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夫婦は共に敬い合うべし(2)(第二説教集18章試訳2) #178

原題:An Homily of the State of Matrimony. (結婚の意義についての説教)

※第18章の試訳は2回に分けてお届けしています。その2回目です。
※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です)
(15分57秒付近から):




サライはアブラハムに従順だった

 また、この旅におけるあらゆる悲惨や労役や苦難ののち、アブラハムはすべての土地を主有する者となりましたが、自分の持てるもののなかからロトに良い土地を分け与えました(同13・10)。このことについてサライはほとんど悲しむことなく、今日の女性が発しがちな言葉を口にすることはありませんでした。夫が高い立場にいながら、むしろ損をして年少者の下に置かれるのを見れば、今日の女性なら夫を激しい口調で叱責し、ばか者や能無しや腰抜けなどと呼ばわることでしょう。しかしサライはそのような言葉を口にしないどころか、そのようなことを言おうと考えもせず、夫の知恵や思いを受け入れました。ロトはアブラハムの言葉をそのまま受け取り、アブラハムにはわずかな土地が残るのみとなりました。しかしながらそののち図らずもロトは大変な苦境に陥りました(同14・11~12)。彼の苦境がこの父祖アブラハムの知るところとなったとき、彼はただちに自分の従者すべてに武具をつけさせ、自ら身内の者たちとともに多数のペルシア人に対しました(同14・14)。そのときもサライがアブラハムに意見を言うことはありませんでした。話そうと思えばこう話せたでしょうに話しませんでした。「旦那さま、あなたは人の話も聞かずにどこへいくのですか。」「なぜそのように急ぐのですか。」「その人はあなたにあんなに悪いことしたというのに、なぜそのような危険に身を投じ、自分の命を危うくし、あなたに従う人々の命まで危険にさらすのですか。」「自分の身を考えていないとしても、わたしの気持ちになってほしいのです。あなたへの愛によってわたしは自分の親類と国を捨てて、友も一族もそばにはいななかであなたとともに遠い国に来ています。わたしを憐れんでください。わたしを未亡人にしないでください。わたしをそのような厄介ごとに巻き込まないでください。」このように言うこともできたでしょうが、サライはそのように言うことも思うこともなく、一貫して口出しをしませんでした。また、彼女が子を授かることができずにいて、家に実りをもたらそうとするための苦痛を他の女性たちのように持てなかったときに、彼は何をしたでしょうか。彼は妻に不満を言わず、全能の神に不満を述べたのでした(同15・2)。

夫も自身の務めを行うべき

 どれほど二人がそれぞれに相応しい務めをしたのかを思ってください。子を授からないからといってアブラハムがサライを蔑みはしませんでしたし、その不満をサライに話すこともありませんでした。また、サライの求めに応じながらも、どのようにしてアブラハムが家から侍女を追い出したのかも思い出してください。このことによってわたしは、あらゆることにおいてこの夫婦の一方がもう一方について喜びを持ち穏やかであったことを明らかにすることができます。ただしこのことにのみ目を向けるのではなく、そこに至るまでに何があったのかを見ますと、ハガルは自分の女主人であるサライを見下しましたし、アブラハム自身もいくらか惑わされもしました(同16・3~4)。これは心の広い女性の貞淑というものにとって耐えがたく痛みのあることに違いありません。妻が夫の務めにむやみに口を出すようであってはいけません。妻は自身の務めを行うように心得るべきで、それによってあらゆる大きな賞賛を得ます。同じように、夫は妻にかかわることにばかり目がいって、それを考えるのみとなってはなりません。それは夫の務めではありません。わたしがお話しているとおり、夫婦それぞれに自分の務めをよく行うべきです。わたしたちは見知らぬ者に右の頬を打たれたら左の頬を向けるべきであるほどなのですから、厳しくて冷淡な夫に耐えるなど当然のことではないでしょうか。とはいえ、わたしは男性が自分の妻を打ってよいなどと言うつもりはありません。そのようなことは神が禁じられています。そのようなことは打たれたその女性にとってはもとより、そのようなことをした男性にとって極めて恥ずべきことです。しかしもし運悪くそのような夫を持ってしまっていても、あまり深刻にとらえることはありません。それによって後の世で決して小さくはない報償に与ることや、穏やかに過ごしていればこの世の生においても決して小さくはない賞賛がもたらされるということを思うべきです。

