Hajime Saito

日々プログラミングの勉強をしています。

Hajime Saito

日々プログラミングの勉強をしています。

    マガジン

    • 日本ビリヤード史

      日本国内のビリヤードはどのような歴史を辿ってきたのか。随時、調査しながら時系列にまとめています。

    • 玉突の記憶を辿る

      ビリヤード史から出たこぼれ話をまとめています。

    • シューティングゲームの歴史

      シューティングゲームの歴史を綴ります。 ※10年ほど前に個人サイトで読み物として公開していたものです。

    最近の記事

    激動のオランダ

    18世紀末、オランダ本国では市民の生活が困窮していた。人口が減少傾向にあった事も影響していたが、国民がオランダ国外へ流出していった事も影響している。産業も衰退し始めていた。周辺国との競争が激化した漁業は衰退が著しく、遠洋漁業従事者は周辺国に高給で引き抜かれていった。畜産業も酪農製品の生産と輸入が不振となった上、家畜の疫病が蔓延し、深刻な打撃を受けていた。造船業もイギリスに技術開発分野で追い越され、海上貿易に至っては取引高が落ちていった。 1795年(寛政6年)にはネーデルラ

      • 4つ穴のビリヤードは存在したのか

        出島に置かれた近代的なビリヤードは、唐絵目利の石崎 融思により、『蛮館図』の一部として詳細に描かれた。石崎 融思は同じく唐絵目利であった荒木 元融の子として生まれたが、後に石崎 元徳の養子となっている。 石崎 元徳の後継は、元章、元甫と続いていたが、両名とも若くして亡くなった。そこで門弟だった荒木 元融の子、融思に家督を継がせることとなったのである。石崎 融思は家督を引き継ぐと、その才能を遺憾なく発揮し、長崎の絵師としてはこれまでにないほどに大成した。1805年(文化2年)

        スキ
        2
        • ビリヤードへ置き換わる

          出島も竣工から既に100年以上が経過し、家屋にもガタが来た。台風の暴風に曝されたり、主に木造であったことからシロアリの被害にもあった。庭園の家が17世紀後半に竣工したのだと考えた場合、18世紀中葉までには半世紀以上の時間が経過している計算になる。1723年(享保8年)から1735年(享保20年)にかけ、オランダ商館日記には庭園の家が荒廃していたことが何度か記述されている。 庭園の家が建て替えられたのはいつ頃だろうか。ヴォルフガング・ミヒェルが2020年(令和2年)に発表した

          • 庭園の家

            『長崎唐蘭館図巻』の描かれた頃になると、トラック・テーブルは庭園の先にある建物へ置かれるようになった。この建物は「庭園の家」と呼ばれることが多いので、以降そのように呼ぶ。 出島絵に記載される庭園の家は、様々なバリエーションの名前がつけられており、阿蘭陀涼所、阿蘭陀慰所、庭園の遊戯室、庭先のカジノ、花畠涼所等と呼ばれていることが確認できている。庭先のカジノと呼ばれていることから、トラックで遊ぶときには金銭が賭けられていた事も判る。 アルヌルドゥス・モンタヌスの著書に掲載され

