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解説 施しをする人は欠乏しない(第二説教集11章3部) #143

原題:An Homily of Aims-Deeds, and Mercifulness toward the Poor and Needy. (助けを求める貧しい人々に対する施しと慈善についての説教)

第3部に入ります。聖句でいうテーマはこれでしょう。

蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたに種を備えて、それを増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(コリントの信徒への手紙二 第9章10節)

第3部のポイントは次の4点です。
①第1部と第2部の振り返り
②神は施しをする人を困窮させない
③困窮を恐れ施しをしない者たち
④神は恵み深い~まとめと結びの祈り

第1部と第2部があわせて振り返られます。施しの大切さと受ける果実の大きさを踏まえた上で尊大になる者への批判が述べられます。

神のみ恵みを受け恩寵に与るのに相応しいと考えるこのような者に限って、大変な貪欲さに動かされ、びた一文すら、パン一切れすら、施しなどしません。(略)そのうち彼らは神の恩寵を離れてもよいとする言い訳を探し、(略)むしろ貪欲さをもって悪魔に傾くことを選んでいます。

慎ましさも柔和さもなく尊大な者は節操に欠けるものだと言わんばかりです。このような者を念頭に置いて説教が進められますが、まずは神が施しをする人を困窮に至らすことはないと説かれます。

聖霊はあらゆる真を知っていて、わたしたちにそれとは正反対の教訓を与えています。蓄えがなくなることのない支出というものがあって、ひどい貧困を人間にもたらす蓄財というものもあると聖霊はわたしたちに説いています。

そして聖霊の力によって書かれた聖書からさまざまの引用が紹介されます。その最たるものは預言者エリヤに施しを与えた貧しい女性の例(列王記上17章)です。

飢饉は続きましたが彼女は神の祝福を受け、「かめの小麦粉は尽きず、瓶の油がなくなることはないとなった(王上17・14)」という状態になり、「彼女もエリヤも、彼女の家の者も幾日も食べることができた(同17・15)」のです。

貧しい女性が空腹の見知らぬ預言者に施しをする。それを神は喜び、彼女に蓄えを与える。それなのに昨今の強欲な人々は、という批判が進められます。特に、施しをすることによって自分が貧しくなってしまうのではないかという恐れを持つ者については、この女性の例にみる神の恵みを信じていないとして痛烈に批判されます。

貧しい人に施しをすれば自分の持てるものがなくなるのではないかという虚しい恐れは、子どもや知恵の足りない者が持つ恐れにとてもよく似ていています。(略)貧しい人に施しをすることで悲惨にも極貧に至り、神に顧みられなくなった人がいるなどということを、わたしたちは聞いても知ってもいません。(略)どのような形であれ、神に心から揺るぎなく仕える人を、神は貧しさに追いやりはなされませんし、まして滅びに至らしめられるなどということはありません。

神への信頼をしっかりと持てばこのような誤謬には至らないとされます。また、わたしたちが施しという行いを「することによって」神の褒賞に与るというのではないということが、第2部で提示されたことを受けるかたちで示されます。

み言葉に従い、み心に適って貧しい人々に憐れみを向けているから、神はわたしたちに寛容であられると考えてよいのでしょうか。そうではありません。わたしたちがそれを得ようと意図して何かをするということがなくても、神はわたしたちにあらゆる富を与えてくださります。

神を信じ、隣人を愛し、施しをする。このことを強く説いて、結びに祈りをして、第3部は、つまり第11章は終わります。

今回は第二説教集第11章第3部「施しをする人は欠乏しない」の解説でした。次はこの試訳となります。

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