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シューティングゲームの歴史

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シューティングゲームの歴史を綴ります。 ※2007年頃に個人サイトで読み物として公開していたものです。
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はじめに

はじめに

 終戦後直後の情報は意外と少ないことや誤訳、事実誤認などがまだあると思いますが現在判っている範囲の内容をまとめてあります。間違いや勘違いを見つけた場合はご指摘ください。ただし、歴史に関わるものですので必ず検証可能な典拠をご呈示ください。後日、典拠をもとに検証を行い、参考文献への追記、当該記事の加筆修正をします。

 国産アーケードゲームを軸に調査を進めている関係上、骨子は国産アーケードゲームとなり

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世界最古のアーケードゲーム

世界最古のアーケードゲーム

 日本においてシューティングゲームの元祖と言えば「スペースインベーダー」(1978年7月、 パシフィック工業)を思い浮かべる人は多いと思います。当時の社会的な熱狂ぶりを考えると当然です。

 しかし、海外に目を向けてみるとシューティングゲームというのはもっと古くから存在していることがわかります。

 1978年よりも前に発売されていたシューティングゲームには、1976に発売された対戦型アクションシ

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ビデオゲームの誕生

ビデオゲームの誕生

 そもそもビデオゲーム───それはコンピュータが演算結果をモニタ上へ返すテレビゲーム───というものが最初に出来上がったのは、 一体いつの時代のことだったのでしょうか。

 解像度はとても低いものではありましたが、人間の視覚に記号を認識させるようなモニタを利用しているというものに限定した場合、「EDSAC」(1949年、Maurice Vincent Wilkes)というコンピュータ上で作成された

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シューティングゲームの誕生

シューティングゲームの誕生

 1960年なると、多くのハッカーを産み出すことになったコンピュータ「PDP-1」がDECより発売されました。PDP-1はマサチューセッツ工科大学に寄贈され、多くのハッカー達がプログラムを作成していきました。

 そんなプログラムの中で初めて生まれたゲームが「Space War!」(1962年2月、Stephen R.Russell)です。このSpace War!は二機の宇宙船を二人のプレイヤーが

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世界初のPDS

世界初のPDS

 PDP-1で人気を博したゲームSpace War!が登場してからというもの、長い期間に渡って学生たちを虜にしてきました。理由はふたつあります。

 ひとつはSpace War!を作り上げたハッカーたちがSpace War!の特許を取得せずにPDS(Public Domain Software:パブリック・ドメイン・ソフトウェア)とし、公共のソフトウェアとして配布したことです。そのため、色々な大学

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世界初のアーケードゲーム

世界初のアーケードゲーム

 ブッシュネルは最初からアーケードゲームの開発にたずさわっていたわけではありません。アンペックス社の社員として働いている日々の中で、コンピュータの値段が徐々に下がり、おおよそ8,000ドル程度にまで下がってきたのを知り、既製のICとうまく組み合わせれることでコストダウンできると判断したため、学友のテッド・ダイニーとシジギ(Syzygy)という会社を興してゲーム開発を始めたのです。

 シジギがはじ

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コンシューマ機の誕生とアーケードゲームの転機

コンシューマ機の誕生とアーケードゲームの転機

 かくして世界初のアーケードゲームComputer Spaceが市場に投入されたのですが、残念ながら興業結果は燦々たるものでした。この「楽しいゲーム」の人気が出なかった理由はこう考えられます。

・ボタン4つによる操作が難しすぎた

・ゲームの難易度が高すぎた

 「ゲーム」という新しいカルチャーにはじめて触れる顧客からすれば、1962年のオリジナル・バージョンから10年をかけて進化した内容は、マ

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3つのComputer Space

3つのComputer Space

 Computer Spaceは市場には受け入れてもらえず商業的には失敗した作品となってしましました。しかし、ブッシュネルはただ手をこまねいて見ているようなマネをしませんでした。彼はコンピュータスペースについているコントロールパネルを何度か改良し、市場に投入しているのです。

 Computer Spaceの元となったSpace War!には、2つのスイッチが取りつけられた専用コントローラが作成さ

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ゲームはみんなで遊ぶもの

ゲームはみんなで遊ぶもの

 ここまで見てきたように「敵が攻撃してくる」というスタイルのシューティングゲームが登場したのは、 世界初のアーケードゲーム『Computer Space』からだったことがわかります。しかし、Computer Spaceの商業的な失敗からわかるように難しいゲームは、まだ一般的なプレイヤーたちには受け入れにくいものだったようです。

 Computer Spaceは当初はひとりで遊べるようにできていま

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教育コンピュータ『PLATO』

教育コンピュータ『PLATO』

 世界初のFPS(First Person Shooting)である『Spasim』(1974/3)は、テキスト入力形式のアドベンチャーゲーム『Star Trek』(1971, Mike Mayfield)をベースにして作成された先進的なシューティングゲームです。SpasimがStar Trekと大きく異なるのは、単なるテキスト入力形式のゲームではなく、スペースシップ内をワイヤーフレームでリアルタ

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多様なPLATOゲーム

多様なPLATOゲーム

 PLATOでは教育向けのプログラムのほかにも、いくつかゲームが作成されています。PLATOで初めてゲームが作成されたのは1960年代末で、リック・ブルームという学生がSpace War!を移植版したものでした。この移植版はSpace War!の最もシンプルなバージョン、つまり「オリジナル版」と呼ばれるものを忠実に移植したものだったようです。

 これを契機に『Avatar』と呼ばれるダンジョンズ

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もうひとつのFPS

もうひとつのFPS

 同じ頃、NASAのエイムス研究センターでひとつのFPSが生まれました。同研究センターにはImlac PDS-1というマシンが置かれており、学生達はこぞってプログラムを組んで研究を行う日々を送っていました。作成するプログラムにはゲームなども含まれており、1972年に発売されてから大ヒットを飛ばしていたPongのようなものも存在しました。

 1972年、エイムス研究センターの学生だったスティーブ・

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ひとり遊びへ転向したキッカケは何か?

ひとり遊びへ転向したキッカケは何か?

 これまでに見てきたように、ビデオゲームは多人数で遊ぶことが多かったと言うことができます。Computer SpaceやPongなどのロケーションテストが行われていた場所が酒場であったこと、PLATOのように一部の施設にしかなかったものまで含めると、人が多く集まる場所にゲームは存在し、多人数で遊ぶことが前提条件だったと推論できます。さらに多くのゲームはエレメカなどと同じく遊園地などに置かれていたこ

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異色の、そして不運なヒットメーカー

異色の、そして不運なヒットメーカー

Break Outの発売された翌年、カリフォルニア州サンディエゴから異色のシューティングゲームが登場することになります。 そのゲームを開発したメーカー「Gremlin Industries」社は、1970年に魚群探知機などの海洋測定機器を製造する会社として設立されました。卓越した電子技術を応用し、1973年に野球をモチーフにしたエレメカゲーム『Play Ball』(1973年、 Gremlin I

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