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解説 内輪で争うべからず(第二説教集21章3部) #195
原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)
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第3部の解説をします。聖句でいうテーマはこれでしょう。
イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも内輪で争えば荒れ果て、どんな町でも家でも、内輪で争えば立ち行かない。」(マタイによる福音書 第12章25節)
第3部のポイントは次の4点です。
①第2部までの振り返り~反乱はいかに悪か
②十戒の後半と七つの大罪は反乱への訓戒
③反乱は外敵との戦争よりも悲惨である
④結びの短い祈りと一同に唱える祈り
冒頭で第2部までが振り返られ、第3部の要点が述べられます。
第一部では、真の臣下であれば善良な君主に対してだけではなく邪悪な君主に対しても同じように服従するべきという聖書の教えについてお話をしました。そして第二部では、その教えについてやはり聖書から有名な逸話を紹介してみなさんに理解を深めてもらいました。その続きとして、この第三部でわたしがいくらかでもみなさんに理解してほしいことがあります。反乱は神に対してどれほど忌むべき罪であり、神の怒りはあらゆる反乱に対してどれほど激しく向けられ、反乱を起こす者の頭上にはどれほど恐ろしい災厄や罰と永遠の破滅である死が降り注がれるかということです。
第3部の要点が述べられたあと、十戒に触れられます。第21章は反乱を戒める説教であるのですが、いかに反乱が悪辣であるかを徹底的に聖書の文言から説こうとする姿勢が強く見られます。
多くの反乱者は神の律法を記した石板の一枚目にある戒律のどの部分も破らず神に対する罪を為さないようにしながら、自らの偶像を守るために、また偶像崇拝を続けるために、つまり偶像による罪を犯すために反乱を起こしています。(略)神の律法を記した石板の二枚目には人間に対して犯されるあらゆる罪が書かれているのですが、実はそれらがすべて反乱にかかわることであることに気付かない人がいるでしょうか。
十戒の後半(第五戒以降)はすべて反乱に結びつくものであるとして、神が人間に強く反乱を戒めていることの証左とし、ひとつひとつについて述べられていきます。また、七つの大罪についても、すべて反乱を戒めているものとして述べられています。それぞれ、例えばこのように説かれます。
(第五戒について)まず反乱者は国家の親とも言える君主に誉れを向けないばかりか、自身の両親にも不名誉と恥を向け、場合によっては縁者や友人にも恥を向けるとともに、自身の子や後継ぎに対してさえも不名誉を行います。
嫉妬や憤怒や血を求めて人を殺めることや他人の所有物や土地や家に向ける強欲について言えば、これはあらゆる反乱者が必然的に犯す事柄であり、邪悪な者をしばしば反乱に向かわせる根源となるものです。
十戒と七つの大罪と、ともにキリスト教文化圏にあって馴染みのあることにかかわり、これらがすべて反乱につながるものであると説いて、第2部までを受けつつ、反乱がいかに悪であるかが確認されていきます。この上にたって反乱の悪辣さが説かれていきます。まずは反乱を含めて争いというものによって民が疲弊するということが述べられます。
反乱者は短い期間で人が次の一年を過ごすために苦労して育て手に入れたあらゆる穀物など大切な食糧を浪費します。また次の一年の食糧を育てるべき農民を含めたすべての人を農作業など必要な仕事から遠ざけます。反乱のすぐ後には極端な飢餓や空腹が続いて起こるということを理解できない人などいるのでしょうか。
このような民の疲弊ぶりは反乱のあとに限らず、外敵との戦争のあとにおいてみられることでもあるのですが、それでも外敵との戦争よりも反乱のほうがはるかに悪辣で悲惨であることが述べられます。
このような悪行が反乱の中で、友人であるべき隣人によって、郷土の人や血縁のある人によって、つまりは本来ならばそのような悪行から郷土やそこに住む人を守るべき人によって為されたらどうでしょう。
自身の悪行によりついには自身の国を弱め、侵攻してくるすべての外敵にとっての餌食とならしめ、生き残ったすべての国民とその子どもや友人や近親者を永遠の虜囚や奴隷となさしめて破滅させます。邪な反乱によって多くの人が外敵の手に渡され、その中で生きることになります。
反乱が外敵との戦争よりも悪辣であるのは、本来は味方であるべき者と争う悲惨さと、そうして国が弱体化することによって外敵に滅ぼされる危険の増大があるためである。悪魔の誘惑に負けず、正しく神に向かい、神が定めたこの世の君主への服従を強く説いて、短い祈りののち第3部は終わります。その後、第2部までと同じく、一同での祈りが唱えられます。
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今回は第二説教集第21章第3部「内輪で争うべからず」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。
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