだが、それはそれとして私からは大いなる尊敬の対象である。そのY先生に、洗礼を受けようと思っているということをお話したら、洗礼を受けて信仰生活を送ることには賛成であるものの、教会生活を送ることについては慎重になるようにと促された。上述の友人Kと同じような感じもあった。端的に言えば、教会をよく選ぶようにということだった。

司祭さまに洗礼の相談をした

日曜日はほぼ教会に通い、教義や聖書についての学びも重ねて、翻訳の深まりをみることができたとともに、礼拝で心の安らぎを得てはいたが、洗礼に対してはどこか線を引いていた。ある日、司祭さまとお話をする機会があり、そこで洗礼の話題になった。私は「聖書を読み、イエスに倣う生き方を持つのは、洗礼を受けなくてもできるのではないか。洗礼や教会生活に必然性を感じない」と(いま思えば不遜にも)お話した。司祭さまは頷きつつも、「しかし洗礼を受ければ、もっとそうすることができます」と答えてくださった。また「教会も人間社会です。洗礼を受けたことを後悔したくなる日も来るでしょう。しかし険しい道を避けて平坦で楽な道だけを行こうとするのでなく、信仰をもってそういう道を行くのには意味があるのだと思います」とも言ってくださった。きっと私はこの言葉を忘れないだろう。それからしばらくして、洗礼を受ける決心を固めた。妻も次男も理解してくれた。

吾五十而知天命

50歳を過ぎていろいろなことを思う。大学に入ったとき、もっと前向きに生活していたらもっとキリスト教への素養を持てたかもしれない。翻訳にもっと早くから本格的に取り組んでいれば老眼の進行と戦うこともなかった。しかしこうも思う。何事にも時がある。考えてみるに、はたして30代のとき、仮に聖公会の教会に行ったとして、洗礼を受けようと思えただろうか。精神的にほとんど耕されていなかった私は洗礼を受けなかっただろう。障害をもった長男との日々がなかったらどうだっただろうか。私はもっと度量の小さい人間のままだったろう。そのうえで49歳になってから翻訳を本格的に始めたのも、52歳になって洗礼を受けるに至ったのも、ともに必然であり導きであったのだと思う。天命を知ったと言えばおこがましいかもしれないが、あながち的外れではないと思う。いよいよ洗礼を受ける。この続きは次回に。

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