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解説 暴飲と暴食を避けよ(第二説教集5章) #110

原題:An Homily against Gluttony and Drunkenness. (暴飲と暴食を戒める説教)

第二説教集第5章の解説をします。この章は部に分かれていません。聖句でいうテーマとポイントは次のとおりです。

だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(コリントの信徒への手紙一 第10章31節)

第5章のポイントは次の5点です。
①第4章の振り返りと第5章の目的
②聖書にみる暴飲と暴食の戒め
③暴飲と暴食に陥った人々の逸話
④なぜ暴飲と暴食をしてはいけないのか
⑤まとめと結びの祈り

第二説教集に入り、すでに紹介しましたとおり、第1章から第3章までが「偶像崇拝」を中心に据えての一連のものとみることができますが、第4章から第6章までは「節制」をテーマとしての一連のものとみることができます。第5章の目的は第4章を踏まえて示されます。

前回の説教では断食という美徳の何たるかを、その正しい行い方とあわせてお話しました。これからみなさんは、暴食と暴飲が神の御前にあってどれほど愚かなことであるのかについての話をきき、より勤勉に断食をするようになることでしょう。みなさんは聖書の中で全能なる神が多くの人々に対し、救い主キリストの栄えある御姿を求めて自身の生をあらゆる穏健と貞節と節制のなかへと向かわせるようにと命じられたことを知るべきです。

断食にしても、暴飲と暴食にしても、節制が肝要である。このように説かれたのち、本題に入って行きます。

あらゆる行き過ぎというものがどれほど全能なる神の御稜威に反しているのかを知らなければなりません。日用の生を保つために神が創られた肉や酒や衣服を慎みなく濫用すれば神がどれほど恐ろしくわたしたちを罰せられるのかについて、みなさんに明らかにしておくべきでしょう。加えて、そういった行き過ぎの先には贅沢な衣服にお金をかけるなどといった豪奢に贅を尽くすという享楽があり、それによって自身を真っ逆さまに落とす不快な病や大きな災難が起こるということもあとでお示ししたいと思います。

肉や酒も当然のことながら「被造物」であり、神が秩序の下に置かれたものである。それを濫用することは罪であると説かれ、このあと、聖書から様々な引用が紹介されます。また、「節制」という大きなテーマのなかで第5章では暴飲と暴食が戒められることになるものの、第6章に説かれることになる華美な衣装への戒めについてもここで言及されていることがとても興味深く感じられます。やはり第4章から第6章までは一続きと考えられます。

暴飲と暴食を戒める言葉が新旧両方の聖書から数多く引用されます。そのうちの一部を紹介します。

「今食べ飽きている人々、あなたがたに災いあれ、あなたがたは飢えるようになる。(ルカ6・25)」

「災いあれ、ぶどう酒を飲むことでは勇者、麦の酒を混ぜて飲むことにかけては豪快な者に。(イザ5・22)」

このように暴飲や暴食を禁じる聖書の言葉が引用されます。これに加えて、暴飲と暴食によって身を滅ぼしたという逸話が新旧両方の聖書から多く紹介されます。ノアやホロフェルネスしかり、ヘロデ王しかり、ラザロに施しをしなかったあの金持ちしかりです。ただ、その最たるものとして、アダムとイブが挙げられます。

わたしたちの始祖であるアダムとイブは禁断の実を食べるという醜い食欲に従っていなかったら、楽園で享受していた神の豊かな御恵みを失うこともなかったでしょうし、自身にもまたその後の子孫にも、多くの災禍をもたらすこともなかったでしょう(創3・6)。(略)この二人はもはや楽園の木の実を食べることもなくなってしまったのですが、それは二人が節度をもって御恵みを受け取らなかったためです。

アダムとイブの過ちにしても、暴飲や暴食にかかわるものであり、節制にかかわるものである。これによって人間はいま苦しんでいる。これが暴飲と暴食という罪の最たるものとして説かれています。この上で現世に生きる人間たちに対して、なぜ暴飲や暴食をしてはいけないのかが端的にこのように述べられます。

聖パウロはわたしたちに「だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい(一コリ10・31)」と説いています。(略)身体の中にあまりに多く肉を詰め込んだり酒を注いだりして動きが鈍くなると、神の御栄えを讃美することができなくなります。どんな人間であれ、食べたり飲んだりしすぎることによって神に仕えるのに相応しくなくなれば、罰を受けることを免れないと考えなければなりません。神にすべての誉れと栄えとが、とこしえにありますように。アーメン。

この世の生の目的は神を讃えることであるのだから、その妨げとなることは避けられなければならない。飲み物も食べ物もすべて神が創られたものであり、それを濫用してはいけない。第5章ではこのことがさまざまの引用をもって繰り返し説かれたのち、次のように締めくくられ、そののち祈りをもって終わります。神を讃えつつ、第4章にみられた、国民を統合しようとする色合いもあります。

節度のないあらゆる事柄を避け、質素で適度な食事をしてよく節制や断食を心がけ、そうすることによって心から神に向かうべきです。神の御心に適うあらゆる行いをなし、祈りを通して神の御言葉を聞いたり読んだりして心の平穏に至りましょう。(略)みな国家にとっての有益な民であり、キリストと教会を謗ることのないキリスト教徒です。したがって、野放図で行き過ぎた酒宴などせず、真の信仰を告白する人に相応しいありかたを守り、聖パウロが述べたきまりによって(一コリ10・31)、あらゆるものを美しく創られた神の御栄と讃美のために、感謝をもって、ものを食べたり飲んだりとしましょう。神にすべての誉れと栄えとが、とこしえにありますように。アーメン。


今回は第二説教集第5章「暴飲と暴食を戒める説教」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするには長いので、次回と次々回にわけて投稿します。


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