          マガジン

          マガジンをすべて見る
          • 日本ビリヤード史

            • 10本

            日本国内のビリヤードはどのような歴史を辿ってきたのか。随時、調査しながら時系列にまとめています。

          • 玉突の記憶を辿る

            • 2本

            ビリヤード史から出たこぼれ話をまとめています。

          • シューティングゲームの歴史

            • 24本

            シューティングゲームの歴史を綴ります。 ※10年ほど前に個人サイトで読み物として公開していたものです。

          • 日本ビリヤード史

            • 10本

            日本国内のビリヤードはどのような歴史を辿ってきたのか。随時、調査しながら時系列にまとめています。

          • 玉突の記憶を辿る

            • 2本

            ビリヤード史から出たこぼれ話をまとめています。

          • シューティングゲームの歴史

            • 24本

            シューティングゲームの歴史を綴ります。 ※10年ほど前に個人サイトで読み物として公開していたものです。

          記事

          記事をすべて見る
            • トラックという名の遊戯

              『長崎唐蘭館図巻』のビリヤードにフォーカスすると、複数のオランダ人が余暇を楽しんでいる姿がありありと描かれていることがわかる。黒の上着と緑の上着を纏った2名のオランダ人がメイスと呼ばれる道具を手に、今にもボールを突き出そうとしている。青の上着を纏ったオランダ人は、テーブルの端に手を掛け、身を乗り出して勝負の行方を追っている。 その後方に目を向けると、縦縞の上着と花柄の上着を纏った2名のオランダ人が椅子に腰を掛けて談笑している姿が見える。片方はクレイ・パイプを口元に寄せている

              • 長崎唐蘭館図巻

                出島そのもの、あるいは出島でオランダ人が生活する様子を描いた「出島絵」と呼ばれる一連の絵画がある。出島絵にはオランダ人がビリヤードに興じる姿が描かれているものもある。 出島絵が描かれるようになったのは、唐絵目利という役職が設けられて以降のことになる。唐絵目利は国内へ輸入される絵画がキリスト教と関連性がないかを判断し、物の真贋を見抜き、その善し悪しにより価値を定める役である。唐(中国)からの船だけではなく、オランダからの船も担当した。 唐絵目利は、異国より齎された花弁、鳥獣

                • さらに遡れるか

                  これまで出島のオランダ商館について調査を行ってきた。出島のオランダ商館にビリヤードがあったのであれば、平戸島のオランダ商館にも置かれていても何ら不思議ではない。平戸島のオランダ商館にビリヤードはあったのだろうか。 オランダが平戸に商館を構えたのは1609年の事であったが、現存しているオランダ商館日記の記録は1633年以降である。それ以前に商館で起きた事柄を知る手掛かりは、初代オランダ商館長ヤックス・スペックスの書簡となるが、書簡と業務日誌では記載される内容の性格が異なること

                  スキ
                  4
                  • 卓上の遊戯

                    ここまで「玉突」というキーワードを頼りにオランダ商館日記を読んでいたが、別の表現を用いているビリヤードの記録はないだろうか。注意深くオランダ商館日記の日付を遡ってみると、1647年6月1日(正保4年4月28日)に長崎奉行の馬場 利重が出島を巡視した際、オランダ商館長ウィレム・フルステーヘンに請うて「卓上の遊戯」を演じてもらったという記述を見つけられる。 三郎左衛門は、甲斐庄 正述の前任者であった馬場 利重のことである。馬場 利重は1636年から1652年に掛けて長崎奉行を勤

                    • 出島のビリヤード

                      「オランダ屋敷で行われた」というビリヤードは、一体いつ頃から出島へ置かるようになったのだろうか。オランダ人は貿易業務に従じるに当たり、日々の出来事を業務日誌『オランダ商館日記』へ記録した。このオランダ商館日記を見れば、出島内でオランダ人がどのような生活を送っていたのか、断片的に知ることができる。 オランダ商館日記に「玉突」という単語が初めて登場するのは、オランダ人が出島へ移転してから10年以上の月日が経った1652年8月2日(慶安5年6月28日)である。時のオランダ商館長ア

                      スキ
                      1
                      • 出島へ移転したオランダ人

                        ポルトガル人が国内から追放されたことにより、出島は竣工早々にして空き家となった。出島の建築費用を捻出した地元の豪商25名は大いに困った。なぜなら、出島は貿易を行うポルトガル人から家賃を取って元手を回収する算段となっていたからである。家賃は年間80貫目、現代の価値にして約1億円に相当する。 出島は江戸幕府から依頼を受けた豪商25名が、江戸幕府に諭されて出資を行って建築している。家賃を取ることはもちろん、役得として貿易でもたらされる珍奇な品々を手にすることも許されていた。これで