夫は妻に手を上げてはならない

とはいえわたしは世の夫について、自分の妻を打つなどという罪深い過ちをする者がひとりもいないようにと願っています。いや、わたしは何を言っているのでしょう。妻だけではありません。そうではなく、誠実な男性であるなら、女召し使いに手を上げて打つこともあってはなりません。すなわち意のままにできる召し使いを打つことすら男性にとって恥ずべきであるのですから、自由の身である女性に手を上げるのは責められることです。回教徒が定めた法律では、暴力を振るうために一緒にはいられないような夫と長く暮らすことを妻に対して免除するとされています。人生の伴侶であり、人生の大切なところで結ばれた妻を奴隷のように酷く扱うというのは非道なことです。野獣と呼んでもさしつかえないそのような男性は実の父母を殺めてしまう男性に喩えられるでしょう。わたしたちは妻のために父母から離れるようにと命じられていますが(エフェ5・29)、そこでは誰も傷つけてはならず、神の律法を満たすようにされています。妻のために両親を離れるべきと神が命じられているのに、どうしてその妻を暴力的に扱うことが大変な狂気の沙汰と思えないのでしょうか。そうです、誰がそのような悪を許すというのでしょうか。仲間と一緒になって家にあるすべてのものをひっくり返すような手に負えない夫をまるで狂人であるかのようにしかみることができず、妻があちこちの通りで大いに嘆き悲しむのを見ていながら、その状態を正常なものと言える人がいるのでしょうか。そのような人は市場ではない別の場所にいることが相応しいと思わないでしょうか。ひょっとすると妻が夫にそうさせてしまっていると反論する人もいるかもしれません。しかし今一度考えてみてください。女性とは弱き器であり、男性である夫は女性の上にあって、服従を受けてその弱さを受け取るべきです。夫は自身の権威を誠実に示せるようになるべきです。弱い女性に我慢強い服従を強いるのではなく、そうするべきです。

夫は妻に対して礼儀正しくあるべき

 王が大いに気高く見えれば見えるほど、その臣下や従者たちはまずます気高くなりますが、王が誉れを汚して王としての権威を下げれば、王は自身の誉れを失うことになります。これと同じように、隣にいる妻を蔑むなら夫は自身の権威が持つ気高さや美徳を汚して貶めてしまうということになります。これを心のなかでよく考えて柔和で穏やかであるべきです。神が妻を通して子を授けられることによって夫は父親となり、自身を喜ばせることになっていると理解しなければなりません。みなさんは農夫が大した失敗もしないで、農地にするべく得た土地を大変な勤勉さをもって耕しているのを目にしていないのでしょうか。例を挙げれば、土地が乾いているところにただ草を植えても、土が十分に水を含んだものになどなりようがありません。しかし農夫がそこを耕せば果実を収穫することができます。これと同じように、夫が勤勉さをもって伴侶の心をよく説くようにすれば、つまり妻の心からよろしくなく生えてくる雑草を少しずつ抜くことに健全な考えをもって勤勉に取り組めば、時がきて夫婦の心を満たす香しい果実を得ないはずはありません。これは偶然に起こることではないので、わたしはここでみなさんにそうするようにと言っているのです。何か不快なことが家の中であって、妻がまったく正しくないことをしたとしても、妻を慰めて重苦しさを増さないようにするべきです。それほど多くはないことでしょうが、家のなかで妻の慈悲心を望むよりも悲惨なことはないでしょう。妻と言い合いをすること以上に耐えられないと感じるものとして、みなさんはどのようなことを挙げられるでしょうか。そう考えればみなさんのほとんどはこの敬意のある愛を持つべきということになります。何らかの重荷を隣人の誰かから受け取ることもあるのですから、妻の手からはなおさらのことです。妻は弱いのですから責めてはなりません。妻に知恵が足りなくても嘲ってはならず、礼儀正しくあらねばなりません。妻は夫の体であり、夫とともに一体となっているのです。

