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吾52歳にして洗礼を授かる①(志学編) #206

吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、


キリスト教をこうみていた

キリスト教・・・
怪しい、でもなんとなくおしゃれ、遠い存在。
クリスチャン・・・
みんな頭がよく育ちのいい人、みんな善人。
教会・・・
恐いところ、入りにくいところ。
聖書・・・
ただただ難しそう、天地創造、この世の終わり。

15歳のころの、いや、たぶん20歳くらいまでの私のキリスト教や信仰にかかわる意識はこのようなものだった。自分の生活の中にキリスト教という言葉が初めて入ってきたのはたぶん中学1年のとき。当時通っていた学習塾(小さな個人経営塾)の主宰である「M先生」がクリスチャンだったということ。それが人生で初めて、自分の人生にキリスト教という言葉が入ってきた時だった。

クリスマスはこう過ごす

週に2回の塾だったが、クリスマスが近くなったとき、とある塾生が授業のなかで、「先生、クリスマスは塾が休みにならないんですか?」と、なんとものどかなことを質問した。M先生は「クリスマスは馬鹿騒ぎするためにあるのではありません。クリスマスイブは次の日を待つ日で、クリスマスは午前中に礼拝をしてお祝いする日で、だから夕方からのこの塾はお休みになりません」というように答えた。ちょっと言葉のセレクトが記憶違いかもしれないが、だいたいそんなことを言っていたのを覚えている。でも私にはその意味は全然わからなく、ただぽかんと聞いているだけの中学生だった。

はじめて教会に行く

高校に入って1年目、LHRの時間に何をしようかとなり、どういういきさつでそうなったかは覚えていないが、学校から歩いて数分のところにある教会(たしかバプテスト系)にクラスで行こうということになり、担任の先生が交渉して、教会で講話をいただくことになった。ちなみに母校は別にミッション系でもなんでもない公立の男子校。牧師さんがいろいろ話したのだけどまったく覚えていない。でも教室に戻ってから担任の先生が「あの牧師さん、『神が人を造った』って断言してたなあ。言いきれるってすごいな」と言っていたのは覚えている。たいして感動はなく、へぇ~、という受け止めでしかなかった。

キリスト教系の大学に進む

しかし進んだのは地元のキリスト教系の大学。英文科。よくある「第一志望に落ちたが浪人したくもなかったので仕方なく進んだ」という手合い。入学当時は本当にやる気がなく、聖書と讃美歌集を手渡されたが、大学礼拝に出るように促されることも、必修の「キリスト教学」を履修するのも、なんか億劫だった。大学の構内のどこかに「神を畏れるのは知識のはじめ」とか「あなたの若いころに神を覚えよ」とか書かれていたのだが、まったく意に介さなかった。いま思うと本当に無駄なことをした。大学の最初の2年間は、つまり20歳になるまでは学問に対して後向きであったし、まして信仰などというものについては考えを及ぼすことさえなかった。

ゼミに入って変わった

3年生になってゼミが始まった。なんと英文科のどまんなかとも言える(?)「シェイクスピア」のゼミに入った。抽選だった。そこで出会ったのが「S先生」だった。紳士的でいかにも英文科の教授。しかも熱心な先生。シェイクスピア作品を原書で輪読しつつ、担当する範囲について研究論文をあたるなどして解釈を発表するという形式のゼミ。いいかげんなことを言うと先生からツッコミがくる。けっこうな勉強になった。勉強するのが楽しくなり、2年までの自分とはまったく違うことを自覚できた。「オセロ」の輪読をしているなかで、担当した範囲に「信仰(faith)」という単語があった。いろいろ調べていったら「信仰とは目に見えないものを信じることである」という言葉に出会った。目に見えないものを信じる。ちょっと心が動いたのを覚えている。それがきっかけとなったのか、大学礼拝にも積極的に参加するようになった。

大学院に進む

3年のゼミ合宿でS先生に大学院に進むことを勧められた。勉強が面白いと思って自分には拒絶する特別な理由はなかったが、一方で大学を出て高校の教師になろうと思っていたので迷いはあった。いろいろなことを思い考え悩み、親から反対されつつも、最終的には「人生のなかで勉強しようと思って勉強できるのは今しかない」と考え、この一点で大学院への進学を決めた。大学を出てそのまま公立高校の教師になるということもできたのだが、安定を選ばずに自分の心に従った。周囲からは奇異の目で見られたが、ここに後悔はない。いまでもこれでよかったと思っている。大学院に進んでも大学礼拝に出れる時は出た。

ルター訳の聖書を読む

ところで、大学院の入試には第二外国語としてドイツ語またはフランス語の試験があった。そもそも大学入学当初は大学院を考えていなかったので、両方ともまったくわからない。そこでドイツ語の文法書を買って独学で進めた。ドイツ語の学習は面白かった。ルールが厳格でパズルのよう。しかしどれだけ文法を学んでも「読む」ことをしないとと思い、大学4年の時に他学科の授業にもぐり込もうとした。それが縁で「K先生」に出会った。事情を知ったK先生はわざわざ時間を特別に割いてくださり、かくしてK先生との「聖書を読む会」が始まった。ルター訳の「ヨハネ福音書」を読むという会だった。ドイツ語を日本語に訳せはするが福音書の内容を理解することはできなかった。いま思うとかなりハードルの高いことをしていた。しかしこれは私の礎になっていると言える。

吾十有五而志于学

以上、15歳どころか大学院に入る22歳までの話になった。キリスト教や信仰を縁遠いものと思っていた自分が、大学に入ってS先生とK先生に出会い、思えば革命的に方向転換した感がある。転換点は20歳だったか。いや、方向転換をしたのではなく、人生はそもそもそういうものなのだろうが、そこにあるものに気がついたということだったろうし、導かれていったということだろう。キリスト教系の大学に進んでいなければ両先生との出会いはなかった。大学院に進もうと思わなければヨハネ福音書をドイツ語で読もうということもなかった。また大学礼拝に積極的に参加して聖書や讃美歌や説教や祈りを身近に感じることもなかった。信仰と学びを混同してしまうようだが、また、どの瞬間がそうだったとは言えないが、いま振り返ってみてなんだかんだで「学を志した」時期が中学1年の13歳から22歳までだったように思う。次回はこの続きを。



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