                        • 出島

                          日本にビリヤードが渡来したのはいつ頃だろうか。日本ビリヤード協会常任理事を務めたこともある赤垣 昭は「日本でビリヤードが最初に行われたのは嘉永年間(一八五〇年代)で、長崎・出島のオランダ屋敷で行われたのがその始まりです。ポケット用のテーブルで、白球二個と赤球二個を用いてゲームを楽しんだことが、当時の錦絵に描かれています。」と自著『ポケットビリヤード』に記している。 長崎県に存在していた出島は、ポルトガル人を一ヶ所にまとめ、そこへ居住させて監視するため、ポルトガル商館前の浅瀬

                          • ろせった丸

                             「デッキ・ビリヤード」という名前を聞いたことはあるでしょうか。おそらく、ほとんどの方が初めて聞く名前だと思います。私もデッキ・ビリヤードという言葉を知ったのは偶然で、「ビリヤード」というキーワードを調査していたら、たまたま、ある1枚の写真を見つけたからです。  デッキ・ビリヤードはその名の通り、船のデッキで遊ぶビリヤードのようなゲームです。「ビリヤードのような」と表現したのは、一般的なビリヤードという言葉から連想されるものとは異なるためです。  デッキ・ビリヤードの遊び

                            スキ
                            1
                            • 可否茶館

                               ビリヤードはいつ、どんな施設に置かれていたのか、どんな人たちと関わりがあったのか。ビリヤードをキーワードに、古い文献などを読み集めてまとめたのが、この『玉突の記憶を巡る』です。  第1回は、4月13日の記念日「カフェの日」にちなみ、明治の日本で開業されたカフェとそこに置かれていたビリヤードの話です。 日本人初のカフェ 1888(明治21)年4月、東京下谷西黒門町にカフェ「可否茶館」(かひちゃさん、かひさかんなど読み方に諸説あり)が開業しました。  可否茶館は日本初のカ

                              スキ
                              1
                              • アーマチュアを調べる

                                Blenderにはアーマチュア(Armature、骨組み)という仕組みがあって、このアーマチュアをメッシュ・オブジェクトへ紐づけることで、メッシュ・オブジェクトにポーズ(Pose、姿勢)を取らせることができるようだ。 アーマチュア・オブジェクトは、ボーン(Bone、骨)を繋げていって構成されるスケルトン(Skeleton、骨格)と、姿勢を包含している。 もちろんオブジェクト・データなので、メッシュ・オブジェクトと同じようにロケーションやローテーション、スケールも保持してい

                                スキ
                                2
                                • ノード・リンクを調べる

                                  ノード・データにはソケットがあって、ソケット同士をリンク(Link、あるものと別のものを繋ぐこと)すれば、ノード内で加工した結果を次のノードへ引き継ぐことができる。 ノードを繋いでいって、加工を加え、最終的な結果をメッシュ・データの表面へ反映できるようにする、というのが、マテリアルの役目なのだろうと思う。 ノード・リンクへのアクセスノード・リンクへのアクセス方法は2種類あるようだ。ひとつはノード・ツリーからアクセスする方法、もうひとつはノード・データからアクセスする方法。

                                  スキ
                                  1
                                  • ノード・データを調べる

                                     Shading画面へ切り替えてマテリアル・ノードを編集しながら、各ノードへアクセスしてデータ構造を調べてみた。 Addドロップ・ダウン・リストをクリックすると、ノード・データのカテゴリが一覧表示される。表示されるカテゴリは次の通り。 細かい一覧をここに記載するのは省くけど、数えてみると100種類のノード・データが存在している、ということがわかった。これはとてつもない数で、ひと通り憶えるだけでも一苦労しそうだ。 プロパティの扱いノード・データの種類ごとに、プロパティの数

                                    スキ
                                    1