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ビデオゲームの誕生

 そもそもビデオゲーム───それはコンピュータが演算結果をモニタ上へ返すテレビゲーム───というものが最初に出来上がったのは、 一体いつの時代のことだったのでしょうか。

 解像度はとても低いものではありましたが、人間の視覚に記号を認識させるようなモニタを利用しているというものに限定した場合、「EDSAC」(1949年、Maurice Vincent Wilkes)というコンピュータ上で作成された「Graphic Tic Tac Toe」(1952年、A.S.Douglas)というゲームが現代では初出だとされています(下記は筆者によるダイオードモニタの再現画像)。

 「Tic Tac Toe」とはアメリカでの呼び名で、イギリスでは「Noughts And Crosses」。日本では「三目並べ」と呼ばれている遊びです。『「レベルアップ」のゲームデザイン ―実戦で使えるゲーム作りのテクニック 』(p.4)では『OXO』と表記されています。

 もしかしたら「○×ゲーム」と呼んだほうがピンと来るかもしれませんね。○×ゲームはご存知の通り、3×3のマス目を用意し、2人で交互に「○」と「×」を書き込んでいき、自分のマークを縦・横・斜めのいずれか一列に三つ並べたプレイヤーが勝ちとなる単純なゲームです。きっとノートや黒板を使って実際に友達と遊んだりしたことがある方も多いのではないでしょうか。

 ビデオゲームという枠を取り払えばコンピュータで遊べるゲームというのはもっと古くから存在していることがわかっています。

 たとえばGraphic Tic Tac Toeよりももっと古くより存在しているTic Tac Toeゲームは、1950年にイギリスの物理学者であるドナルド・デイヴィスと言う物理学者が完成させた「Noughts And Crosses」(1950年、Donald W.Davies)というゲームであることが記録として残っています。Noughts And Crossesは、このゲームを遊ぶためだけに作成された専用コンピュータを利用していたそうです。

 まだモニタを通して遊ぶゲームではなかったNoughts And Crossesは、対戦状況を一手一手に紙へ印刷していたのでした。21世紀は環境保護の観点からペーパーレス化が叫ばれているので、このような無駄な印刷をしているようなゲームがあったら凶弾されているかもしれませんね。

 このNoughts And Crossesはあちこちで移植され、時を経ていく中でGraphic Tic Tac Toeへと発展を遂げます。ですから、Noughts And Crossesというゲームがビデオゲームのルーツを辿る上ではかなり重要となるゲームとなることは間違いありません。

 さて、Graphic Tic Tac Toeより後の歴史を辿り「結果をモニタに返すゲーム」を探してみることにしましょう。

 次に現れるのは1958年、ブルックヘブン国立研究所で展示されたオシロスコープ画面で遊べるテニスゲーム『Tennis for two』(1958年10月、William Higinbotham/Robert V.Dvork)です。このゲームはGraphic Tic Tac Toeがビデオゲーム史に登場するまでの間、最古のビデオゲームと呼ばれていました。残念ながら最古のビデオゲームではなくなってしまいましたが、だからと言ってこのゲームの価値が下がるわけではありません。

 ところで、なぜブルックヘブン国立研究所というゲームにはまったく縁のなさそうな場所でテニスゲームが展示されたのでしょうか。

 当時のブルックヘブン国立研究所は原子炉を完成させ、原子から大きなエネルギーを取り出すという実験を行い、原子力の活用方法を研究していました。これは後に「マンハッタン計画」と呼ばれる核弾頭作成プロジェクトに繋がっていく研究です。そのような研究内容でしたから、地域住民が不安を訴えるのは無理なからぬ話です。

 そこで一般住民向けに「研究成果の見学会」という催し物を毎年行い、研究所で行われている研究が安全であることをアピールしていくことにしました。

 しかし、見学会では実験の状況を示す写真や実際に利用されている機器の展示ばかりで、見学者の評判はあまりよくなかったそうです。実際に見、触れることができないものが多かったことも不満のひとつだったようです。

 そこでウィリアム・ヒギンボーサムが考えたのは、見学者に機械を触らせることができ、なおかつ成果に触れることができるようにするものでした。その考えの末に辿り着いたのが、「ゲーム」という遊びの形態なのです。

 Tennis for twoはテニスコートを横から見た┴字型のコートでただただラリーを行うだけの単純なゲームでした。ダイアル式のコントローラーでラケットの角度を変え、ボールを相手のコートに打ち返す、ということを繰り返します。

 現代では当たり前になっている「スコアを競う」という概念もまだありませんでしたが、当時を語る記事を当たってみると「展示には多くの人が詰めかけ行列ができるほど」の人気だったそうです。

 もしかしたら展示会へ参加した一般の人々もゲームというものが秘めている、限りない可能性を肌で感じていたのかもしれません。ただ残念なことに「ゲームで遊ぶ」という大きなブームを起こすまでは至りませんでした。

 なぜなら、この頃はまだコンピュータというのは高価なものでしたし、何よりもタンスが三つ並ぶほどの大きな構造をしていたからです。個人がコンピュータを手にするようになるのはもっともっと後の年代になってからです。

 Tennis for twoは非常に人気があったため、翌1959年にも展示されることになりました。

 この年に展示されたTennis for twoは、太陽系にある他の惑星の重力をシミュレーションすることができるようになっていました。その中でテニスを行うとボールはどのような動きをするのか、ということが試せるようになっていたわけです。

 Tennis for twoにもやはり原作だと思われるプログラムがあります。それは「Bouncing Ball」(1951年、George Yale Cherlin)という、画面上でボールが跳ね回るというデモプログラムです。

 Bouncing Ballはドナーというメーカーが発売しているアナログコンピュータに付属のマニュアルに記載されているものです。このデモプログラムを実際に動かすとボールが反射する度に音がなるというユニークなものだったと言います。その音は黎明期のPongゲームを連想させる「Thok!」という音だったと言いますから、後年に発売されたゲームに影響を与えている可能性が高いかもしれません。

 ウィリアム・ヒギンボーサムはこのデモプログラムを参考にして、テニスゲーム形式に仕上がるような回路の設計を行って完成させました。ウィリアム・ヒギンボーサムは計測部というところに所属していましたが、同じ部内で仲の良かったロバート・ドゥボークに回路の作成を依頼し、二人でつきっきりの3週間で完成させ、1958年の見学会で公開できるよう間に合わせたのでした。

 このようにビデオゲームはかなり古くから存在していたことにはビックリしますね。インタラクティブ性が高いゲームはGraphic Tic Tac ToeよりもTennis for twoですが、いずれにせよビデオゲームが半世紀以上も前から存在していたことには驚かされます。

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