夫は妻に怒りを向けてはならない

 しかしひょっとすると、妻が何の知恵も理性も備えておらず、怒りっぽくて大酒飲みで乱暴であるということがあるかもしれません。ただそうであるのならばむしろ妻を憐れまなければなりません。怒りに駆られるのではなく全能の神に祈るべきです。そのような妻はよい助けをもって支えられねばならないのであり、夫は大いに努めて妻がそのようなことへの執着から救い出されるようにしなければなりません。それでも夫が妻を打つようなことがあれば、かえって妻のそういった悪い執着を増長させることになります。まゆをひそめるような憎々しい行いが、まゆをひそめるような手段で和らげられることはありません。柔和さや温和さをもってするべきです。神のみ手からどのような報償を授かるかを考えてみましょう。神の律法においては、どのような過ちを妻が犯そうと、夫が妻を追い出すことは禁じられています。妻を打とうとすることがあっても、神を畏れて妻のその行いに我慢強く耐えるべきです。そうすればやがてとても大きな報償に与るのみならず、この世でたくさんの利益を得ることになります。妻がよく従うようになり、妻によって自分がより柔和になります。あまり有名ではないある哲学者が、まゆをひそめたくなるような大酒飲みのとんでもない妻についての話を残しています。妻の悪行に耐えている夫がその思うところを問われて次のように答えます。「このようにわたしの家には教師がいて、わたしが外でどう振る舞うべきかを見せてくれています。わたしが他人に優しくなれているのは、毎日のように忍耐をもって妻に接しているなかでよく学んでいるからなのです。」確かにわたしたちよりも、そうです、天使にというよりも神に似せて造られたわたしたちよりも、柔和さということについて回教徒のほうに知恵があるというのは恥ずべきことです。また、かの哲学者ソクラテスは愛の美徳ゆえに妻を家から追い出しはしませんでした。もっとも彼がその妻と結婚したからこの美徳を学んだと言っている人もいます。

夫は誠実をもって妻を大切にすべし

 多くの男性がこの哲学者の知恵から遠く離れているのを見て、まずもってわたしの言いたいことは、あらゆることにまさって、あらゆる誠実さと美徳をもって夫は妻を大切にする努力をするべきということです。男性が欺かれ、従順でもなければ大目にみてあげることもできないような妻を選んでしまうこともあるでしょう。しかしそれならば、その夫にはこの哲学者に倣い、どのようなときでも妻をそのまま受け入れ、望ましくないところに至らないようにしてほしいのです。商人がはじめて商売相手と組むとき、お互いの関係を穏やかに持とうと思わなければ自分の船を出さないでしょうし、相手の商売に手を貸しもしないでしょう。家の中のことすべてを極めて平穏かつ平静に行うための商売相手とも言える妻の理解者になるためにあらゆることをしましょう。そうしてあらゆることが平穏に進めば、わたしたちはこの世の荒海にある危険を越えていけます。この生活の形はわたしたちの家よりも、召し使いたちよりも、お金や土地や家財といった言葉にし尽せるあらゆるものよりも誉れがあり心地のよいものです。煽り合って不和をもってしては、何の心地よさももたらされはしません。夫婦の絆を心の一致をもって持とうとすれば、わたしたちの利益や楽しみが増えます。その上に立ってできうる限りの努力をし、結婚生活をうまく進めてあらゆる面で豊かになることができます。みなさんは悪魔の罠や肉的で放埓な情欲から逃れています。みなさんは神が定められた結婚によって良心の安らぎを得ました。神はみなさんのそばにおられ、夫婦の間の一致と愛を持たせ続けてくださっています。

まとめと結びの祈り~悪魔を退ける

絶えず神に祈りましょう。自分のできることをすべて行い、自身を平穏と柔和のなかに置き、たまにある過ちによく耐え、夫婦の仲を極めて喜ばしく心地よいものにしましょう。ともすればいくらかの困難があり、喜ばしくないことが次から次へと起こるかもしれませんが、その中では天にもろ手を上げて、みなさんの結婚を作られた神のご助力を仰ぐことによって、安堵の約束を手に入れることができます。キリストは福音の中で「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである(マタ18・20)」と言われています。約束を手にすることができていて、助けがこれほど近くにあるというのに、どうして危険を恐れることがあるのでしょうか。また、みなさんはキリスト教徒がキリストの十字架を担うことがどれほど大切なことであるかを知らなければなりません。そうでなければわたしたちは自身に向けられている神のご助力がどれほど大きなものであるかを知ることができません。結婚生活にあって、その大いなるみ恵みについて神に感謝を献げましょう。いますぐ祈りましょう。全能の神が喜ばしくもみなさんを守られ、あらゆる誘惑にも逆境にも陥らないようにしてくださります。ただし、みなさんはあらゆることにまさって、悪魔が不和をもたらすことによって祈りを妨げることがあることによく気をつけなければなりません。この世において、祈りよりも強くわたしたちを守るものはありません。祈りにおいてわたしたちは神のご助力を求め、それを得ることができます。そうしてわたしたちは神の祝福とみ恵みとご加護を得て、来るべき世を思い続けることができます。わたしたちに与えてくださる方に、わたしたちのために死んでくださった方に、すべての誉れと賞讃が世々とこしえにありますように。アーメン。

今回は第二説教集第18章「夫婦は共に敬い合うべし」の試訳2でした。これで第18章を終わります。次回は第19章に入ります。最後までお読みいただきありがとうございました。

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